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人気イマイチ指揮者の技と神髄 FILE.2 エドゥアルド・マータ Part.2


4.マータってどんな人?

マータはさすが人気イマイチ指揮者だけあって、映像ソフトが全く出回っていない。
わが国へも読売日本交響楽団への客演で計3回来日しているが、その頃の私はまだ幼少期であったし、当時も今も関西在住だ。

というわけで私は、というよりほとんどのクラシック・ファンは、動いている彼の姿を見た事がない。
また今回、記事なども必死で探したが、日本の音楽誌にインタビュー等が掲載された事は無いようである(ひどい!)。

レコードやCDに、写真はよく載っている。
基本型はいかにも南米の白人らしい風貌だが、写真によって印象が違う。
大きく分けて2タイプあり、1つは髪を振り乱して情熱的に指揮を振っている写真、もう1つは髪をポマードで固めて、しれっと改まったポートレートである。

ポマードの時は、爬虫類系の目付きでじっとりとこちらをねめつけていたりして、吉本新喜劇出身の個性派俳優・木下ほうかにそっくりである。
演奏中はというと、木下ほうかで指揮を振っている事もあれば、青白い顔面に影が落ちくぼんでゾンビみたいな時もある。

この、ポマードなで付け爬虫類男と、髪振り乱し青白ゾンビが、同一人物として結びつきにくい感じもあるが、これは資料に乏しいマイナー指揮者界あるあるでもある。

活動ぶりから推測すれば、国際的名声よりも地域貢献に情熱を注ぐ人のように思える。ダラス響にはレコーディング契約で恩恵をもたらしただけでなく、地元に現代建築の巨大コンサートホールまで建てた。彼の名前を冠した大学まであるようだ。

インタビュー記事などが見つからない以上、人柄に関しては全く謎だが、これで鬼畜みたいなパワハラ指揮者だったら私の腰は砕けるだろう(政治家たちの仕事と人格の乖離具合を考えると、可能性はゼロでは無いが)。

5.マータは爆演指揮者なのか?

日本のクラシック愛好家は、時に「爆演」という言葉を用いる。
暴走気味の激烈な演奏とか、感情が爆発するような熱狂的演奏とか、まあそういうような意味だ。

私は、これはちょっと眉唾というか、そんな演奏どこにあるのかなと思ってしまう。実際に「爆演」と形容できるような演奏に、そうそう出会わないからだ。控えめにいって、バーンスタインのある種の演奏なんかを指すにはちょうどいいのかもしれないけど。

マータを爆演指揮者と形容する風潮があるのは、大きな誤解の一つだ。
前述のように、彼は作曲家カルロス・チャベスに師事した人で、自身も作品を発表している作曲家である。
そして作曲家兼任の指揮者にはよくあるのだが、スコア(楽譜)を解釈する視点が時にユニークである。
特にテンポ設定は特異と感じる事も多いが、演奏自体はとても丁寧だし、響きの作り方は端正で、むしろまろやかで聴きやすいサウンドを志向する人だ。

それが西欧で高く評価された要因であったのだろうし、どの演奏を聴いても、猪突猛進の粗削りな演奏を行う指揮者ではない(同じメキシコ出身で同世代のエンリケ・バティスがどちらかというと爆演型なので、メディアに一括りにされてしまったのかもしれない)。

彼の演奏の特徴として、リズム感が抜群に優れている事が挙げられる。
例えば、ガーシュウィンの《キューバ序曲》の驚異的なパフォーマンス。
合奏の緊密な一体感と、尋常ではない切れ味、軽快極まりないフットワーク。もっと編成の小さいジャズのビッグバンドでさえ、ここまで軽いタッチでぴたりと揃える事はできないんじゃないか。

6.群を抜くマータの名盤たち

マータとダラス響には、その曲の録音の中で私が最高の物だと思っているディスクが2枚ある。
そして、その内1枚はLPで発売されたきり、日本でも海外でもCD化すらされていない様子である。切ない現状だが、ある意味それでこそ人気イマイチ指揮者である。

1つずつ、マータがどうやっているか見てみよう。

まずは、ラヴェルのバレエ音楽《ダフニスとクロエ》全曲版。
この演奏、凄すぎ。
特徴的なのは、終始落ち着いたスロー・テンポで一貫している事。
もとよりマータは、平均より遅いテンポを採る事が多い人だが、ラヴェルの音楽では、それがことのほか効果的である。

恐らく、世に名盤とされる数々のラヴェル演奏を評価してきた世代の人達は、フランス的香気とか粋なエスプリとか、そういうムード的な側面だけで満足できたのかもしれない。

しかし私のような70年代以降生まれのリスナー、物心ついた時から周囲にロックやポップスが溢れていた世代には、腰高の浮わついたビートは安定感がなくて気持ちが悪い。
それが舞曲やバレエのような、一定のビートを刻む音楽であればなおさらである。

多くの指揮者はラヴェルの作品で、スピード狂のごとく飛ばしまくる。スリリングな疾走感でリスナーのご機嫌を伺おうというわけだ。

それも一つの演奏効果だし、悪いとは言わないが、ことラヴェルの音楽となると細かい音符がやたらと多く、演奏する方はただでさえ速弾きになる。
なのにテンポまで速いと、正確さはどうしても犠牲になる。勢いはあるけれど、細部の粗い演奏というやつだ。仮に超一流オケが正確に弾けたとて、ニュアンスの豊かさまではどうだろう? ビートも浮き足だって不安定になりがちだ。

マータは、元々テンポの速い山場の数々に際しても、悠々と迫り来るような足取りを崩さない。
オケは細かい音符まで克明に弾き切るが、驚くなかれ、そういう緻密なフレーズは全部の音符をきっちり発音した方がスピード感が増すのである。勢いで弾き飛ばすより、音の情報量が多いからだ。

さらにマータは、音の頭(アタック)を一つ一つ鋭く切り揃え、さらに末尾も歯切れ良くカットする。こうなると、テンポがどれほど遅くとも、演奏全体から鈍重さは完全に消える。効果絶大だ。

安定感のある落ち着いたテンポを維持する事によって、ラヴェルの音楽に内在する真の土俗的なグルーヴが、ある種の凄みを伴って立ち現れてくる。
音楽表現に唯一の正解などもちろん無いが、この曲のテンポに関してはまるで、それがあるのではないかという気さえしてくるのである。

逆にゆったりとした場面でも、マータは背後に隠れがちな舞踊のビートを常に意識していて、それが無類のリズミカルな心地よさを生んでいる。
彼の演奏では、粗野なドルコンの踊りはちゃんとユーモラスで、主人公ダフニスの踊りはちゃんと優美で、彼を誘惑する人妻リュセイオンの踊りはちゃんと肉体的官能性を伴って表現される。

実に雄弁で、多彩なニュアンスに富んだ演奏である。マータにはバレエ団の専属指揮者をしていた経歴もあり、それが特にバレエ音楽において、独特の身体性やグルーヴを感じさせる一因になっているようにも思う。

(Part.3へと続く。リンクは下記へ)


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