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魂のサルベージ

文章を書くのは好きだったが、何を書いたらいいのかわからない時期が長かった。「こういうものを書いて」と仕事で依頼されればそれなりに書けるのだが、自分から自発的に書こうとするとよくわからなくなってしまう。文章だけではなく、表現全般そうだった。提案されたり、指示されれば……そう、仕事としてなら出来ることはいっぱいあったけれど、自発的に文章を書きたい、絵を描きたいという衝動は出て来ない。
 その根底にあるのは「うまく書けなかったら……」という不安だったと思う。自由に書いてよいと言われた途端に途方に暮れる。好きに書いていいと言われると、何が好きなのかがわからなくなる。
 そういう状態で30代の半ばまで来てしまった。短い文章を書き始めたのはネットにはまってからだ。ネット上で田口ランディという変な名前を使ってなら自由になれた。ネットの匿名性は少しだけ自分を自由にしてくれた。最近はどうだろうか? ネット上でもウケることや、イイね!をもらうことが目的になってきてしまうと、他人の目が気になって自由……でもなくなっちゃうんじゃなかろうか。

 私の場合、きっかけは兄の死だった。兄がひきこもりの末に餓死した。最近は珍しいことではなくなったかもしれない、が、当事者家族にとっては衝撃だった。遺体があった部屋の匂いがすさまじかった。一生忘れない匂いだ。兄が死ななければ私は作家になっていないだろう。
 あの匂いがきっかけになって、潜在意識の海底から小魚の群がわきあがってきた。銀色のころもをぎらぎらさせてぴちぴちと跳ね回る魚の群れが身体中を駆け巡り、それを吐き出さないと血液が沸騰しそうだった。とても不思議な感覚だった。バラバラになっていた記憶のかけらが点滅しながら組み合わさって、万華鏡みたいな物語が展開するのが見えた。あれと、あれ、これと、これ、自在に繋がっていくエピソードが、精密機械の部品みたいにちゃんと、全部、ムダなく、お話になっていく。快感だった。悪夢や、幼児期の記憶も全部、意味あるものとして物語に組み込まれていく。文章が勝手にでき上がっていく。

 私は、書きたかったんだと思う。兄のこと。家族のこと。それは誰のためでもなく自分を救うためだった。なぜ、肉親が孤独死したのか、いかなる理由があってのことなのか。その答えを見つけなければならなかった。答えは外にあるのではなく、私の中にあった。私のための答えでなければいけなかった。正解かどうかは関係なく、生き続けるための救いとしての答えを自分で書かなければならなかった。

 たまたま、私の書いた小説は多くの人に読んでもらうことができたけれど、あれは売るために書いた物語ではなく、ほんとうに自分を救うために書いた物語だった。その後も同じテーマで繰り返し物語を書き続け、さまざまな音色を自分に聞かせて、40年間の家族の葛藤を全部書き尽くして、やっとあの魚の群れはまた海底に戻って行った。

 機能不全家族の典型、私の淋しい家族たちに対して今は愛と感謝しかない。驚くべきことだが、悪い出来事が思い出せなくなっている。悪感情は脱色されてしまい、ノスタルジックなせつなさとしてしか、過去の出来事を想起できない。
 なので、家族問題を語るような時には、自分が書いたエッセイや小説を読み返し「そうそうこういう気分だった」と思い出さないともはや臨場感を持って話せない。ムリに怒りを再現しようとしても、愛情しか出て来ない。こういう自分になる想像はなかった。

 クリエイティブ・ライティングを通して伝えているのは、私自身が体験したサルベージだ。書くことによって、人は過去を書き換えることができるし、考えや感情を整理できる。あの銀色の魚の群れに遭遇するのは、衝撃でもあるが快感でもある。それは体験してみればわかる。
 ものすごくイヤなことかもしれないが、書き始めると止まらないし、書くことが快感になる。いくらでも書ける。身体の奥底から溢れ出して来る。そして、書き終わると不思議とネガティブな感情が脱色されて、こころの中に、新しい考えがやってくるためのスペースが空いている。
 そこに何を入れてもいい、自分の人生は自分でクリエイトしていい。それが「表現」なんだと思う。
 みんな最初は「何もありません」って顔をしているけれど、ちゃんと初回の創作文章にはテーマが顔を出して来る。たぶん、受講する前から非言語的に「何を書くか」を決めている人が参加してくるんだと思う。

7月のクリエイティブ・ライティングは9日〜10日で、オンラインで行います。詳細はこちらへ。https://www.pekere.com


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