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主述の一致を目指して。

最近、文章を書くという事が自分にとってすごくハードルが高くなっている気がする。心当たりは二つある。

一つ目は、家の人が言葉を生業にしているためである。
青い逆三角形に数字がついた国道標識のごとく、理路整然とした4車線道路のような明快さ、且つドライブ感で読み手をぐいぐい引っ張っていく家人の文体すげえなといつも思う。
一方で、うーうー言いながら書いた文章を時々彼に添削してもらう私は、「主述が一致してない」とよく言われる。「何が言いたいの?」ともよく言われる。言われすぎて最後に私が逆ギレする。(添削をお願いして逆ギレする自分の器の小ささに落ち込むが、五十肩の人に「腕もっと上がるでしょ?」って言われているような理不尽も感じている。)
あと、晩ご飯前に台所でその日関心を持ったニュースや出来事について話をするときに「最初の話どこいったの?」と時々言われてしまう。主語が述語までたどり着けない。常に話迷子。
私は概念相手に文章を書いてない。とはいえ、「これは自分の分野ではないな」と文字を書く事に尻込みするようになってしまった。

二つ目は、英語環境に一年いて、自分がこれまで日本語で話していたように、英語だと話せないという経験に気づいたこと。
それまで英語を全然話せないことにあまり自覚的でなかったからノリと勢いでなんとかなってたけど、向こうで仕事の交渉など細かいやりとりをできないことや、Facebookで展示の告知を書こうとした時に、思うように言葉が出てこない。
グルーブ感が全然ない。
アンビエントさもない。
(母国語での日々の会話も、「すごい、やばい、あれ、それ」とかだけで成立してることはとりあえず置いておくことにする。)
英語で書くと、自分が全然違う人間になった気がする。
シンプルな口数少ない私の文章からは、昔自分の髪の毛で書き初めという誰にも求められていないパフォーマンスをするは感じられない。
語学習得の発展途上において、新しい人間になっていくような感覚と同時に、「あれ、自分どういう人間だったっけ?」という疑問がむくむく出てきた。

この二つについて考えるために、日々思った事を書いていこうと思う。
歯が弱ってきたから硬いものを意識して食べるようにするくらいの筋トレ感と、備忘録としての日々を垂れ流します。

いつまで続くかわからないけど、続いた先に何かしら断片が見えてくることを期待しつつ。

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