見出し画像

信じなくてもOK。表現者にとって一番たいせつな「スペース」をつくるためのものすごく簡単な方法。

すでに20年近く前のことなので、知らない人も多いだろうけれど、私は作家としてデビューした時に「インターネットから生まれた最初の作家」と言われた。実際にそうだったと思うよ。

ネットでメールマガジンを配信していて、それが話題になって小説を依頼されて、その小説が売れて「文学界」とか「新潮」とかそういう文芸誌に作品を書くようになったわけだから。だから、私の故郷はネットで、長いことネットでタダの文章を書いていた。(今もこうして書いておりますが……)

よく「なんでタダでそんなにたくさん書くんですか? モチベーションはなんですか?」って聞かれたけど、書くのが面白かったからだよね。それ以外にはない。

そのモチベーションが見つからないという人のために、昨年は「クリエイティブ・ライティング講座」をやっていたけれど、応募者がめっちゃ増えてしまい、しかも北海道や九週から、飛行機や夜行バスで通って来てくれる人も多くて、申し訳なくて本気を出し過ぎてくたびれたので、現在は休講中だ。

実際、クリエイティブ・ライティングはクリエイティブな状態を体験してもらうことが目的だから、みんながクリエイティブになってくると、本当にエネルギーの渦が生じて奇跡が起きる。そういうことを言うと、また「田口ランディはスピリチュアル」とか言われそうだけれど、参加した人はそれを体験しているわけだからね。

それに、開き直ってはっきり言うけれど、この世の中が進んで行く先は「人間の精神的向上」しかないじゃないか!それ以外に何があるんだ。潜在意識と意識をどう使っていくかが、これからの人間の課題だし、これって最高に面白いでしょう。

経営者だって、政治家だって、最後に行き着くのは「精神性」の追求でしょう。意識を変えることでしょう。でも、今日はその話じゃなくて、書くことについてだ。

noteにはプロを目指している書き手の人がたくさんいるので、正直に「私の個人的な体験」を伝えてみようと思う。これを書くにはちょっと勇気がいる。本当のことを書くと、皆が信じないから。

事実はフィクションよりもずっと奇妙なんだ。人間が想像することには限界があるよ。想像力より現実のほうが遥かにすごい。だから、本当のことを書くとたいがい「嘘」だと思われる。そして、嘘を書くと本当だと思うんだ。

本当のことは、バカバカしいくらいシンプルで、あんまり理屈がないんだよ。だから、信じた者勝ちというかな。つまりね。教えてあげてもみんなやらないんだ。

例えば……だけど、作品を書いていつか作家としてデビューしたい、と思うとするよね。そのために必要なのは「作品を書くこと」に決まっているよね。

作品を書かないのに「どうしたら作家になれますか?」と聞く人はわりと多い。まずは、トランク一つ分の作品をすでに書いて持っていることが最低条件だよ。

次。作品は書きました。次にどうしたらいいですか? そうしたら、やることはそんなにない。まず、さらに書き続けること。と、同時に「神頼み」をする。

ほら、もうバカにしたでしょう? まあいいよ。だけど「神頼み」っていうのは、実際に効き目があるんだよ。これはもう、やった者勝ちなんだ。

これは「神さまが本当にいる」なんていう、宗教がかった話ではない。「神頼み」をしてしまうような素直さを持ってるかどうか、なんだ。

人生っていうのは、ここぞって時は諦めて我を捨てて開き直って待つしかないんだよ。

神社巡りとか、聖地巡りとか、そんな迷信みたいなこと恥ずかしい、自分の実力でどうにかしたい、そういうこと考えている時点で我が強いわけだ。この我って奴が落ちるとなにかが変わるんだよ。そこに、すっと入ってくるものがある。それはとってもいいものなんだ。

とってもいいものを心に入れるための「スペース」を作っておかなきゃいけない。とってもいいものと出あうために、心にパンパンに入っている我を、少しずつ捨てるっきゃないんだけど、一番てっとり早いのが素直に神社の前で手を合わせて祈ったりするようなことなんだよね。

作品は、それが世に出るとたくさんの人に影響を与える。そういう力をもっている。だから、その作品のなかにはなにかしら「とってもいいもの」が入っていないと、届かない。それを入れるスペースを作るために、必要なのは「我」を捨てることなんだけど、自分の「我」に、そもそも気がつけないんだよ(我が満タンだと我しかないから我に気づけない)。

だから、神頼みしろ、って言われて「えー?なにそれ?」って思っても、明日さっそく神社に行って手を合わせてしまうくらいの、柔軟さっていうのを持っているといいんだな。そこに、スペースができる。

なにかしらいいものが入る、スペースが。そのスペースがどんどん大きくなると、人生が変わる。どう変わるかは、人それぞれだけれど。でも、ほんとうにそうなんだよ。

簡単でしょ。お金もかからないし。おさい銭を入れなくてもいいんだよ。お地蔵さまだろうと、お寺だろうと、そこに誰かが大切に思っているものがあれば、出かけて行って(通りがかりでもいい)手を合わせて頭を下げてたいたらそれでいい。それだけのことだ。

それを続ける。一回じゃとても我なんて落ちないよ(笑)こんな簡単なことだけど、人はやらない。というかできない。できないんだなあ。そういうものだ(私もそうだった……でも、やったんだよ)。


日々の執筆を応援してくださってありがとうございます。