而立したい自立支援医療受給者の日記(2022/06/26)
逃げることの賛否は場合によるが逃げ方は経験で知っておく必要がある
困難に直面した時その人がどのようにふるまうかでその人の性質がわかる
根性論と審美欲を満たすいい言葉だ
だがどんな状況であれ逃げ方を知っていないとめのまえがまっくらになることは心掛けておきたい
逃げることと目をそらすことは違う
三十六計逃げるに如かず
勝利のための逃走
戦術的撤退
古来より逃げることの是非はおかれた状況で違うことは周知の事実である
難敵にぶち当たった時戦う場所を変えることで自分の有利な方向に持っていくのは定石だ
戦車10両を吹き飛ばす砲台を持つ軍艦も空から攻められたら手も足も出ないし、その戦闘機も燃料がなくては飛べない
銃は距離の差を無くしてくれるが弾薬が無ければただの棒だ
寡兵が戦略や作戦次第で大軍を相手取る様は見ていて痛快だし応援しやすい
けれども目的を見失った群は瓦解や暴走を引き起こしていく
目標はセンターに入れなければならない
逃げた先はセーフハウスでなければならない
トーヨコにたむろする若者、という「コンテンツ」がある
彼ら彼女らはえてしてトラブルを引き起こしやすい
曰く「悪い大人に引っかかるのは目に見えている」、「何も考えてないでそんなところに行ったのだから自己責任だ」
そんな残酷なことを「教養のある」大人達は言う
けれども僕は人間は「納得、安心、信頼」のどれかが満たされるように行動すると考えている
あそこにたむろする若者達はこれらが「普通」の場所で満たされることがないのではないだろうか
白河の清きに魚の住みかねて元の濁りの田沼恋しき
昨今の規制や流行はいかに目の届かないところを作るか、見ないふりをできないようにするか、という傾向がある
我々を取り巻く空気、水、そしてつながり
それをはっきりとさせることが今までのトレンドだった
なぜならその方が機械(文明)を適用しやすいから
国内で自動運転が実験段階になった時車道を走っている車のほとんどが制限速度を守っておらず登録された速度と相対速度の差が大きすぎて実験にならなかった、という笑い話がある
どこまでも01で決める機械は曖昧なうまくやろうよ、というものを容赦なくぶち壊してくる
コミュニケーションにも同じように機械が侵入してくる
SNSの高評価の数、メッセージの既読、使っている端末の種類
それらで「社会」に適合できないと感じると爪弾きにされるかその前に自分の意志で消えていく
だがいつ敵が襲ってくるかも分からないコンクリートジャングルでは精神がまいってしまう
そこで彼らは誰も入らない毒沼に入っていく
誰からも見えない「透明」な彼らがあそこで「汚れる」ことで「認識」される
時には元々そこに住んでいた「強者」にエサとして
安心して深呼吸ができる場所
メンタルが不安定な時の症状の一つに呼吸が難しくなる、というのがある
呼吸自体はできているのだが効率が急に悪くなる
深呼吸のやり方も分からなくなる
自分が吸ってるのか吐いてるのかも分からなくなる
こういう人を救うのは古くは宗教、ハングレ、ヤクザモン、お水の人達だった
彼らはそこに所属してるだけで意味があった
例え毒にまみれても群れを作ることで自分の身を守って来た
今、お上のご意向で彼らは力を持てない
一体だれが衆生を救うのか
それは神仏の知るところではない
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