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NFTと車輪の再発明

1. はじめに

 本noteでは昨年、NFTについて一般に宣伝されている内容と実態の乖離について触れてきました。

 マーケティングの宣伝文句をそのまま真に受けるビジネスマンが多いことに驚きつつ、バブルが弾けつつある実態についても触れました。

 2023年2月時点において、グレーターフール理論はまだ機能していますが一時期の神通力は感じられません。界隈では盛り上がっているけれど、一定層を超えてスケールしないのが段々と明らかになりつつあります。 

 投機には新規参入者による流動性が欠かせません。NFTは企業・クリエイター(自称)・投機家の喰いつきは良いですが、一般消費者にアプローチできていないため早晩、遺物化すると考えます。 

 本稿ではなぜ一般層にNFTが刺さらないかを考察します。 

2. 手段の目的化と車輪の再発明

 「車輪の再発明」という言葉があります。

 プログラミングをする人なら知っていますが、要するに「すでに存在しているものをゼロから自作する」ことです。 

これが何を意味するかと言うと「無駄」ということです。

 これは昨今のNFTを利用した様々なプロダクトに該当します。NFTは手段に過ぎません。何を実装するかは開発者・クリエイター次第ですが、大抵の場合は「効率の悪い車輪の再発明」にしかなっていません。 

 例えば会員権的な用途のNFT・ゲームアイテム的なNFTは「効率の悪い車輪の再発明」の分かりやすい事例です。一言でいうと、「それNFTじゃなくていいじゃん!」です。 

 目の前にNFTというおもちゃがあるので使ってみたくてしょうがない子供を想像してください。しかも今なら効率の悪い車輪でも高値で売れるんです。それは色んな輩が群がりますよ、仕方ありません。 

 再発明された車輪の効率は二の次でありNFTというラベルが何よりも重視される、それが昨今のNFTの実態です。 

 ぶっちゃけデジタルな会員権の表現方法なんて他にもいくらでもあります。むしろNFT以外の方法の方がユーザーの利便性は格段に高まります。管理が面倒でユーザビリティの悪いウォレットなんぞ進んで使いたいユーザーは存在しません。ゲームアイテムも同様でNFTである必要性はありません。

 あるものがNFTとして存在しているということは、その方が儲かる輩が存在するということを示しているに過ぎません。 

 現存するNFT●●は既存の●●の実装方法をNFTに変更しただけに過ぎず、原資産の価値は変化しません。寧ろアクセス性は確実に劣化していると言えます。よってNFT化によるプレミアム化は合理性に欠ける事象です。 

 ●●会員権の価値はNFTであろうと別の手法であろうと、その会員権が有する本質価値とイコールです。一般に市場が効率的な場合、その価格は一物一価となります。それは裁定が働き両者の価格差が収斂するためです。株式などが良い例です。 

 しかしながらNFTの場合、原資産の価値に基づく裁定が機能していないように見えます。もちろん原資産が本当に1点物で比較が困難で裁定が機能しない可能性もありますが、多くの場合は単なる画像ファイルなどに過ぎず、子供のおもちゃの域を出ないため、裁定が機能していないだけです。 

 市場がオープンで多様な参加者が存在しない場合、裁定は機能しません。裁定は価格発見機能と言い換えることもできますが、参加者が限られた閉ざされたゲームの場合、新規参加者を嵌める以外にイグジット手段がなくなります。 

 よって本質的に価値が存在するものはNFTなどという手段を用いず、広く普及してユーザーがアクセスしやすい手段で提供することが好ましいです。

 とはいえ、今後しばらくは多くのアセットが実験的にNFT化されることになると思います。(企業側もブームに便乗しているので)しかしながら、自己満足に訴えるNFTはそのうち終わります。 

 早ければ数年後には「少し前にNFTっていうのが流行ったんだけど、あれってマジゴミじゃない?」とか言われるかもしれません。そうなってしまってはNFTは技術的には移転できても買い手が見つからないため転売は不可能となります。 

 投資家として言えることは「NFT買うくらいなら、黙って証券口座でオルカン買っとけ」です。投機家としてバブルを乗りこなす自信があるのであれば別ですが、長期で資産形成を考える投資家には不要なアセットです。 

3. NFTをどう活かすか

 NFT自体に価値は無く、何かを表現する手段として優れている場合にのみ活用する。これがNFTの対する本来のスタンスではないかと思います。

 NFTは権利やコンテンツを示しているように理解される場面がありますが、正しくありません。 作成者が意図的に何らかの権利とNFTを紐づけようとしているに過ぎません。

 原資産(アセット)とNFTという電子データ自体は大抵の場合は法的には無関係であり、後付けで関連性を持たせているに過ぎません。 

 NFTが本当の意味で実用性を得るためにはこの部分の改善が不可欠です。NFTの多くは単にチェーンに外部リンク情報が書き込まれただけのデータに過ぎません。NFT自体にアセットが内包されていることは殆どありません。

 NFTの移転はアドレスtoアドレスの転送指示に過ぎません。本来、NFTの移転に連動して権利は移転しません。(参加者間では事前合意に基づいて権利が移動したと見做される場合があります) 

 表現としてのNFTが実態と結び付くにはまだ時間が必要です。まず「A」という実態が存在し、それを「A´」という形でNFTを用いて表現します。AとA´は実体としてシステムとして連動しており、A´への排他的なアクセスがAの所有と同義であり、それが社会の仕組みとして認識されている必要があります。 

 そしてAから派生できるNFTをA´に絞る必要があります。現状のNFTは唯一性・オリジナリティの証明を謳いながら、原資産からの複製が可能な不完全なアイテムに過ぎません。

 この辺りは技術的な前提知識が無いと詐欺師のマーケティングに簡単に騙されます。NFTは一面では馬鹿発見器として機能しているかもしれません。 

 話を戻すとNFTの有効活用に必要な発想は「車輪の再発明に陥らないこと」に尽きます。要するに実社会における適切なユースケースの発見に向けた検証です。

 現状のNFTプロダクトはこの検証が不十分で既存プロダクトの劣化に過ぎません。 

 NFTという表現方法を整理すると、それほど幅広い用途に向いているとは思えません。NFTは「non-fungible token」を意味し、ファンジブルではない電子データということを示しているに過ぎません。 

ファンジブルではない=代替不可能、という説明がされていますが実務上は類似したNFTが数百・数千と生成されるケースがあります。そしてマーケティング目的等で配布されます。 

 このようなNFTは本当の意味でノンファンジブルかというと怪しいです。マーケティング手法として電子データをノンファンジブルと手法で生成したに過ぎません。

 会員権NFTの場合、特定のサービスを利用可能なNFTとして設計した場合に、そのNFT1つ1つに固有の会員権特典(権限)が付与され、他のNFT保有者と異なったサービスにアクセス可能な場合には、NFTとしての固有性を有しますが、アクセス可能なサービスが同一の場合、それはなんちゃってNFTに過ぎません。 

 NFTがアセットの本質価値と紐づいているのか、後付けで連動させているように見せているだけなのか見極めが必要です。価値が存在する場合も上記のように複数NFTの利用価値が同一アセットに肝付いている場合、設計としては三流です。 

 色々なプロダクトを調査しましたが現状、上記の本質的な問題を解決しているNFTプロダクトはみつかりませんでした。(私の探した範囲では)

 よって投資家にNFTは不要です。投機アセットとして不要という意味だけでなく、実用性の観点からも不要であり、二重の意味で不要です。誰かにNFTを勧められたら「NFTダメ、絶対!」を合言葉に断りましょう。賢明な投資家はリスク管理に長け、危うきに近づかないものです。

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