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raraに伝えたいこと(高齢者の恋と愛って)

人間力では
どうにもならない ことが ある
数えたなら それこそ 山ほど ある

下の息子が 四年に一度の
この日に 生を受けた
おかげで?と 言うか
知られたなら 記憶に残され 悪いことばかりじゃない
父として 母として
両親である わたしたちは 内心想っていた

本人が そこに 気付くのには やはり
何度目かの この日が 巡り来たとき だった様だ・・・

余程のことが無ければ
生まれ来る その日を ピタリとは 当て切れない
わたしたち父と母も 四年に一度の その日は
冬季オリンピックの閉会式最中で迎えた

raraの存在を 高齢者たるわたしが 知ることになったのも たまたま 何度目かの 誕生日直前だった
もしも その日が 過ぎた後だったなら
raraが  わたしを 
わたしが raraを
強くこころに 残し合う 出来事は 起きなかった
「iPad記念日」
出逢えて raraの笑顔を 初めて見た 記念日だ

「高齢者の 恋愛って どんなものか?」
若いひとからすれば 不思議がられるに違いない
「恋」は かけがえのない可愛らしさを強くこころに残し続けること
「愛」は そのらしさを 出来得る限り大切に守ってあげること
ダメかな?
決して 見返りは 求めない!
当たり前で それは 揺るぎない

四年に一度のこの日
息子に 誕生日おめでとう!を伝え
やがて来る raraとの一年前を想い出している
高齢者たるわたしの「贔屓ちゃん」として
出逢えて良かった ありがとう
その日が 近付いている

ことしは
「iPhone」を 約束している

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