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ラジオ遍歴

私タイトル考えるの苦手なんですよね。
なんか凝ったこと書かなきゃとか思っちゃって。
なのでシンプルにしてみました。

で、なるべく文も簡潔にいきたいところです。これ書いてる時点で簡潔とは程遠いところにいるのですが、それを指摘するのは野暮ってもんでい。

私のラジオの原点はたぶんこの番組。

クラリネットポルカを一体何回聞いたことか。母型の祖父母の家は常に朝日放送が流れてるんですよね。ちなみに私が根っからの虎党なのもたぶんここから。

時系列的にはひょっとすると前後するかも。父親も車の中では割とラジオをよく聞いていました。特に私の習い事の送り迎え。合唱団から帰る車の中で聞いた安部礼司がまだやってるんだからすごいよなぁ。去年私が作ってたSUB CULTURE LAB.というFM!の番組も、この頃の番組のパクリ”オマージュ”です。

時は流れて2016年の夏。誕生日。あ、8月生まれなんです。夏男。
イメージと違うといわれても困りますが。
ともかく、その年の誕生日にポケットラジオを買ってもらいました。高2だった当時はガラケーしか持たせてもらえなかった分、通学時間の娯楽に飢えてたのが大きかったんでしょうなぁ、と今思えば。
何しろそこで@FM(今のFM AICHI)という局にはまりまして。ずーっとそこ一辺倒でした。スタジオも結局3回くらい行った気がする。

3回目に行く頃には私ゃ大学生になってましたね。まだFM!も立ち上げる前。放送系団体がなくて悶々としてた頃だったので、エフエム愛知の社員さんに直談判してバイトさせてもらおうと、履歴書まで持って殴り込みました。あの社員さん元気かな。無事その道にいますよ、なんて。

割と時を同じくして、友人から「ラジオのゲスト出てみない?」と言われたのが、正直今の私を方向づけたすべてかもしれません。ノープランで見学のノリで行った先で、同じ学部学科の先輩がMCしてるんですよ。唖然茫然、青天の霹靂。その場の勢いで私は大学に放送サークルを作ると宣言しちゃいます。ちなみにその先輩、今も同業者でこの前飲みに行きました。

ここから先はたいして面白いこともなく、毎日「ラジオ局 バイト」で検索してたら地元の局がバイト募集かけてたり、友人がラジオ局のバイトに応募したというので頼み込んで働いたり。

で、就活ですよ。正直、ラジオ以外なら一般企業、って言って実際一般企業もそこそこ受けました。内定ももらいました。今の会社の最終面接で、
「ここ受からなかったらその会社行くの?」
って言われたのが印象的ですね。このラジオバカを無関係の所に行かせるのはかわいそうだ、って慈悲が働いたんでしょうね。ウケる。
ウケてる場合じゃないや、弊社には足向けて寝られません。ベッドの方向的に。

ま、そんなこんなでのらりくらりとここにいます。やめさせられない限りは、この業界にしがみつくんだろうなぁ。だって好きなので。ラジオ。


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