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芥川龍之介「桃太郎」現代語版3


 日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹と、人質に取った鬼の子供に宝物の車を引かせながら、得々(とくとく)と故郷へ凱旋(がいせん)した。ーーこれだけはもう日本中の子供のとうに知っている話である。しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送った訣(わけ)ではない。鬼の子供は一人前になると番人の雉を噛み殺した上、たちまち鬼が島へ逐電(ちくでん)した。のみならず鬼が島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形(やかた)へ火をつけたり、桃太郎の寝首(ねくび)をかこうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいという噂である。桃太郎はこういう重ね重ねの不幸に嘆息(たんそく)を洩(も)らさずにはいられなかった。


 日本一の桃太郎は犬猿キジの三匹と、人質に取った鬼の子供に宝物を積んだ車を引かせながら、得意そうに故郷へ凱旋(戦いに勝って帰ること)した。これだけはもう日本中の子供がみんなとっくに知っている話である。しかし桃太郎は必ずしも幸福に一生を送ったわけではない。人質となった鬼の子供は、一人前になると見張り番をしていたキジを噛み殺した後、すぐに鬼ヶ島へ素早く逃げた。それだけでなく、鬼ヶ島で生き残っていた鬼は時々海を渡って人のすみかへ来ては、桃太郎の家に火をつけたり、寝ている桃太郎の首を斬ろうとした。聞くところによると、猿が殺されたのは人違いだったらしいという噂がある。桃太郎はこうしたいくつもの不幸にため息を漏らさずにはいられなかった。



「どうも鬼というものの執念(しゅうねん)の深いのには困ったものだ。」
「やっと命を助けて頂いた御主人の大恩(だいおん)さえ忘れるとは怪(け)しからぬ奴等でございます。」
 犬も桃太郎の渋面(じゅうめん)を見ると、口惜(くや)しそうにいつも唸(うな)ったものである。
 その間も寂しい鬼が島の磯には、美しい熱帯の月明りを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子の実に爆弾を仕こんでいた。優しい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗ほどの目の玉を赫(かがや)かせながら。・・・・・・・


「どうも鬼というものの執念深さには困ったものだ。」
「やっと命を助けていただいたご主人への恩を忘れるとは、礼儀を知らない奴らですね。」
犬も桃太郎の悔しそうな顔を見ると、同じようにいつも唸ったものである。
桃太郎が腹を立てているその間も、寂しい鬼ヶ島の浜辺には、美しい熱帯の月明かりを浴びた鬼の若者が五〜六人、鬼が島の独立を計画するため、ヤシの実に爆弾を仕込んでいた。優しい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのだろうかというくらい、黙々と作業を行なっている。それでも、嬉しそうに茶碗ほどの大きさの目の玉を輝かせながら。・・・続く





 人間の知らない山の奥に雲霧(くもきり)を破った桃の木は今日(こんにち)もなお昔のように、累々(るいるい)と無数の実をつけている。勿論桃太郎を孕(はら)んでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉(やたがらす)は今度はいつこの木の梢(こずえ)へもう一度姿を露(あら)わすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。・・・・・・・


 人間の知らない山の奥に、雲よりも高く伸びる桃の木は今もなお昔のように、たくさんの実をつけている。もちろん桃太郎を宿していた実だけは、とっくに谷川を流れ去ってしまった。しかし将来天才になる子供は、まだそれらの実の中に人知れず眠っている。あの大きいヤタガラスは今度いつこの木の枝へ、もう一度姿を表すのだろうか。ああ、将来天才になる子供は、まだその桃の実の中に人知れず眠っているのだ。



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完結です。読了。これを読んでもなお、桃太郎は「正義」だったと断言しますか?

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めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。