人間という動物

今日は人間がテーマです。

私たちは人間です。

人間とは何でしょう。

二足歩行可能で、食物連鎖のカーストにおいて圧倒的優位を誇る動物。

使える相手が限定されたコミュニケーションツールである”文字”を使う動物。

思考、喜怒哀楽の感情、脳から身体へあらゆる電波を送り様々な行動をすることの出来る動物。(一定パターンではなく、人によって表し方に相違がある)

知識のインプット・アウトプットが可能で、勉学や会話、聴講など多岐に渡って学習が可能な動物。

人間を一つの枠に当てはめるのはとても難しいと思われます。

他の動物と絶対的に違うことは独自のコミュニケーションツールを持っていることです。

独自のコミュニケーションツールを持つ。その事実だけとれば人間は神に近い存在にすら思えます。

しかし人間は神と違って”救済”を行いません。

人間界は弱肉強食の世界なのです。動物らしいですね。

私は人間ですが、人間のことが大嫌いです。

だって、こんなにも身勝手で狡くて自己中心的で愛に飢えていて、それでいてたまに優しくて寂しがりやで孤独に生まれ死ぬような動物なんて大嫌いです。動物は愛嬌だけあればもう十分なんです。人間の場合、愛嬌を振りまく前に緻密な計画をして自分がいい結果に転ぶようにしている場合が多いですから、動物にしてはとてもずる賢いのです。

私はこんな動物に生まれたくて生まれたわけではありません。

私を作った人達がいるから仕方く生きているのです。そう、仕方なく。

人間同士のいがみ合い、憎しみ程愚かな物はないと思っています。どうせ死ぬんですから、仲良くやればいいのに。お互いがお互いを認め合わないから、いつまでも憎むし憎まれる。どうせ死ぬんだから、どうせ二度と会わないんだから、どうせみんないなくなるんだから目の前にいる相手を愛せばいいのに。

人間って勝手ですよね。とっても勝手な生き物です。

「お前のことを考える暇が合ったら自分のことを考えるに決まってるだろ」こんなことを言う輩がごまんと居ます。自分が大好きなんですね、なんて素晴らしいんでしょう。尊敬しますよ。

私は人間に生まれてしまった自分を好きになれないから、ああやって自分のことを労われる人達はとてもすごいと思います。真似したいとは思いませんが…

書いていて思いますが、やはり私は相手のことを考えて行動する方が性格に合っています。自分の将来を見据えないでいいのでとても気持ちが楽なんですよね。やったことある方はきっとこの気持ちが理解できると思います。

でも、この考えは一般的には受け入れられません。

いつの間にか”軸がない人間”になるリスクが高く、私自身も進んでやるべきではないと思います。

私が休職する前、転職活動をしていた時にある企業様からこのようなアドバイスをいたただきました。「まるで自分の軸がない人だ、自分のやりたいことが全く見えてこない。もっと自分の人生を精進してほしい」と。勿論、お祈りメールをいただく結果にはなりました。しかしその言葉を貰えなかったら、私はいつまでも現職を休職へ踏み切ることが出来ず、転職活動も続けたままだったことでしょう。

私は今、自分のやりたいことに向けて準備を着々と進めております。

書いているnoteも自ら書こうと思いやっていることで、誰かに言われたからではありません。

人間を嫌う気持ちが大きく、相手を考えることで自分から逃れられることを早いうちから知ってしまったことで、本来であれば高校の時には行わなくてはいけない”自分探し”をしていませんでした。私は未成長なまま大人になってしまいました。

しかし、”自分探し”に遅いも早いもやりすぎもありません。

もし自分の気持ちが向くことがあれば、今文章を読んでいる皆様も”自分探しの旅”に出かけてみてはいかがでしょうか。

あ、あと上島珈琲のココア美味しいです。火傷するような温度ではないので猫舌な私も飲みやすいです。是非ご賞味あれ。

では、また後程…

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