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あくまでアマチュア書評集 “ワケあって未購入です” #4 『ストーリーセラー』 有川浩 (2010年、新潮社)

*まだ始まって間もない企画なので、もう一度だけ繰り返しておきます。ここではストーリーの内容に触れる事が多いので、若干ネタバレ気味の著述を含む事があります。たとえ一部分であってもネタバレは御法度、という方はご注意下さいませ。

「#1 はじめに」をお読み頂いた方はお分かりの通り、私は有川浩(ひろ)氏を、「作品によりけりだが、おおむね好きな作家」リストに入れている。私が生まれ育った地域を舞台にした『阪急電車』 を読んで気に入ったのが最初で、それゆえ勝手に親近感を抱いたりもしているが、彼女の作品にはしかし、気持ちよく爽快に読めるものと、ちょっと気分が落ち込むしんどいものの両タイプがある。

総体的に感じるのは、有川浩という人は非常に正義感の強い、真面目で直情的な作家だと言う事だ。もちろん実際の人柄に関しては、私は全く知らない。あくまで読者として作品から感じる、作家としての性質という意味である。

率直さ、折目正しさ、それは文章の端々から感じ取れるが、それは、話の中に悪い人が出てこないとか、そういう性善説の話ではない。そうではなくて、作家の視界がクリアに澄み切っていて、冴え冴えとした筆致で、全てが竹を割ったように明快に描かれる、というような意味合いである。それは例えば、色々な事柄がグレーのまま残され、モラルの境界線が曖昧にぼかされる桜庭一樹や三浦しをんの小説とは、根本的に別世界のものである。

本書は、実家の本棚で見つけて借りてきたものだが、有川作品では「しんどい方の話」。よく指摘され、本人も認めている「ベタ甘」の要素というのは、つまりは若干のデフォルメ、僅かなやり過ぎ感という事ではないかと思う。私もベタ甘は嫌いではないが、そのやり過ぎ感がひとたび悲劇のベクトルへ適用されると、かなりしんどい事になる訳だ。次から次へとイヤな事が起こり、「すなすな~、なんでそんなに登場人物をイジメるんや。っていうか、なんで読者の俺をイジメるんや」という気になる。

しかし文芸誌では、その年の出版本ランキング上位に本書も入っていたので、一定の読者からは支持されているようである。どんどん不幸になってゆくツラい話が好きな人は多いのだろう。私はしかし、これは「悪質の」やり過ぎと感じる。作家の態度としてはどうもサディスティックにすぎるし、物語の流れも自然とは思えない。現実には起こり得る出来事であっても、フィクションとなると作為的に感じられる事があるのだ。

本書はアンソロジーに収録された「Side A」に、書き下ろしの「Side B」が書き加えられた二部構成である。構成的には劇中作品とも言える「Side A」を読むのはほとんど苦行であるが、書き出しからは救いになるかと思えた「Side B」も、これまたツラい話である。別にハッピーな話ばかりを読みたい訳ではないのだが、本書や『旅猫リポート』は、私には一度でもう十分。

有川氏は、軽快な文体で語彙が豊富、文章力のある作家だと思うが、一つ残念に感じる事がある。これは日本の作家に結構多いのだけれど、物理的状況や人間関係を説明しようとすると、急にアマチュアのような生硬な文章になってしまうのが難点。とりわけ一つのセンテンスに、無理に全ての情報を詰め込もうとする傾向があり、そうなるともう業務報告みたいな事務的長文になってしまう。

私などはそれこそシロウト考えで、「分割して小分けにすれば、リズミカルで詩的な美しい文章になるのに」と思ってしまうが、あるいは推敲が十分にできないほど、締め切りに追われて多忙なのかもしれない。そうなるともう、気楽なアマチュアには想像の及ばない世界である。でも、そういう説明的な情報を、いかにセリフや描写の中にうまく紛らせて伝えるか、その創意工夫こそが文学における表現というものだと思うのだ。

そういう機能性一辺倒の長文には、無くても伝わるような主語や装飾節が付属している場合もある。実際にその語を抜いてみると、いかにも流れの良い文章になったりするのだが、それこそ「全てをきっちり説明しないと伝わらない」と考える、作家の生真面目さでもあるのだろう。これはしかし、有川氏以外の多くの作家にも共通する問題ではある(というより作家や編集者の皆様は、特にそんな事は問題にしていないのかもしれない)。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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