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How a family should be.

12月のある日、携帯電話に見知らぬ番号が入る。市外局番を知ってはいないが東京では無いことは分かる。

これだけで何となく察する。

警察からだった。警察の情報力って凄いなって感心しつつ、相手はすぐに要件へ。

「実はお兄さんが亡くなった」と.....

部屋で亡くなって数日経ったところで家主さんが発見したと。

病院で亡くなったのでは無いが事故性や事件性はないと思う。ただ本人の確証が取れないのでDNA鑑定にご協力頂きたいと。

哀しいとか、そういう感情は無い。

兄の話をしよう。

同じ屋根の下に暮らしたのは生まれてから中学を出るまでだ。その間言いようがない程の暴力・虐待を受けている。兄は内向的で外でほとんど友達がいない人だった。日々の退屈を僕で晴らしていたのかもしれない。嫌がる僕に、相撲をしようと言ってはあちこちにブン投げたり、張り手をかましたり、おもちゃのボクシンググローブを買ってきてサンドバック代わりにパンチを当てていた。

肉体的だけじゃなく、精神的にも追いつめられる。僕が友達と遊んでいると、そこにやってきて、僕を泣かしたり、虐めたりして友達から引き離す。

父は活動家上がりの自営業者で家にほとんど帰らず、金もいれず。

母はパートをするが経済観念が無く給食費も払えない。

施設に入るとか、役所が手続きをするというのは、もっと色々なことが表面化しないと出来ないことなのは、大人になってから知る。

中学卒業後家を出る。

バイト三昧の日々だった。ラグビーを始めてから体力もついた頃、一度家に帰った。その時も兄が僕にちょっかいをかけてきた。今は体力もあるから、積年の恨みもあったので、いざとなったらやり合うつもりで口ごたえしたら、猛然と怒りタンスの角を殴った。タンスを....じゃなくてタンスの角をだ。タンスはえぐれたが、兄のこぶしも血だらけになった。これは体力とかの問題じゃない。この人に向かうとヤラれると心底思う。

商才の無い両親で、ただでさえお金の無心が多いのに加えて、寄生虫的に張り付いた兄の分まで乗っかってくる。

ライブの朝、父が亡くなったと兄から連絡。何も出来やしない。色々な段取りをして名古屋のライブに向かう。

翌年、今度は母が亡くなる。ここでも何も出来やしない。スタジオ練習をして、火葬場に行く。

結局、両親の火葬に僕だけが立ち会った。

その後、兄から借金の申し込みがあったが、これ以上は無理だと。両親のためならまだしも。

その後連絡が途絶えた。

一度だけ僕の知らない街から連絡があり、生活保護の申請があるのだが、弟さんが援助出来ないかと相談があった。

申し訳ないが人生で十分な援助はしてきたし、暴力が怖いと答えた。

それから10年以上は経っている。

今回死亡の際の電話番号はケースワーカーの資料の中にあったそうだ。

SNSとかで、家族の写真を載せたり、思い出を語る人が多い。

貧しい中でも思い出があったり........

いいよな。

美化するような幼少期の思い出も無い。

殴られたり、部屋に入れなかったり。お腹空いてたり。

僕はそういう部分で人として欠落していて誰かを思いやる気持ちが足りないのかもしれない。

まっ、いいか。その分ハングリーで頑張ったおかげで得れたこともあるから。

仕事が忙しくて、シンドイ日もあるが仕事があるってありがてーな。

バンドの休止にイライラもするが、ずっとバンド活動をしてきた証でもある。

まだまだ、愛だの恋だのうたっていこう!生きる活きる生きる。

足りない何かを得たり、取り戻したり..........

続きはこれからだ。

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