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『あるひとごろしのあさ〜川端康成「散りぬるを」より〜』

某アカデミーで受講した映像を使った作品の上演用の上演台本です。
川端康成『散りぬるを』なので著作権的にヤバかったら消します。

・《》内はスクリーンに投影する。

○プロローグ
事件から五年後の作家

《滝子と蔦子が蚊帳一つのなかに寝床を並べながら、
二人とも、自分たちの殺されるのも知らずに眠っていた。》

《少なくともはっきりとは目を覚まさなんだ。》

《よく眠っていたものだな、》

作家   そこでわたしは偶然を偶然として書いて、読者に必然の思いをさせ  るのが、この際の小説家の手腕であると知りながら、やはりなにか必然を道先案内人に立てたくてしかたないのは、わたしがやくざな小説家だからだろうか。

悪魔   よく眠っていたものだな

作家   ということばさえ素直に信じられないのはそのようなさがゆえにまともに愛する事もできない、我が身の因果であろうか。


①鑑定質
     山辺三郎。鑑定人
     犯人、山辺三郎が鑑定を受けている。
  

鑑定人    滝子は闖入者が被告人であることをしっておったか。

山辺三郎   知っておりました。「三郎さん手を切ったわ」と言いました。

鑑定人    被告人であることがわかるまでには。もう少し騒ぎそうなものだが、どうか

三郎     べつに騒ぎませんでした

鑑定人    首をしめるとき、滝子は別に抵抗しなかったか

三郎     しませんでした

鑑定人    そのとき蔦子は?

三郎     滝子の傷を見て、蔦子が驚いてはいけないと思って、蔦子を縛っておきました。

鑑定人    蔦子はなんにも言わずに手足を縛らせたか

三郎     なんともいいませんでした

鑑定人    ほんとうか。被告も無言で縛ったか

三郎     黙ってしばりました。

鑑定人    それから猿轡をはめたか

三郎     そうであります

鑑定人    その上、目隠しをしたのか

三郎     そうであります

鑑定人    それでも蔦子は抵抗しなかったか

三郎     そうであります
      
        笑い声。滝子、蔦子うしろに現れる。
        滝子は胸に手をやっていて、そこからは血がでている。

滝子    三郎さん、おどかしちゃいやよ。刃物なんか持ってるから手の指をきったわ。

蔦子    三郎さん、おどかしちゃいやよ。私は眠いから寝るわ。

          溶暗、三郎と鑑定人退場。

②滝子。蔦子の家。
     
          滝子、蔦子。おもいおもいに座っている。
          滝子の胸から血は出ていない。

滝子     夏の着物、新しいのが欲しいわねえ。

蔦子     このあいだ、先生の奥様が買って下さるとかいってたじゃないの、わたしたちに。

滝子     あら、そうだった。じゃ、もうじき手に入るってわけね。暑くってたまらないわ。

蔦子     なんだか、申し訳ないみたいね。

滝子     いいのよ、これでも役に立ってるんだからわたしは。
       このあいだのお客さんがいらしったときに私先生とお客様のお相手していたでしょう。堅ッ苦しさがやわらぐんだって。先生がもういやになってきたなーってところでわたしが席をいなくなれば、お客様だって居づらくなるでしょう、こういう細かい役にたってるの。ところであなた暑くないの?

蔦子     わたしは、いくらか我慢するわ

滝子     いいのよ、そんな我慢なんてあなた。わたしたち未来の作家なんだから。先生は女の作家なんかいませんよっていってたけど、わたしたちはきっとその作家になってやりましょう。

蔦子     じゃあ、滝ちゃん、恋愛でもするの?

滝子     まあ。そんなこと、わからないけれど。

蔦子     そうでもしなくちゃと言われたのでしょ

滝子     いやあねえ、なんだってそんな事いわれなくっちゃならないんんだろう。

         蔦子ニヤニヤしている。

滝子     あ、もう。笑っちゃいやよ。ばかばか。

          滝子、蔦子に飛びかかる。

蔦子     ごめんなさいごめんなさいったら。

          二人笑い会う。
          
          暗転

③さまよう山辺三郎

《その日三郎はよるべなくさびしかったのである》

作家     彼は失業者であった上に不浪人に近かった。けれども彼は正気を失った人間ではなかった。泥酔してもいなかった。

山辺三郎     いったいに私は、夏の七月と八月が変なんです。家を飛び出したのも八月ですし、その頃になると、妙にこうじっとしていられなくて、なんかにいらいら追い立てられるのか、自分でもそわそわするのか、夜の夜中でも、ああ、そうです、特にその、暴風雨のときなんかは、表に出て滅茶苦茶に歩き回りたくなって、自分で自分の心がおさえつけきれなくなります。

《犯行もまた八月一日の午前二時頃から四時頃までの間であった。その前日も山辺三郎はあさから夜中まで、めあてのあるかのようにまたないかのように、街を歩き回ったあげく最後にたどり着いたのが滝子たちの家だったのだ。》

三郎       私はもう、その近くに下宿をしているのではありませんでした。
         私は私生児でした。母は看護婦として働いていたときに私を産み、父の名は誰にも明かす事を拒み続けて、私の七つのときに腸チブスで死にました。
         戸籍上は母の弟の実子として届けられ、里子に出されましたが、3歳のときに引き取られて、主におばあさんに育てられました。


④五年後の作家の家

作家、書類を読んでいる

作家       「幼い頃は女の子のようにおとなしく、隅っこで、玩具いじりをしていたりしたが、どうかすると陽気にはしゃぎ出し、遊んでいるかと思うと、突然ものに怯えて泣き出すことがあった。

           三郎のイメージ現れる。

三郎        実業高校を退学して、養父と衝突し飄然と家出をしたこともありました。

作家        家庭の事情や家出は、蔦子と似ているな。
          
三郎        機械を扱う仕事をあれこれ見習ってみた末自動車の運転手の免状を取りました。乗り合い自動車に勤務し、滝子さんたちの近くに住んでいた頃は、一生のうちで一番正業についたと思われる時期でした。

作家        女車掌との間を疑われたと、仲間と争って出てからは、三四円の、円タクのガレージを歩いたが、そこでも落ちつけず、とうとう自動車修理工場に入った。

三郎        そこも七月の中頃に追い出されました。

作家        兇行当時は祖母の家に寝泊まりして職を探していた。

⑤鑑定室

鑑定人(作家)    被告人がその二人を殺した前後を詳しくのべてみよ。

三郎        そのとき、門前のガラス戸をひっぱってみましたら、まだ鍵がかかってなくてあきましたので、中へ入りましたが誰もおりませんから、滝子と蔦子は風呂にでも行ったんだろうと思って、玄関の板に腰掛けて、うとうと居眠りしていると、表の方から二人が夜中らしくなく陽気に話しながら帰ってくる声が聞こえましたので、こいつひとつ脅かしてやろうという気になり、隅にしゃがんで隠れとりますところに、二人がガラス戸を開けて土間へ入り玄関に上がりかけたら、私はわあっと大声と一緒に飛び上がりますと、二人はきゃっと叫んではだしのままガラス戸の外の敷石のところまで飛び出しましたが、かねての知り合いの私であるということが分かったので、私の顔をみて笑いはじめ、大きな声で笑いまして、もとのように中に入ってきましたので、私はその場で二人とほんとうにとりとめのない話しをして、三人でにぎやかに笑いました。

⑥五年後の作家の家

作家     彼が七月三十一日に街を歩き回ったのは不思議はないようだが、その三日前、養父が突然祖母の家に来て、勘当同然の三郎をかばっているところから、二人の喧嘩となり、養父は俺の家に来いと、力ずくで三郎を引きずり出そうとまでしていたので、明くる朝三郎は横浜在に産婆をしている叔母のところにしばらく避けようと、祖母に汽車賃をもらい、着替えなど入れたバスケットを持って、家を出たのだった。

⑦滝子、蔦子の家

        三郎の独白と動いている人は別のひと。
        動きは独白の内容のように再現。

三郎N    二階にあがりますと、電灯は消えておりましたけれども、表通りの電灯の光で薄明るかったからよくわかったんですが、蔦子さんは裏の方に、滝子さんは表通りの方に、北枕で寝ておりました。私は部屋に入って
(おい、起きろ)
と声をかけましたが、どっちも目を覚ましませんので、表通りの南の隅の蚊帳の吊り手を手で引っ張って切りましたが、やっぱり起きませんから、蚊帳の中に入っていって、二人の真ん中に突っ立ってまた、
(起きろ。)
と大きな声を出しました。それでもまだ目を覚ましません。そこで、仰向けに寝ていた滝子さんの胸のあたりに跨がって、中腰になり、右手に短刀を持ち、切っ先を内側に向けながら、左手で揺り起こしますと、滝子は伸ばしていた膝をすこし横にねじ加減に立てると同時に起き上がったのでありますが、それで(あれえ。)と声をたてましたから、私は階下から持ってきていた二三本の手ぬぐいで滝子の口を抑えようとしゃがみました。


    滝子に馬乗りになり、出刃包丁を突立てている三郎。

三郎     “ほんとうにびっくりしたわ、ひどいわ”と滝子さんが言いますと、“もう今度は驚かないわ。”と蔦子さんもくやしそうにはしゃぎました。
“さっきのびっくりした恰好はなかったよ。”と笑いますと、“あの時はおどろいたけれど、こんどからはもう驚かないわ”“もう一度びっくりさせたらえらいもんだわ”と言いました。

滝子       三郎さん、脅かしちゃいやよ。刃物なんか持っているから手の指を切ったわ。 

《強盗ヲ装ウベク変装覆面シテ、同日午前二時頃、滝子及ビ蔦子ノ寝室ナル二階六畳間ニ上リ行キ、所携ノ短刀ヲ抜キ放チタル儘、熟睡中ナル同人ニ声ヲ掛ケタルモ、容易ニ目覚メナリシニヨリ、更ニ仰臥セル滝子ノ上ニ跨リテ、短刀ヲ其胸部ニ凝シツツ、其肩ヲ掴ミテ揺リ起コシタルニ、同人ガ驚キテ両脚ヲ屈曲シ、其ノ膝ガ被告人ノ臀部触レタル為メ、被告人ノ身体ガ前方ニ倒レ、其途端ニ短刀ガ滝子ノ胸部ニ深ク刺入シ、意外ニモ重傷ヲ負ハシムルに至リタルニヨリ、被告人ハ傷口ヲ見テ大イニ狼狽シ、斯クテハ滝子ハ結局死ヲ免レザルベケレバ、寧ロ騒ギ立テザルニ先立チ、同人ヲ殺シテ逃走スルニシカズト決意シ、直チニ有合ハセノ腰紐及ビめりんすの腰巻ニテ、其頸部を纒絡絞圧シ、窒息セシメ、以テ同人を絞殺シ、而シテ一方蔦子ハ此時目ヲ覚マシ、被告人ノ侵入シタルヲ覚知シタルモ、兇行ニ就イテハ未ダ感知スルトコロナク、而モ知リ合イノ間柄トテ、深ク意ニ介セズ、其儘再ビ眠リニ陥リシガ、被告人ハ蔦子の口ヨリ事ノ発覚スルを虞レ、更ニ同人ヲモ殺シテ逃走スルニシカズト決意シ、犯意継続ノ下ニ時余程経過したる後、階下ヨリ女物一重帯ヲ持チ来タリ、之ヲ同様蔦子ノ頸部ニ纏絡絞圧シ、窒息セシメ、以テ同人ヲモ絞殺シテ、逃走シタルモノナリ》

三郎      わ、わ、わ。 
         
蔦子      三郎さん驚かしちゃいやよ、私眠いから寝るわ。

         三郎、蔦子に猿轡と目隠しをして縛る。
         滝子の方にいき襟を柔道の絞め方で絞める。

滝子        いやよ、いやよ、いやよ、いやよ。……。(声をたてなくなる。)

          三郎、滝子の首を絞める。滝子動かなくなる。
          三郎さらに紐で首を絞める。
          絞め終わると三郎、蔦子のねているところに行って蔦子を眺める。

           暗転。

⑧鑑定室

鑑定人    ではいつ、滝子を刺したと解ったのか。

三郎     そのうちに血が噴き出して、血が寝間着にうつりましたので分かりました。しまった!と思いましたが、実を申しますと後はよくわかりませんです。しかしまるっきりわからないはずはないと思いますけれども、こうだと言われるとそのような気がしますし、また確かにそうじゃないと強いことは申されんのです。

鑑定人    では蔦子を絞めたときのことは、実際はよく記憶に無いと言うのかね。

三郎     なんしろ、警察でお前のやったのはこうだったろう、ああだったろうと教え込まれております上に、予審や検事局の調べで、またおんなじことをなんべんもしゃべらせられて、今はそういうもので頭が出来てしまっていますから、その通りに繰り返すのなら、いくらでも言いますが、ほんとうのことはいくら正直にしようと思っても申し上げられんのです。

鑑定人    鑑定人には、自分でよく覚えていることと、覚えていないこととを、正直に答えてもらわんと、鑑定ができんのだが。

三郎     実際もうしますと、気がついた時は、窓が明るくなっていて、表を人が通ったので、はじめて起き上がりました。なんでも、二人の死体の傍に寝ころがっていたようです。

鑑定人     その家を出たのは何時頃か。

三郎      雨が降っていました。明るくなっていました。

           雨の音。外にも雨が降っているのか。

⑨作家の家
 
作家     こんな風に被告の供述が、その度ごとにすこしずつちがうのが、滝子の血を見て驚きのあまり意識朦朧としていた際のゆえであろうけれども。

三郎     公判でも全部認めて来ています。どっちにしたって知らないと言える道理はありませんし、どんな判決にも服するつもりでいますから、こうしたろうといわれることは、どれも、しなかったと言い張りたくはありません。けれども。
どうして蔦子さんのほうが先に目を覚ましてくれなかったんですかしらん。

作家     しかし、彼は滝子に跨がりながら、そういう恰好を蔦子に見てもらいたいと思っていたのではなかったろうか。
滝子を驚かしながら、ほんとうは蔦子を驚かしたかったのではあるまいか。
蔦子先に目を覚ませば、滝子の胸に短刀を突きつけている三郎を見て、あれえっと驚くとは限らず、にいっと笑って三郎と狡そうに目を合わし、急に二人の隔ての取れることもあろう。そこまでは夢見ずとも、蔦子に恋しているから滝子を嚇かすことなんか、恋愛の常識第一歩ではないか。

悪魔        ぽかりと宙空に浮かんだもの、いわば根も葉もない花だけの花、物のない光だけの光、そんな風に扱いたかったらしいが下根の三文小説家に、さような広大無辺のありがたさが仰げるか、ざまをみろ。
          ほんのたわむれだと信じて、息が止まるまで殺されると思わず、さからいひとつせず、お前の膝を枕に眠ってくれるような、そんな神か悪魔のような殺し方がお前にできるかね。奇跡だ、それは。


⑩滝子、蔦子の家

            座っている三郎

鑑定人        (兇行当時隣家で人が梯子段を下りるような足音を聞きつけなかったか。)

三郎         そんな足音は聞きませんでした。もっとも、私が滝子を殺してから。二時間ほど経つと近所の赤ん坊の泣き声が耳に入り、次に二三軒先の牛乳屋の方で物音がしましたから、誰か入って来はせぬかと重い、下へおりてみたら、そのうちにまた牛乳屋から男と女のむつまじそうな話し声が聞こえたようで、隣の家の梯子段の音は知りませんが、牛乳屋の声で、これはぐずぐずしてられん早く蔦子を殺してしまわねば、と思って、下の部屋から帯のようなものを取り、梯子段の中途に置いてあった麻縄を持って、二階へ上がりまして、蔦子を絞め殺したのであります。

《赤ん坊の泣き声も幻聴の作り話だと、鑑定人に告白した通りすべては信じられない。》

               赤ん坊の声。

三郎      小田急の切符を買って急いで乗りました。雨が降っていました。

⑪作家の家

作家        このとき山辺三郎は二十五歳、滝子は二十三歳、蔦子は二十一歳、そうして私は三十四歳であった。五年前のことである。

  《何だ、これは俺が三人のために作ってやった小説じゃないか。》

作家  色は匂えど散りぬるをの三人の霊を弔いたい微意で私はこの一遍を草した。滝子や三郎の、殊にあるかなきかの蔦子の遺族や縁者の目に触れ慰めになれば幸甚この上ない。

end

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