集中の種類

集中には3つ以上の種類があるのでは考えた。

自分が考えた範囲では、3つが思い当たったのでそれを紹介する。


①集中:作業型

→一人で単純に作業を片付ける。必要なのは時間と自分のみ。タスクが明確であればあるほど短時間でパッと済ませることができる。

②集中:思考型

→思考そのものに集中して、周りの景色の変化をあまり捉えずに一人の世界にいる状態。日々(形式的に)忙しくしていると雑念や情報が常に自分に漂っているためこの状態に至るのは難しいため、散歩したり旅をしたりして自分に向き合うことが多い。

③集中:全体知覚型

→リラックスしつつも自分の周りにいる人やモノの表情の変化などを繊細に捉える。集中しようとして集中しているというよりは、リラックスしているからこそできる適度で自然な集中。サッカーで考えるとわかりやすいが、チームスポーツで個々人の動きが還元主義的にチーム全体の動きになるわけではないときには自分のポジショニングを決めるときに非常に役立つ。


上記で3つ記述したが、個人的な考えとしては、①は本質的には付加価値生産にはあまり寄与しないものの必要なことが多いもので、それ以前の②思考に基づいた情報整理や点と点をつなぐことが本質的な価値を創っているように思う。③の視点は、営業や数字といった面でのスキル的な強さはあまりなくても経営メンバーとして存在していることに誰もが納得できるような人をイメージするとわかりやすいかもしれない。スポーツ選手で賢い人、私の好きなサッカーで言えば、イニエスタ、シャビ、ダビド・シルバ、ダニエル・アウベス、クリスティアン・エリクセンはこの集中が非常に得意で才能にあふれているように思う。

ここでの才能は、どちらかというとスキル(測定可能で習得可能)なものではなく、センス(習得が難しい)という意味合いに近いものとして書いている。(スキルとセンスの区別は、経営学者として有名な楠木建氏が述べている。)

この意味では、③はセンスという性質が強く、①②は訓練が可能なスキルに近いように思われる。

ただ、③は何か転機を迎えると急激に習得されうことがあるように思う。死生観を持つ契機を持った人間(経済的に豊かでないが精神的に豊かな地域に行った人間、自分が病気で死にかけた人間、など)は、自分の時間の有限性や偶然性に気がつくことで、すべてを完璧にこなそう・コントロールしようという欲、いや焦りといった方が正確だろうか、が抜け落ちて圧倒的な落ち着きを達観した姿勢を手に入れることがある。

③のところで少し書いたが、サッカー選手ではスペイン出身の方はこのセンス(もしくはスキル)が非常に優れている選手が多いように思う。もちろんめっちゃ頭の悪い選手もたくさんいるが、超一流のゲームメーカーとして挙げられるイニエスタやシャビやダビド・シルバはこの③が非常に優れている。私見としては、スペインの育成の中の仕組みとして③を身につける機会が特別に設けられているのかもしれない。当然、その機会があってもそれを活かすことができるとは限らないが、天性のセンスも磨いて育むことが行われなければ輝くことはない。天性のセンスがあっても、試行錯誤して発展させる機会が必要だ。

そう捉えると、サッカー選手としての開発の期間、ひいては年齢の低い時期に、センスへの気付きと試行錯誤の環境が与えられることが必要なプロセスとして大人が用意することが必要なのではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?