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2リーグ分裂の経緯の話(1)

 プロ野球界にはやたら球団数を減らして「1リーグ制」にしたがる人たちがいる。いまはどの球団もそれぞれの営業努力で、観客動員面でも戦績という面でも、あまり長期にわたり低迷を続けている球団はないので(観客動員面において"低迷"とは必ずしも順位の事ではない。必ずどこかがビリになるのだから)、こういう手合いも鳴りを潜めた感があるが、そういう思想は彼らの「基幹をなす」ものなので、何かの拍子にまた再発する可能性はある。
 こういう人たちは、何事も「切る」「減らす」「削る」事を志向する傾向がある。現実問題としてそうしなければいけないケースも考えられるが、もし本当に「球団が減る」事になったら、それはプロ野球の衰退を強く世間に印象付け、大衆はプロ野球を斜陽産業として心理的に敬遠するようになり、更なる衰退を招く筈だ。
 人口もそうだが、減って良い事はあまりない。球団も、リーグも。この世界は潜在的に縮小を志向していない。2004年の球界再編問題の時に楽天とソフトバンクが救世主的に現れたのは何故だろうか。

 2リーグ制に否定的な意見の根拠として「セ・リーグにばかり人気が偏る」というものがある。しかしあの球界再編問題を乗り越えて時を経た今もそうだろうか。
 実力はもちろん、人気面でも瞬間的にはセ・リーグ以上の熱量を見せるパ・リーグは今や世界のスポーツ界に誇れるひとつの個性であり「キャラ」になった。あの時パ・リーグが消えていたら、今のプロ野球はどうなっていただろう。

 これは長年プロ野球ファンをやっていて達した結論だが「2リーグ制は正しい」。
 これはMLBという、2リーグ制の大先輩を範とした日本のプロ野球の幸運だったように思う。単純に考えて、シーズンを終えてさあこれからクライマックスという時に何と何の「一騎打ち」が良いか?1位と2位?前期優勝と後期優勝?(最多勝と最高勝率の対戦という発想もあるが、対決自体が実現しない可能性がある)
 どれも無理矢理感がまとわりつき、まとわりついたまま戦い、終わる。パ・リーグの前後期制は自然に消滅した。CSというものは関係者の心にしこりを残しつつまだ続いているが(CSはなくならないと思う。理由はまたいずれ)、1位のチームが日本シリーズに進出する限り「しこり」は払しょくできる。
 リーグとリーグの優勝同士の対決なら誰も文句は言わない。そういう心理的足枷のない状況下で「クライマックス」を戦える意義は大きい。
 そんな2つのリーグが2つに分裂した経緯は決して綺麗なものではない。

 昭和24年、時のコミッショナーであった正力松太郎は、現行の8球団に2球団を加え10球団とし、2、3年後にはもう2球団増やし、最終的に1リーグ6球団の2リーグ制に移行しようと考えていた。まず毎日新聞社の本田社長に「おたくもプロ球団をどうか」と持ち掛ける。将来「読売中心のリーグ」と「毎日中心のリーグ」でやっていこうという考えだった。正力には、アメリカに倣い2リーグにすることで日本のプロ野球をもっと盛り上げようという考えがあった。

 球団を持てば新聞の部数が伸びる。本田社長は乗り気だった。しかし、毎日のプロ野球加盟案は、読売新聞の猛反対に会う。読売の言い分としては、「これまで多大な犠牲を払って自分たちが育ててきたプロ野球が、ようやく利益に結びつくようになった時に、ライバル誌が参入するのは"いいとこ取り"であり、許せない」といったものだった。
 この時の正力は、コミッショナーという立場にありながら「戦犯」として GHQにニラまれ、読売からも「追放」されている身だった(新聞は基本戦争賛美だったし、他にも理由は色々あったがここでは割愛する)。間もなく民生局によりコミッショナーの職も追われ、「株式会社日本野球連盟取締役会長」というなんだかよくわからない地位に落ち着くことになる。読売の毎日加盟反対には、「前社長」正力に社に復帰されると、自分たちの地位が危うくなるから、という意志がこんな形で表れたという説もある。

 この時の情勢をまとめると、毎日加入に反対する勢力が読売、中日、太陽(大洋ではない)。別に反対でない派が阪神、阪急、南海、大映 (ダイエーではない) 、東急の5球団。正力が読売に勝つには、この反対でない派層を味方につける必要があった。「正力が読売に勝つ」。そう、両者が敵対関係たることを決定的にする事件があったのだ。
 同年9月、丸の内において球界のおえらいと8球団の代表が集まり、毎日と西鉄(の名前も挙がっていたのだ)の加盟を許すか否かについて会議が開かれた。この時、読売の四方田代表が、「今日は球団代表の会議ですから、正力さんは退場して下さい」と突っぱねる。「君達の活発な議論を聞きたいのでいさせてくれないか」という正力を、険悪なムードの中、四方田は「正力さん、退場!」と強引に追い出してしまうのである。

 正力の反撃。反対でない派の連判状をとることができれば、5対3で反対派を押し切れる。彼は関西へ使者を送った。大映、東急は始めから在京で、親正力派だったので、すでに味方だったのだ。

 使者は有能だった。阪神、阪急、南海の3社長から署名、捺印を取ってきたのである。この時の各社の利害関係というのがなかなか面白い。この関西3電鉄は、事業、催物の度に毎日の助力を必要としていたので、その毎日に反旗を翻すことができない。必ずしも親正力派とは言い切れないわけだ。中でも南海は、「反読売派」だった。かってエース・別所を巨人に強引に引き抜かれた恨みがあったのである。
 なにはともあれ、これで正力構想は実現に近づいたかに見えた。しかし、読売の方も阪神に使者を送っていたのである。(続く)

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