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増刊号−8月9日−「理想的な食事」

ここのところ、食事指導の依頼を頂いたり、取材を受けたり、新しく始める仕事の事とか、レシピへの反響をもらえる事で改めて食事がどうあるべきか、について考えていました。

ちなみに、これはあくまで私の個人的な所見であって、どなたかの論文を参考にしているわけでもなければ、調査や研究結果でもありません。批判など頂きましても、全く受けて立つつもりなどございませんのでご了承下さい。

食事は、生まれてから死ぬまで繰り返す物です。

食事を化学的に捉えると「栄養」
食事を教育で考えると「食育」
食事は団らんでもあります「食卓」
食事をもてなしとすると「接待」
食事が娯楽の人はもいる「食いしん坊」

とにかく食事とは?と考え出すと、シチュエーションによって、人によって、全然違う物として捉える事が出来ますね。

では、どうあるべきなんでしょう?

まず、どうあるべきか、なんて、硬い表現をする事自体が間違っている。

だって、死ぬまで毎日避けられないんです。避けたら死んじゃうんです。

そんな毎日毎日繰り返さなくちゃいけない事にルールを作ろうとしたり、考え過ぎたり、ストレスを感じているから、逆に太ってしまったり、痩せてしまったりする事もあるんじゃないでしょうか。


私が理想的だと考える食事は、

個々のライフスタイルに無理なく合っているもの。

生活の中の「幸福度」を押し上げるもの。

文化や季節を感じられ、感謝出来るもの。

健康を害さず、生き生きと生活する源になるもの。

ストレスや制約を感じない自由なもの。


とは言っても、食に関わる情報が氾濫し過ぎているし、個人の価値観なんて千差万別。

批判を承知で、私の嫌いな考え方をする人を以下に。

食べてはいけない食べもの、について語る人

添加物についてとにかく批判する人

食材を限定するなど、偏った食事を人に勧める人


嫌いって言っても、出会ってもいちいちケンカしません。そういう人から意見を求められる事もありますが「あなたがいいなら、あなたはそうすればいいんじゃないですか?」のニュアンスを100倍ぐらいゆるくして伝えます。


私は、上に書いたような私が良いなと思うライフスタイルならぬ、フードスタイルを、栄養の専門知識を基本に持ちながら提唱する人でありたいと思っています。

私はnoteで「コンビニ食材だけを使ったレシピ」をご紹介してきましたが、車がガソリン車から電気・水素自動車に変わるように食卓も変わって行きます。

時代に合った、自分に合った、そんな食事を身につける事。理想ですね。

1人でもそんな食事を身につけて、生き生きと生活してもらうお手伝いをする事、私の夢です。


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