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SNSでの生成AIの議論について思うこと

最近議論が激しくなりつつある生成AIについて、個人的に思う所もあり備忘録として記事にしておきたいと思います。誰かに向けてというよりほとんどつぶやきというか、個人的なメモみたいなものなのであしからず。



特権階級とは何なのか?

数日前「絵師の立場から言いたい「反AI」の人の態度について」という記事が出た後、SNSでは記事内で出た「特権階級」という文言が一人歩きしてしまい元記事も参照しないまま特権がどうのこうのという話に逸れてしまった印象があります。
私が観測できる範囲では、この記事の内容は絵描きコミュニティではかなり不評なようですが、絵描きと関係のない他のコミュニティからは概ね好意的に評価されているようで、この辺りにも絵描き側とそれ以外の人たちの間で意識的なズレが生じているように思います。


そもそも元記事の「特権階級」とは何を指していたのかですが、元記事の方の引用を置いておきます。

「絵師には特権はない」「だから横暴な振る舞いは止めよう」が言いたいことです。

もちろん「絵が描けると優遇される」と言うのは正しいですが、
それは「音楽を作れると優遇される」「文章を書けると優遇される」「翻訳を出来ると優遇される」「動画を編集出来ると優遇される」と言う話と同列の話です。
「文章は誰でもかけるけど、絵は選ばれた人しか描けない!俺のほうが偉い!」みたいな振る舞いは止めましょう。という話です。
これも「絵師全員が横暴」と言いたいわけではなく、「そういう横暴な態度を取る人が一部だがいる」という前提での話となります。

絵師の立場から言いたい「反AI」の人の態度について

特権階級というワードは多少分かりづらいと私も思いますが、それでもある種の「権力性」のようなものがあるというのは理解できます。

そもそもの論点はどこ?

そもそも特権階級というワードがどの文脈に引っかかるのか?再び同記事による引用。

一部の絵師は
「絵師と絵師から生み出されるイラストは世界で一番素晴らしく、何よりも優先され、保護されなければいけない」

「イラスト生成AIは否定するのに、翻訳AIは使っていいの?」に対して
「翻訳は創造性ないからwクリエイターとは認めない」みたいなのが代表格です。

絵師の立場から言いたい「反AI」の人の態度について

引用元にもありますが、例えば翻訳AIは翻訳家の職を奪うものです。
それを今まで問題視せず、他の分野での利益は享受しながらある特定の分野にだけ保護を訴えるのであれば、それは特権のような権力性があるように見えてしまうだろう、というのが元記事の趣旨でしょう。
これについては私も同意しますし、実際そういうダブルスタンダード的な態度を批判されているのですが、Twitter(現X)ではこの辺りの文脈を無視し単語だけ抜き取って解釈しているポストが多かったようです。

AIの今後と創作環境について思う事

AIイラストは例えるなら人間vsAIの囲碁将棋勝負みたいなもので人間側はどう頑張っても機械のスピードについていけないだろうし、ある程度棲み分けが出来るような環境はあったほうがいいだろうなとは思っています。

本来もっと建設的な議論をSNSに期待していたんですが、そもそも絵描きコミュニティがそういう政治的議論に慣れていなさすぎて極端な意見に反応して極端な意見を発するようになってしまい、ポジショントークに行き着いてエコーチェンバー化している現状を見るに残念ながらそれも難しいようです。

追記

AI周辺の話だと手嶋海嶺さんのnoteがおすすめです



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