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母には話せない。

妊娠についての悩みを母に話したことがあったけど、母は、娘が2人いて、今まで妊娠について悩んだことがないので、流産した時も悲しいかな、他の人もこ〜だったとか、よくあることみたいとあまり感情に共感してもらうことは出来なかった。

辛くて、共感して、話せるのが身内だったから、話したけど、よけいに悲しくなってしまった。

流産してからしばらくして、実家に帰ったけど、特に慰めることもなく、相変わらず、妹のお世話と、妹を助けに同じ職場で働いていて、忙しい、大変っていう感じで、ちょっとしたことで喧嘩して、2度と帰省したくないと思った。

前回、3年前も、訳わからないことで怒られて、その時ももう帰省したくないと思ったんだった。

母が私の話だけを聞いてくれるということは、ほとんど小さい時からなくて、延々と父親だったり、義父母だったり、母の妹に対する愚痴を聞いてきた。

それが普通だと思ってたし、私もそうするしかないと思っていたけど、大人になって、結婚して、色々な家庭の様子を知るようになって、なんか違うんだと気付くようになった。

実家にいた時には気付かないふりをするしかなかったんだと今ならわかるけど、安心出来なかったというか、わりと常に緊張して過ごしていた気がする。

父は多忙で、単身赴任があったりで、今思えば、母はほぼワンオペで、もともと器用でない母は、いっぱいいっぱいだったのかもしれない。

妹が4歳の時に生まれてから、私の子ども時代は終わった気がする。抱っこしてもらったり、手を繋いでもらった記憶がない。けど、これも自分のなかで普通になっていた。でもなんだか寂しい気持ちをずっと抱えてた。

自分の子どもには同じことを感じさせたくない。色んなことをしてあげたい、安心させてあげたい。
こういう思いが、もしかしたら、私が母親になるということに、知らないうちに過度なプレッシャーを与えているのかもしれないって思うんですよね。

だから、今、自分の子どもの頃に受けた心の傷に向き合って、ひとつひとつ消化する作業をしています。人から見たら何?って思うかもしれないけど。

母と距離を置いているのもその一つで、距離を置いたことで、母の愚痴を聞いたり、心配しなくなって、心がすごく軽くなった気がしています。

罪悪感がないわけじゃないけど、今の私はそれくらい目の前のことに、精神的にいっぱいで、それすら気付かないくらい、きっと子どもの時から我慢するのが普通になっていたのだと思います。

離れて、見えてきたこと、自分が感じてたけど、気付かないふりしてたこと、辛かったこと。。。
ひとつひとつ向き合ったら、また違う見え方が出来るような気がします。

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