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人気イマイチ指揮者の技と神髄 FILE.2 エドゥアルド・マータ Part.3


7.超名演なのに手に入らないストラヴィンスキー

さらに、これもダラス響の演奏で、ストラヴィンスキーのバレエ音楽《火の鳥》組曲と、《3楽章の交響曲》(そういうタイトルの曲なのだ)のカップリング。

小学生の時に初めて聴いて以来、40年近く経った今でもまだ、両曲共に競合盤の中でトップクラスの名演だと思うのだが、これが罪深いことに、メキシコのBMG(RCAを買収した国際レーベル。現在はCBSも傘下)で一度CD化されただけなのだ。

そんな、メジャーな指揮者でもメジャーなオケでもなく、特に売れてもいないレコードを小学生の私がなぜ知ったかというと、クラシック好きの父親のレコード棚にあったからである。
当時メータはもう知っていたので、「メータに対抗してマータってアンタ」と小馬鹿にしながら手に取った記憶も鮮明だ。

ちなみに私の父はクラシック通でもなんでもなく、音楽雑誌の名盤選出企画で批評家諸氏が推薦しているレコードばかりを、まるで自分の評価のように得意げに買い漁る超ミーハーな俗物であった。
そんな父が、なぜマータのレコードに(それも2度も)手を出したのかは謎である。それこそメータと間違えたのかもしれない。
しかし、その2枚が傑出したレコードであった事は、私にとって(そしてこのコーナーにとって)幸いであった。

《火の鳥》は実に颯爽とした、スポーティーな演奏である。
こちらは速めのテンポで、いとも軽やかに駆け抜けてゆく。ダイナミックで生彩に富み、音の立ち上がりは胸のすくように抜けが良い。

これは、実はすごい事なのである。
合奏というものは当然、人数が増えるほど重たく、揃いにくくなる。
こういう、大編成のオーケストラ作品を、痛快なまでに軽妙に演奏する事がどれほど難しいか、そういう録音がほとんど無いという事実が、それを証明している。

ちなみに《火の鳥》には全曲版と、それを短縮した組曲版の2種類がある。尺だけでなくオーケストレーションも違っていて、前者はより大規模な楽器編成である。
マータとダラス響は後に全曲版も録音しているが、そちらはさすがに、この組曲版ほど痛快な演奏ではない。
レーベルも移籍していて、エンジニアの録音コンセプトも細部より全体の響きを重視したものになっている。

《3楽章の交響曲》は、悠々たる遅めの足取り。
普通、テンポが遅いと演奏は重々しく、鈍い感じになるものだが、マータの棒は切れ味が鋭く、リズムに敏感な弾力性がある。
曲自体もそうだが、演奏もダンス・ミュージック的なグルーヴを追求しているようだ。

8.ロンドン交響楽団とも名演あり

デビュー盤であるファリャのバレエ音楽《三角帽子》《恋は魔術師》をはじめ、マータはロンドン響とも数枚のアルバムを残しているが、その中で特筆したいのが、ストラヴィンスキーのバレエ音楽《春の祭典》。
マータは後年、ダラス響ともこの曲を再録音しているが、演奏はロンドン盤が素晴らしい。

この曲は、近い時期に同じロンドン響と録音したクラウディオ・アバド指揮のレコードが好評で、批評家陣が投票する名盤ベスト3企画ではかならず上位に入っている時期があった。
しかし、これこそ人気投票みたいなものである。

マータ盤の売り上げはアバド盤と比べ物にならないほど少ないだろうが、マータは才能で負けたのではなく、レコード会社のプロモーションと、「アバドは一流、マータは三流」という評論家達の固定観念に負けたのだ。
そもそも評論家は、既存の全ディスクを聴いて投票している訳でもないようだ。

アバド盤は整然たる明晰さが美点ではあるが、アバドがやろうとしている事は、マータがさらに高い次元で達成している。
マータ盤の、驚異的精度で構築された合奏とリズムの鋭敏さに較べると、アバド盤は残念ながら詰めが甘く、エッジの鋭さも瞬発力も劣る。

この音源も長らくCD化されず、忘れられた存在だったが、日本のタワーレコードが独自に復活させてくれた。
これは変わった企画で、アルメニアの異色指揮者ロリス・チェクナボリアンとロンドン・フィルハーモニー管弦楽団が同時期に録音した音源とカップリングし、「2人の爆演指揮者による《春の祭典》聴き較べ」と銘打っている。

前述したように、マータを爆演指揮者と捉えるのは誤解だが、チェクナボリアンも演奏が雑で粗いだけで、やっぱり爆演指揮者とは思えない。
ともあれ、タワレコ担当者の意図がどうだったかはともかく、このカップリングによって、演奏のクオリティの差は歴然と示されている。

全てのネジがユルユルに緩んだ、どこまでもフォーカスの甘いチェクナボリアンの指揮を聴いた後では、マータの演奏は目の覚めるように鮮やかな音楽体験である。マータはあらゆるネジを、徹底的にきっちりと締めてゆく。

あらゆる音を峻烈に尖らせ、バネの効いた強靭なパンチを繰り出すこの演奏は、切れ味鋭いリズム、心地よい緊張感、精悍かつエネルギッシュな合奏でリスナーを圧倒する。
それでいて音楽は常に有機的に響き、無味乾燥に陥る事がない。

彼のような特別な才人が早世してしまった事は、大きな損失だと思う。
できる事なら、もっともっと、彼の新しい録音に出会いたかった。

9.エドゥアルド・マータのお薦めディスク

◎ストラヴィンスキー/バレエ音楽《春の祭典》
 ロンドン交響楽団 (RCA、77年録音)

◎ラヴェル/バレエ音楽《ダフニスとクロエ》全曲
 ダラス交響楽団 (RCA、79年録音) *日本盤はLPのみ。

◎ストラヴィンスキー/バレエ音楽《火の鳥》(1919年版組曲)、3楽章の交響曲
 ダラス交響楽団 (RCA、79年録音) *日本盤はLPのみ。CDも一度メキシコBMGから出たのみで入手困難。

◎ガーシュウィン/キューバ序曲、パリのアメリカ人、《ポーギーとベス》組曲
 ダラス交響楽団 (RCA、81年録音) *日本盤はLPのみ。

◎プロコフィエフ/《キージェ中尉》《3つのオレンジへの恋》組曲
 ダラス交響楽団 (RCA、83年録音) *海外盤のみ。

10.エドゥアルド・マータのプロフィール

1942年、メキシコ東南部の小村に生まれる。
オーケストラなど全くない土地ながら、楽器も充分に整っていないコンサートバンドが一つあった。このバンドが意欲的で、不完全ながらも演奏されるベートーヴェンやワーグナーに、マータは異常な興味を示し、指揮者の役割を認識したという。

指揮者を志し、わずか11歳でメキシコ・シティに赴いたマータはその後、メキシコ国立音楽院でカルロス・チャベスに作曲と指揮法を師事。60年代まで交響曲、室内楽曲、ソナタ、バレエ音楽などの作曲を行い、幾つかは録音もされた。

64年、クーセヴィツキー財団奨学金を得て、タングルウッド音楽センターの講習会に参加。マックス・ルドルフとエーリヒ・ラインスドルフに指揮を、ガンサー・シュラーに作曲を学ぶ。
65年、グァダラハラ響の指揮者とメキシコ国立自主大学の学長に就任。
72年に渡米し、フェニックス響というアリゾナ州の地方団体の首席指揮者として活動。

73年、首席指揮者アンドレ・プレヴィンの急病により、ロンドン響に代役でデビュー。プレヴィンが組んだオール・フランス音楽のプログラムを1曲も変更する事なく、見事な演奏でロンドンの音楽界に強い印象を与える。

76年、ニュー・フィルハーモニア管、ロンドン響の南米演奏旅行で指揮を振り、後者とメキシコ・シティの音楽芸術センターで録音されたファリャの作品集が、RCAレーベルからの国際デビュー盤となった。

77年にダラス響の音楽監督に就任。継続的な録音契約でオケに恩恵をもたらし、黄金時代を築いた。89年には当地に現代建築の大ホール、モートン・H・マイヤーソン・シンフォニー・センターを建設。93年には名誉指揮者の称号を贈られた。

76年、80年、86年の3度、読売日本交響楽団の招きで来日。
95年、メキシコ発ダラス行きの飛行機に搭乗中、エンジン・トラブルが発生。生存者ゼロの悲惨な墜落事故によって、惜しまれつつ死去した。

 1963年~64年 メキシコ・バレエ団 音楽監督
 1972年~77年 フェニックス交響楽団 首席指揮者・芸術顧問
 1977年~95年 ダラス交響楽団 音楽監督
 1989年~95年 ピッツバーグ交響楽団 首席客演指揮者

貴重なお時間を割いて最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。


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