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みんな大好き「幻の球団」の話

「後の世の人達が思い出してくれれば、それが不滅ということさ」

『幻の東京カッブス』(小川勝)から、河野安通志の言葉

「霊魂は不滅か?」と10代の娘に問われた河野の答え。クリスチャンの家族らしい会話ではある。

「彼があと5年長生きしていたら、そのチームは2リーグ分裂時に後楽園球場を本拠地とし、パ・リーグに加盟していたはずである」

 凄く興味をそそられるテーマだ。こういう「球史の空白」みたいなところに光を当てがちな人の仕事の絶妙さには嫉妬さえ感じる。
「日本最初のプロ野球チームは?」と聞かれ、「巨人軍」と答える人は多いと思う。が、日本最初の職業野球団は大正9年に設立された『日本運動協会』(通称"芝浦協会")なのである。
 この本は、その日本運動協会の創始者にして、後楽園球場の産みの親、河野安通志(あつし)の生涯を、彼が夢見た「理想のプロ球団」設立計画の挫折を軸に綴ったものである。
 日本のプロ野球をビジネスとして育てた人達は、正力松太郎はじめ主に「商売人」に属する人達で、生粋の野球人という人は意外といなかったのではないだろうか?芝浦協会は、まだプロ野球など世間に認知されてない時代に、大学チームやクラブチームを相手に試合をしていた。世間からは、プロ野球など「不純なもの」として奇異の目で見られていた時代だった。
 しかし河野は、「野球を通して人間として向上する」ことを標榜するいわば理想主義者だった。協会の選手募集の際にも、厳しく面接を行い、教養、人格も重視で決定したという。
 しかし、順調だった芝浦協会も、関東大震災で自然消滅。が、プロ野球に可能性を見出した阪急・小林一三社長の誘いで大正13年、『宝塚運動協会』を設立。しかし、これも対戦相手の不足と不況のため挫折。
 昭和9年に正力が巨人軍を設立し、プロ野球をビジネスとして軌道に乗せると、昭和12年、その気運に乗じて河野をオーナーとする『イーグルス』が誕生。
 後楽園球場は河野の尽力で産まれたものだった。しかし正力の方が多くの株を持っていたため、第一使用優先権はイーグルスよりも巨人にあった。後楽園球場は巨人とイーグルスの共同本拠地としてスタートしたのである。この、やはり巨人と本拠地を同じくしていた日本ハムと似た立場のイーグルスというチームに、当時日本ハムのファンだった私などは強いシンパを感じずにはいられない。
 そして敗戦。イーグルスも離散状態である。河野の三度目の挫折と言える。物語の軸はこの時、戦後の復興と共にかっての仲間を集め、『東京カッブス』の構想をブチ上げ、スタッフの了解もとり、加盟の申請をするが、なぜか巨人の反対に会い、「幻の球団」に終わるまでの経緯にある。
 正力が希代の興行師であるのに対し、河野は野球を通してあくまで人間性の向上をめざす理想主義者だった。周囲の人望も厚く、ようやく存分にプロチームを運営できるというときに、最後の一撃が待ち受けていたのである。河野は、加盟却下の知らせを待たずしてこの世を去る。
 この本を読むと「河野の球団」を見てみたいという気にさせられる。それほど、少ない資料から河野安通志という人物の人となりが生き生きと伝わってくる。著者の小川勝は、スポニチで4年間、日本ハムを担当していたという。東京ドームを本拠地とするパ・リーグ球団という事実に、因縁めいたものを感じる。もし『東京カッブス』が実現し、続いていたら、たぶん私は今もファンだと思う。
 ともかく、これは決して悲惨な物語ではなく、むしろ明るいトーンで始終描かれている。それも河野の人柄によるものだと思う。そして彼の理想や人生観が冒頭の言葉に帰結するのである。

 河野は「国内最高峰が"大学"(アマチュア)では競技レベルは上がらず、腐敗する」という考えの持ち主だった。それを知った当時は極端な事を言う人だと思ったが、日大アメフト事件などを見て彼の考えの正しさに思い至った。

 プロとして報酬を得、世間の注目の中、世界の強豪と戦うから責任感も競技レベルも人格も磨かれる。「野球選手だって事件とか問題おこしてるじゃん」という意見が当然あると思う。しかし大人プロの世界には自浄能力というものがある。

 対してアマチュア、特に大学では世界最高峰の相手と戦う事もなく(大学の強豪とは戦っても、それは世界最高峰ではない)、そのくせ「国内最高峰」かつ世間の注目も浴びないから必然的に「井の中の蛙」になる。悪く言えば「治外法権」のようなその世界は、暴力をふるうような指導者や薬物の常習者には非常に居心地が良い。河野はスポーツの世界がそうなる事を正に恐れていたのだと思う。

 真の「日本プロ野球の父」は誰か?このテーマについて思う存分考えさせられる。古い本だけど読んでみて欲しい。レビュー欄にやたら低評価をする人がいるが、これは正力松太郎や巨人を「悪役」として扱われた腹いせによるものであり、客観的評価としては参考にしなくて良い。誰の目線かで人物の評価が変わるのは当然の事である。


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