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傾聴ってなんですか?

傾聴とは、字の通り「相手の話に耳を傾けて聴く」ことに違いない。誰でもできるように思えるけれど、人の話を聞くってかなり難しいことだよね。
今夜は、自分を例にとってなぜ人の話を聞けないのかについて、考えてみる。

人の話を聞いているとき、私の心はどうなっているかというとね、話に集中できないでふらふらしている。相手の話を聞きながら「ふーん、なるほど、そうするとこの人はこういうことに困っているんだから、こういう言い方をしてあげるといいかな、こういう提案をしてあげるといいかな?」と受け答えを考えているわけ。

たいがいの場合「どうやって相手に返事をしようか?」というのを、話を聞きながら考えているので、これは聞いていると言えないよね。

私が特別なのかもしれないけれど、悩みや秘密を話されると、なんとかしてあげたくなっちゃうのだ。でも、たいがいの場合、こちらがなにかしてあげようと思って話を聞いていると、相手はとても不満足な感じになる。

時々、すごく話のうまい人がいて、臨場感たっぷりに自身に起きた悲惨な出来事を自虐っぽく語ってくれる。これは助かる。「夫が不倫して離婚して子育てしていたら詐欺にあって、子どもは不登校で……お金もないし、家もないし、人生まっくらなんですよ」
なんて話が実に面白いものだから、つい引き込まれて夢中で聞いてしまい、聞き終わって「すげー」と思っていると、相手も話したことで満足していて「まあ、そうわけなんだけど、なんとか生きていくしかないわよね」みたいなことを言って「そうだねえ、いやー、話してくれてありがとうございます」
この聞き方は、悪くはないけれど、これも傾聴とは違う気がする。

逆に話が要領を得ずやたらと愚痴っぽかったりすると、だんだんめんどくさくなっちゃって、頭が勝手にいろんなことを考え始めてしまうんだよね。

まだ若かったころ、まったく無名で、取るに足らなくて、自信がなくて、ニキビだらけの顔で、お金もなく職もなく、取り柄は酒が強いのと若さだけだった頃、私は誰かに認められたくて、話を聞いてほしくて、自分をわかってほしくて、できれば自分のなかに才能を見いだしてほしくて、他人と違う自分になりたくて、必死だった。

聞いてください、聞いてください、聞いてください……とばかりに、やたらと自分語りばかりしていた。でも、それが目上の人たちにとっては、とってもウザイことだったんだと年をとってから思う。人に話を聞いてもらうためには、相手に興味と関心をもって相手の話を聞くことが大切で、それができて初めて自分に興味をもってもらえる。この重大な人間関係の法則を私はあの頃知らなんだ。

私は「他人に興味をもつ」以前に「自分に興味をもってほしい」と切望している青臭くて自意識過剰の若者だったので、態度も生意気だったし、ようするにオレオレで、今にして思えばこんな自分の話を聞いてくれる人なんかいるわけないよな、とわかる。

私が10代だった頃、30代、40代はほんとうに大人に見えた。そして、そういう大人たちは「自分の話を聞いてほしい」「自分を認めてほしい」なんて、そんなしみったれた欲求を持っているわけがないと思っていた。そういうものは超越して、天上天下唯我独尊で生きていらっしゃるに違いないと思っていた。
違うんだね、自分が年をとったからよくわかる。人は何歳になろうと、死ぬまで「自分を認めてほしい、できれば自分を肯定してほしい」と望んでいる存在なんだよね。

タイムマシーンがあったら、私は20代の自分に伝えてあげたいな。「大人には質問しろ、彼らも話したいんだ。そうすればうまくいくから」と。

私は自分でも呆れることがよくあるのだが、たとえば誰かが恋人の写真を見せてくれたとする。周りの人は「わー、すてきいい男ねえ」と言っているのだが、私にはどうしてもその写真の男がいい男とは思えず、心では「えっ?この人のどこがかっこいいんだろう」と呟いている。

「ほんとうにステキな人ねえ」くらいお愛想で言えばいいのだが、なんだか言えない。いや、だって私の好みじゃないし、どうしてこれがいい男なんだろうか、みんな本気なのか、それともお世辞なのか? と考えてしまい、すぐリアクションができない。

しょせん他人の恋人だし、相手は「いい男」と思ってつきあっているに違いないわけだから、褒めておけばいいのであるが、そういうちょっとした社交ができないという「障害」がある。そういう自分はとても居心地が悪い。

自分の率直さをどこでガードしたらいいのか、悩むことが多い。人の話を聞いているとき、湧き上がってくる率直な情動をどこまで見せていいのか悩む。私はカウンセラーではないし、コーチングのコーチでもない。友達として相手の前にいるのだから、率直であっていいわけだが……、人の話を聞けば聞くほど、微妙なひっかかりを感じたり、この人はいま無理をしているな、とか、なんだかすっきりしない話だ……とか、どんどん身体に入ってきてしまう妙な雑音を無視するのにとてもエネルギーを使う。

話の途中で、突然なにかがピカっとひらめいたり、わかったような気になることもある。あ、この人の問題はそこか!みたいな。でも、それを伝えるべきかどうかも悩む。基本は伝えないようにしているが、飲んでたががゆるむと預言者みたいなことを言いだす時があり、これはもう本当に自分の口が恐ろしい。

つまり、私はいまだに「人の話を聞く」ということがよくわからないのだ。話を聞いているのか、自分の声を聞いているのかわからなくなってしまう。聞いているうちにどんどん、話とは違う情報が入って来て頭がぐわんぐわんになってしまう。ありのままに人の話を聞けない。

どうやったら、相手の話にじっと心を集中することができるんだろうか。相手の話を聞きながら私の心はいつも揺れ動き、ぜんぜんじっとしていない。もし、世の中に「傾聴」ということができる人がいるなら、それはどういう状態なのかをほんとうに教えてほしいよ。


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