太陽


大切な1日を迎えるにあたって
少しだけ。


2018年12月23日
インテックス大阪での全国握手会

僕が初めてみなみんの握手会に行った日。
そして、みなみん笑顔や温もりに惹かれた日。
僕の心に、一輪の花が咲いた日。

気にはなっていたけど、それまで行った事が無かった握手会。
今でもあの第4レーンは覚えています。
この時くれた優しい笑顔や温もりは
今も僕の心の中で熱を失わぬまま
居続けてくれています。

この日初めてみなみんの握手会に行った自分に
1歩踏み出した自分に
心から感謝を伝えたいです。
みなみんとの出逢いがあったから
みなみんを大好きになれたから
こんな素敵な日々を送れています。
ほんの少しずつかもしれないけど、大嫌いだった自分と戦えて成長できている気がします。
本当にありがとう。

そしてそこから始まった日々。
色んなものが新鮮で、楽しくて
沢山の素敵な景色や想いを届けてくれました。
眩しい程の想い出や記憶が、宝物ができました。


2019年12月21日
インテックス大阪での全国握手会

蘭世さん・まいちゅんレーンとみなみんレーン
その2つを行き来していたのを覚えています。
Mステのお話をしたのも
剥がしがいつもより早かったのも
今でもよく覚えています。
この日は終わってからご飯会に行って
色んな人に出逢うこともできました。

この握手会以降約3年半も対面で話す機会が無くなるなんて、想像できる筈もありませんでした。
コロナが広がり出した当初の
”すぐにまた元通りになるだろう”という考え。
そんな考えも日を追う事に砕かれていきました。



それから約3年半が経ちました。
3年半前は大学3年生だった自分も
もう社会人3年目になりました。
周りを見渡せば、色んなものが変わっていました。
でも、”みなみんの事が大好き”
という気持ちだけは、変わらず大きくなるばかりでした。
その気持ちがあったから
僕は沢山のことを乗り越えて来られました。
コロナ禍に入ってから今日までの期間
今振り返れば、凄く大切な時間でもありました。
自分にとっては必要な期間だったと
今なら胸を張って言えます。


2023年6月18日
そして迎えた、今日この日。
コロナ禍以降、初めての対面お話会。
僕は元々中国出張の予定が入っていた為
行けないはずのお話会でした。
その時点で行けない可能性が高かったからリスクも負えず
”万が一予定が変われば”
ぐらいの気持ちで1枚だけ応募していました。
誤解を招きかねない言い方ですが
僕の中では捨てる覚悟で応募した1枚でした。
その1枚が今とてつもない重みを持って
僕の中にあります。
物凄く大切な、この1枚。


正直、もっと会いたかった。
直接顔を見て、もっと話したかった。
でも、たった1枚だとしても本当に嬉しいです。
心からワクワクしています。

コロナ禍以降始まったオンラインミーグリ
それはそれで良さは勿論あったし
色んなことをお話できました。
ミーグリだったからこその部分も
大いにあったと思っています。
悪いことばかりでは決して無かったですし
ありがたい部分も多々ありました。
でも心のどこかで
”対面”の時の記憶がずっと居たのも事実です。
それまでは”対面”が普通だったから。
失って初めて
”普通”が”普通”じゃない事を身をもって痛感しました。


あの日「またね」と言ってから
次また直接「みなみん」と顔を見て言える日まで
こんなにも時間がかかるなんて。
こんなにも色んなものが変わっているなんて。


あと何回、僕はみなみんの顔を見て
名前を呼べるんだろう
自分の気持ちを伝えられるんだろう。
その眩い程の笑顔を
何度この目で見れるんだろう。
そんなことを考えていました。

胸を張って会えない自分が悔しくて
今までの”普通”の有り難さにやっと気付いて
いつ終わりが来るか分からないことに改めて気付いて
何も分かってなかった自分が悔しくて
”伝えられること”の重みを知って
苦しみ、もがきながら進んできたコロナ禍。

過去の痛みと闘いながら
”自分のやり方”を模索しながら
答えの無いような問いを自分に投げかけながら
”関係性”を少しずつ大切に築きながら
少しでも笑顔の理由になりたいと願いながら
悩みながらも、不格好でも自分なりに歩いてきた今日まで。

そんな道程を歩いてきた答えのひとつが
今日出せるのかな。
そしていつかは
貴女を少しでも照らせるようになりたいし
流した涙で虹を架けられる人になりたいです。

みなみん、今日はよろしくね。
そして、いつも本当にありがとう。
大好きです。




2023,06,18
ともき

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