🔶私の好きな奈良：薬師寺 華麗な伽藍の片隅で複雑な歴史を語る東院堂

薬師寺は、世界遺産の構成資産となっている巨大な寺院であり、奈良では欠かせないスポットとして、訪れられた方も多いかと思います。
昭和以降の精力的な再建努力により、現在では創建当時を彷彿させる華やかな姿となっていますが、歴史の中で多くの伽藍を失ってきたため、国宝指定されている建物は意外に少ないのが実情です。

今回は、東塔と並んで国宝指定されている建物である東院堂に焦点をあててみます。

薬師寺についての概要

天武９年（680年）、天武天皇は后の鵜野讃良（後の持統天皇）の病気平癒を願って薬師寺の建立を発願しました。今の薬師寺の場所ではなく、天武自身が飛鳥浄御原からの遷都を目指し、674年から造営をはじめたとされる藤原京の右京に位置します。

天武天皇は残念ながら686年に崩御したため、薬師寺の完成（688年頃）および694年の藤原京完成を見ることはありませんでした。当時、息子の草壁皇子が19歳で皇太子でしたが皇位は継がず、690年に妻の持統天皇が継承しました。薬師寺の建立、藤原京への遷都、いずれも持統天皇が完成させました。

持統天皇は52歳まで在位し、早逝した草壁の子、孫にあたる文武天皇（当時15歳）に譲位しました（707年）。ちょうど時を同じくして平城遷都の構想が動き始め、それに伴い寺院を含めた首都機能の平城京への移転が決まり、薬師寺も現在の位置に移されることになります。

平城京右京に移された薬師寺ですが、多くの建物が戦禍などで焼失し、現在ある華やかな白鳳伽藍の多くは、昭和、平成の時代に再建されたものとなっています。

東院堂

薬師寺の国宝建築物は「凍れる音楽」東塔とこの東院堂の２つで、東院堂は回廊の東側、回廊外に西向きに立っています。
奈良時代に元明天皇の冥福を祈って娘の吉備内親王が建てました。その後、鎌倉時代に再建されています。当初は南向きでしたが、江戸時代に西向きに建て替えられました。

回廊の東外、西向きに立つ国宝・東院堂

この東院堂は、再建された鎌倉時代の様式を反映して入母屋造本瓦葺きの建物で、床は板張りとなっています。寺のホームページによると、日本最古の禅堂とのことです。

薬師寺の伽藍の多くが赤、白、緑で彩られた華麗で豪華な建築なのに対し、この東院堂は控えめな色調で、落ち着いた佇まいとなっており、回廊の外にあることと相まって、独立性を主張している様にも感じられます。

国宝の銅造聖観音立像は東院堂の本尊で、アルカイックスマイルを思わせる笑みを浮かべ、白鳳時代の作かと言われています。自然な体の曲線が表現されており、同時代の傑作とされる極めて美しい仏様です。

元明天皇について

さて、東院堂の建立にて冥福を祈られた元明天皇とはどんな人なのでしょうか。

のちに元明天皇となる阿閇（あへ）皇女は、父親が天智天皇、母親は蘇我氏の血を引く蘇我倉石川麻呂の娘、姪娘（めいのいらつめ）です。同じく天智天皇の娘である持統天皇とは異母姉妹になります。
阿閇は、先述した草壁皇子（＝母が持統天皇、父が天武天皇）の妻となります。

このあたりの人物関係は本当にややこしいですね。
天智天皇が非常に多くの女性を妻とし、多くの子を残したこと、そして自分の娘達をいわゆる政略結婚のために嫁がせたことなども一因です。

阿閇の夫となった草壁皇子は、皇位継承資格をもっていたものの、天武崩御後に皇位を継承することなく、28歳の若さで亡くなっています。

息子の草壁皇子に皇位を継承できなかった持統天皇は、草壁皇子と阿閇の間に生まれた孫の文武天皇に皇位を譲りましたが、その文武も25歳で早逝してしまいます。
幸い文武には既に皇子（後の聖武天皇）がいましたが、当時まだ7歳であったため、文武の母である阿閇が元明天皇として即位します。

元明天皇と草壁皇子の間には子供が３人いました。
文武天皇は末っ子で、あとは二人の姉、長女の氷高内親王（後の元正天皇）と次女の吉備内親王です。
次女である吉備内親王が、母・元明天皇の冥福を祈って建てたのが東院堂です。

皇位継承へ必死の思いと、藤原氏の台頭

ここまで淡々と薬師寺、とくに東院堂についての概略を書いてきましたが、この間、持統〜元明〜元正〜吉備内親王と連なる王族の女性たちには、時の政治・権力に翻弄された苦悩・悲哀・悲劇がありました。

持統天皇には、夫・天武天皇が一世一代の事業として造営した藤原京と、自分のために天武が発願した薬師寺に対し、特別な想いがあったことは想像に難くありません。ましてや志半ばで崩御した夫を継いでそれらの事業を完成させ、子や孫に引き継ぐために天皇の位を守った苦労は、並大抵の事ではなかったと思われます。

ところが、壬申の乱で天武の片腕となり、天武・持統政権を支えていた有力者、高市皇子が696年に薨去して以降、天皇・王族周囲を支える勢力が乏しくなり、徐々に臣下の藤原氏が勢力を持つようになります。

一族の勢力拡大を目指す藤原不比等は、自分の娘（藤原宮子）と文武との間に生まれた子（聖武）を、旧勢力の多い飛鳥の地を離れた新しい地で天皇に即位させようと、平城京への遷都を強力に押し進めます。

持統にとって、必死の思いで完成させた藤原京、薬師寺を、わずか10年ちょっとで廃京、廃寺にしてしまうという計画は、受け入れ難いものであったと思われます。

国宝の東塔　藤原京からは移築されず
平城京で新築されたとする説が有力

元明、元正の苦悩と、長屋王の妃となった吉備内親王の悲劇

天武・持統の思いを深く知る元明天皇ですが、藤原氏らの圧力に押し切られる形で、平城遷都の詔を出すに至りました。辛い決断だったと思われます。
飛鳥を離れる際に詠んだ歌が万葉集に残っており、元明の気持ちを後世に残しています。

　飛ぶ鳥の明日香の里を起きて去なば君があたりは見えずかもあらむ

この「君」とは、飛鳥の地に葬られている夫の草壁のことでしょう。
後ろ髪がひかれる思いが感じられます。

元明天皇は８年間の在位のあと、心安らぐ境地を求めたいとして娘の元正に譲位をしました。着々と藤原氏血縁となる聖武天皇即位への準備が進む中、聖武でなく元正に譲位したというのが、元明の意地であったと思われます。

35歳で皇位を継いだ元正天皇は、皇親派の長屋王を重用するなど、毅然とした姿勢で政治を行います。母の元明天皇は譲位の６年後、721年にこの世を去ります。元正天皇の在位は724年までですが、その間に元正の妹・吉備内親王が、母・元明の冥福を祈って薬師寺に東院堂を建てました。

その吉備内親王は長屋王の妃となっています。

724年に聖武天皇が即位しましたが、その５年後の729年、長屋王は謀反を計画したという疑いで朝廷に屋敷を包囲され、妃の吉備内親王とともに自殺を選んだとされます。
これが有名な「長屋王の変」ですが、のちの史料から、長屋王は讒言（ざんげん）によって無実の罪を着せられ、皇位継承に関して聖武の子孫のライバルとなる可能性がある長屋の子孫ともども抹殺されたとも言われています。

おわりに

今回は東院堂に焦点を当て、薬師寺が天武天皇・持統天皇およびその子孫たちの強い思いの込められた寺であり、華やかな伽藍の裏に複雑な悲しい歴史を抱えていることについて紹介させて頂きました。

急ぎ足でしたので、物足りなく感じられた方もいらっしゃるかと思います。
多くの書物がありますので、いろいろ読んでみて下さい。

おまけ：この時代の背景・人物相関が理解しづらい人には、永井路子さんの小説が役立つかもしれません。元正天皇が主人公です。

『美貌の女帝』｜感想・レビュー - 読書メーター