心の生い立ち 《陳情令の沼で考える》

ネタバレ必至です。お気をつけて・・・。

昨年、2022年9月。ようやく「陳情令」を見た。
5月頃から友人に「絶対に見て!!」とい言われながらも
【全50話】  に心がひるんでいた( ;∀;)・・・長っ・・・!💦
ところが。
わずか3週間あまりで完走した。
待てよ ?これは・・・。

というわけで、沼入りした経緯はほぼ割愛します(笑)(長くなるし
ここで書きたいことの芯から外れるので)

とはいえ (=゚ω゚)ノ
初回視聴後、心に残った言葉は 「雲深不知処に連れ帰り 隠します」
二回目視聴後、「俺の心の在りようなんて 他人にわかるはずがない」
三回目視聴後、「俺はお前のなんなんだ」「私はお前のなんだ」
その後も・・・「人の心は 火のようにも見え、氷のようにも見え」
などなど、たくさんたくさん、何度も繰り返し視聴してきたからなのは
当然の理由だろうけれど、これらすべての言葉(台詞)。
深い意味があっての、この表現方法に至った のがわかってきた頃には
もう、この沼からは数年は出られないな  と覚悟したのです。ハイ…。

「陳情令」というドラマには 一つの大きなストーリーがあって

そのストーリーの布に細かく、まるで刺繍のようにそこかしこに編み込まれていくたくさんの伏線(サブストーリー)と共に、登場人物たちが、各々の人生を生きて 喜び、慈しみ、怒り、悲しみ、悩み、苦悩しながら
織りなしていく一枚の大きなタペストリーのようだ。

物語全編で出会う多くの「言葉」に惹かれた私は
人物像をこれなくしては語れない「心の生い立ち」の視点から
考察したくなった(したくなった、というのがいかにも沼民らしくないですか?)
笑(#^^#) ✌

親からの遺伝情報と、おかれた環境によって人物は形成される、とは
言わずもがな。

例えば。
雲夢江氏「魏無羨(魏嬰)」
幼い頃父母亡き後、放浪していたところを江楓眠に引き取れられ、養子となり子息の江澄と義兄弟となった。
姑蘇藍氏「藍忘機(藍湛)」
藍氏の第二皇子として生まれたが、その幼少期に父と母と別れることに
なり、厳格な叔父上に育てられた。
蘭陵金氏「金光瑶」
父親である金光善が妓女に産ませた子。幼少時より周りから「妓女の子」と
蔑まれて生きてきた。

この三人の共通点は、まさしく 《早くに母を亡くしている》ことだ。
そして重要なもうひとつの共通点が
《母親にとても愛された記憶を持っている》ことだろう。
ではなぜに。なぜ行く道がこんなにも違ってしまっていくのか。

運命とは なんて残酷に克明に、環境要因を刻ませていくのだ。

ひとりずつ。

魏無羨の性格は よく「自由奔放な」と表現されることが多いけれど
私の視点では 少しだけ環境要因を足したいと考えている。
《放浪していたところを江楓眠に引き取れらた》という環境により
元来のもって生まれた明るい性格に、〖どこか遠慮があり、どんな時でも
えへへと笑って生きていく〗という個性が足されていったのではないか。
「面と向かって褒められることが苦手なんだ。怖くなる」と口にする理由もそこから窺える。
心のどこかで常に《自分をあきらめている》ようにも思われる。
このドラマの世界観上、「死」というものに対して意味するところが我々の住む現実社会とはかなり違うからかもしれないが、特に魏無羨に関して言うと、結構何度も自分の「死」についての台詞が出てくる。
玄武洞で屠戮玄武と対峙した時、彼は言う「運悪く殺されたとしても(中略)恥にはならない」(※この時の藍湛の表情もまた意味深い…)
窮奇道で温氏らを助ける場で藍湛が立ちはだかる。そこでも魏無羨は
「勝負したい。死んだところで 少なくとも 含光君の手で死ねるんだ
悔いはない」と「死」を口にしている。
「死」は運次第であり、悔いのない「死」もあると彼は言っている。
先述した《自分をあきらめている》ことの一つの答えにはなっていないだろうか。
そんな彼が、無意識に心の拠り所にしていたのが《この魏無羨 一生悪をくじき弱きを救えるように》という志なのだ。
この《志》は一貫して彼を導いてきた。《心に恥じぬ生き方》を貫くことは
ひいては 本当の意味で自身の魂を安住の地へといざなってくれる光明なのだと。まさしく、志であり、拠り所であったと思う。
象徴的な出来事が 江澄に自分の金丹を移したことだ。
魏無羨は言うのだ。
「江氏への恩返しだ」
魏無羨にとって、この世の中の是非はとても単純で
《自分の心に恥じるか 恥じないか》だ。
そして、恩返しとして金丹を差し出した挙句、乱葬崗に捨て去られ、
結果、陳情笛を手に、悪と戦うことになっていった。
夷陵老祖と呼ばれ、剣を佩くこと(正道)に背を向ける魏無羨に
世人のみならず、身内の江澄でさえ容赦なく罵詈雑言を浴びせ、
四面楚歌に至る。真実は、魏無羨の中に固く封印してしまった。
そして、たどり着く先が「死」である。

では、魏無羨は江澄に恨み言を言ったか?思ったか?
否。なのである。
江澄が温逐流により金丹を消された
    ↓
自分は無価値の人間だ、と自暴自棄になる(抜け殻江澄)
    ↓
魏無羨が金丹の再生方法を見つけ出す(それは禁じ手だった…)
    ↓
魏無羨が江澄に自分の金丹を移す
    ↓
「恩返しだ。 忘れてくれ」
    

「恩返しだ。 忘れてくれ」
個人的には、数ある中でも、魏無羨という人物を心底
愛おしく思えたシーンである(もちろん、全編通して好きですけどーー💛)

《愛情をもらって育った人は、他人にも愛情を与えることができる》
魏無羨がまさしく、そんな生い立ちの人間だ。
ただそこに。
そこ(愛情を分け与える対象)に「自分」が入っていなかっただけ・・・。
(※沼民の声  この危うさが・・・。もう、ほんと守ってあげたくなる
  (´▽`*)❤)

彼は、すべての出来事を自分の中で完結させていく。
これは、まさしく、彼の生い立ちが彼を形成していった。
彼の人物像そのものをよく表していると思い、納得する。


藍忘機の生い立ちの詳細については、兄の藍曦臣の語りからしか
推測できないが、やはり、母からとても大切にされていた(愛情を受け取っていた)ことはその後彼が身に着けていく穏やかさから想像がつく。
姑蘇藍氏。
3,000以上の家規があり、その教えの厳しさは物語前半の
雲深不知処で行われた座学の様子でわかる。
 ※家規のほんの一部分
  ・修行に励み 功徳を積む
  ・命を慈しみ 忠義孝行し 己を正して人を導く
  ・人の短を明かさず 人の長を誇示せず
  ・悪を暴き 善を掲げ
  ・取るより譲るべし

「忘機には執着がある」と、兄の曦臣は言う。
この執着は遺伝的因子と、環境的因子が双方起因していると
想像できる。
母に対する思慕の念が、まだ幼い忘機のなかにはあふれていただろうし、
母の愛情を全身で受け取れていた幸せな時間はながく続かなかった現実に
感情も思考も混乱し、惑い、なすすべなく母を待つことしかできなかった
幼い忘機・・・。 待つことが、母との時間への最短であると。

ひとつ、付け加えれば
兄の曦臣も忘機も、厳格な叔父上の庇護のもと、確かに愛情を与えられて
育てられてきた、というのも事実である。ただ、その厳しさゆえ(母を嫌っていた叔父上の手前)母に対して抱く思慕の念を表に出せないまま成長してきた、奇妙な生い立ちの兄弟である。
では、兄の曦臣は。
このわずか数年の年の差は、この年齢時の心的成長の途上ゆえの
隔たりを形成する。 少なくとも、周りの環境や母と自分たちの繋がり方を(叔父上の言動からも)当時の幼い忘機よりも、理解できてきていたと思われる。
厳格な叔父上。しかし、雲深不知処での静かで穏やかな時間の流れが
兄弟の人間形成に重要な要素であったのは事実であるだろう。

成長してからも、姑蘇藍氏の厳しい家規を日常とし、雲深不知処で厳しいが
それでも心穏やかに暮らしてきた。

藍忘機の人生の転換点は まさしく魏無羨との出会いだ。
起きた。「目覚めた」 とするべきか。
《何が正道で何が邪道か》に悩む忘機の姿は見ていて辛い。
家規は彼にとって絶対的なものであり、身体の隅々まで刻まれている
バックボーンとなっている。
 藍氏の教え(バックボーン)と、自分自身の奥底から湧き出る心の在りようとの間に齟齬を感じ始め、悩み、苦しむ忘機。
彼は一度、兄の曦臣に尋ねている。

忘機 「兄上。世の出来事は すべて定法に則ると。」
曦臣 「(略)世に定法なし。事の真理は是非だけでは決められぬ。」
忘機 「是非を尺度に出来ぬとしたら どうやって心を測ると?」
曦臣 「人が人であるのは ーー
    是非だけで語れるほど単純ではないからだ。
    判断するにも白黒だけで断じるのではなく 心の標に従え」

このやり取りが、藍忘機を目覚めさせていった。
下界(雲深不知処以外の場所)と隔絶された世界で、いわば
「純粋培養」で成長してきた忘機にとって、魏無羨にむけるまなざしは
受け入れがたい異世界の許されざる者(家規をへとも思わない不届き者) から 同じ志を口にする者 へと受け取り方が変化していく。
忘機の得難いまでの曇りなき眼は、魏無羨という人間の本質を
じっと見極めようとする。あらゆるシーンで、それが窺える。
この、じっと見極めようとする姿勢こそ、雲深不知処で育った忘機の
人間性をよく表現している。
家規3000条以外の範を標としてこなかった(する必要もなかった)忘機に
とって、同じ志を持ちながらも全く異なる環境下で生きている魏無羨の言動は、今まで経験したことのない戸惑いを生み、彼を翻弄していった。
そうして、心の示す方向をはっきりと自覚し始めた時、《魏無羨の知己でありたい、自分にはその資格があるのだろうか・・・》と自問自答する忘機。
もって生まれた穏やかさと、雲深不知処で流れる穏やかな時間が、魏無羨の知己たる己の覚悟を醸成するのに不可欠な要素だったのはまちがいない。

話は少し筋から離れますが、(どうしても書きたい!(-ω-)/)
忘機は、詭道を身につけた魏無羨のことを心から心配するのだが
魏無羨とは、気持ちのズレから、お互いを信じることができないでいた。
乱葬崗に捨てられ、陳情笛を手にした魏無羨に
藍忘機「古より例外はない。身体だけでなく、心まで蝕まれる!」
  (※めちゃ心配している忘機…でも、気持ちが届かない… 辛い)
魏無羨「俺の心の在りようなんて 他人にはわかるはずがない」
  (※自分の中に固く封印した真実を現実から葬り去ろうとする決意
    のような台詞で …辛い)
このあたりの二人のやりとりは本当に切迫感がある。

箸休めとしてお伝えしたいのは 
魏無羨が16年後、莫玄羽となって蘇ってからの二人は
まるであの頃の疑念をお互い打ち消すように、
「俺を信じるか?」 「もちろん」
「・・・信じるか?」 「あたりまえだ」
というやり取りをするのだ💛
すでに固い絆で結ばれている二人を目にできる沼民は
幸甚でございます✨✨(#^^#)


《心の標に従う》ことが、姑蘇藍氏の厳しい家規を解としないことになるという、残酷な現実。自分の中から出ようとするものを出そうとすることがこんなにも困難なことであると苦悩しながらも、藍忘機は、
自分は魏無羨の知己である、ありたい、と、(おそらく)生まれて初めて
自我を通したのだと思うと、これを覚醒と呼ばず、なんと呼ぶ・・・
藍忘機が魏無羨と出会っていなかったら。
きっと、それはそれで、変わらぬ藍忘機なのでしょうね。(この揺るがなさね…。惚れます(*´▽`*))
運命って、後付けでいいと思ったりしている。特にこの二人。

魏無羨と藍忘機。まったく違う環境下で育った二人の共通点は
愛情を注がれた記憶が土台としてあり、どちらもが、その愛情を信頼満ちる
世界で受け取っていたこと、だろうと思う。 
一番大切な「感情の安定」をもたらしていたのだな・・・


最後に 金光瑶。
彼に関しては、とても複雑な環境と生い立ちが色濃く彼の人間性を形成している。
最初に結論書きます。
(金光瑶の悪行の数々は、書き連ねても胸糞悪くなるだけなので、ほぼそこ  に触れずに。)

金光瑶があのような末路に至ったそもそもの元凶は、
彼を「妓女の子」と言い続け、虐げ蔑み、汚物のごとくに扱い、彼の人格さえ否定し続けた、周りの人間たちだ。そんな類の人間しかまわりにいなかった。
金光瑶が、魏無羨と藍忘機の二人と明らかに違うのはただ一つ。
出会った人間が悪すぎた、ということに尽きる。
母亡き後、出会った人がもしも 江楓眠だったら世界は違って見えたはず。

人は、侮蔑感情にさらされ続けるとどうなるのかを見せられた気持ちになってなんとも胸が・・・
母親(孟詩)は妓女であったがおそらくは知性と容姿を兼ねそろえた人物だったろうと想像できる。(金光瑶の頭の回転の良さは母譲りとみた)
金光善は、その容姿のみを欲し、彼女の知性を《知性のある女は面倒臭い》と一蹴した。母の教えを思わせるのが、 金隣台のてっぺんから最下段につき落とされた孟揺(金光瑶)が、額に血を流しながらよろよろと立ち上がり、はるか最上階にいる金光善に視線をむけつつ、着物の合わせの乱れを直すシーンだ。《男子たるもの、身なりはきちんと整えて》という母の教えなのだ。このシーンで、孟揺という人物本来の静謐な気質を確かに感じたと同時に、なぜ。こんなにも能力ある人間がなぜ。あんなにも虐げられてしまうのか。彼はなぜ、生かされなかったのか。あまりに理不尽ではないか

悪行を重ね続け、もはやその感情は恨みなのか憎しみなのか、仕返しなのか
権力に対する顕示欲なのか、自分でも制御の利かぬことの連続に翻弄されてやがてすべての結末を迎えることになる。

最後に、このドラマを見ている私たちに、彼に救われた と感じさせてくれたシーンを。

彼にとって、藍曦臣との出会いが、唯一の救いであった。
この出会いは、本来の彼の穏やかな知性ある人間性を失うことなく、潜在的に持ち続けられた奇跡だと思う。
観音廟内で二人は対峙する。聶懐桑の策略により曦臣の剣が金光瑶の胸を突き刺す。
《私は 貴方だけは傷つけようと思わなかった・・・。なのに なぜ…。》
金光瑶の言葉一つ一つに、答えを探す、まっすぐな曦臣。

金光瑶は言う
「・・・一緒に死んでもらえますか」
金光瑶に肩をつかまれた曦臣は、左手のひらを金光瑶にむけて 反撃態勢に入る。しかし。曦臣は、逡巡する。彼に対していつもまっすぐな金光瑶が
“一緒に死んで”と言う。 刹那、曦臣は(憶測ですが)
一緒に死ぬ道もあろう・・・。と左手を解除(反撃態勢を解く)した
瞬間。
金光瑶は曦臣を自分から遠ざけるように突き飛ばしたのだ。
あの刹那。
金光瑶は曦臣に救われたのではないだろうか。
ああ。この人になら 本当の私を知ってほしかった
この人だから 生き続けてほしい
自分を信頼してくれた大切なひと

最後の最後に、本来持つ、彼の穏やかな知性ある人間性が
曦臣によって顕在化したのではないだろうか。
私の目にはそう見えて仕方なかった。あれはまさしく
金光瑶が救われた瞬間だった。  私も救われた…。

出会う人間が違っていたら、と考えると、
この世のすべての出会いが人生に大きく影響することの怖さを
感じずにはいられない。
それでも、私たちには、抗う手段がきっと無数にある。
人間関係は自分で築くものだから。


長くなってしまいました。
「心の生い立ち」に焦点を当ててみました。

この「陳情令」は本当に奥が深くて深くてもう・・・
深海に潜って、しばらく浮上できない私です。
視点を変えればいろいろ書きたいことが出てくる気がします。
このドラマ。日本上陸から今年でもう4年になるそうですね。
私はまだ出会って半年でもはやこんな沼民になってますもん。
この先もたくさん考察したいと思います。

書き始めると長くなってしまうのが私の欠点(💦)
読みづらくてすみません。

一緒に陳情令のこと、話題にできる方がいらっしゃれば嬉しいです✨✨(#^^#)

[※書いている内容はすべて、個人的な視点からのものです。
公式見解と全く異なる部分もあるかもしれません。
きっと多くの沼民がたくさん考察されていると思いますので、
そのうちの一つ、として読んで下さい。 ]


らんこ☆彡























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