未完か完成か?日本製原子爆弾

画像1 かつて東京・本駒込にて、原爆の開発が進められていた。研究責任者の名前を取って《二号研究》と呼ばれた。 しかし開発費用も研究者数も、米国の砂漠に設けられたそれとは雲泥の差だった。 福島で掘り出され、少年たちが素手で採石したウランも、使える代物ではなかった。 空襲を避け研究所が移されても、暗号は筒抜けだった。 広島に原爆が投下された後、研究者らは現地に赴き、「完成できなくて、良かった」との思いを心の内に秘めたと言う。 後日、数名の研究員が多くの研究資料を川に廃棄した。 #仁科芳雄 #F研究 #興南 #原爆

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