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川又集落の散歩

どこか遠くへドライブでもしようかと小屋を出たが、ふと、車の中から過ぎ去る景色を眺めてもつまらなく思えてきた。そこで、近くの集落を散歩することにした。ここはいつも車で通り過ぎるだけで、これまで集落の中に足を踏み入れたことが無い。神社脇の空き地に車を停めて、カメラを肩にかけて歩き始めた。

 杉木立の間から大きな屋敷が見える。生垣が屋敷を囲んで、その上から真っ白な土蔵がのぞいている。村人の姿がない。あたりはシーンと静まり返っている。道路からわずか数百メートル入っただけなのに流れている時間が違っているようだ。息栖神社の参道はきれいに掃き清められて、社殿の正面には大きな茅の輪が奉納されていた。村人から大切にされているのだろう。ここでは古くからの信仰がまだ生きている。神社から離れれたら、後ろの社殿の方からパン、パンと柏手を打つ音が聞こえた。

 鬱蒼とした杉林と深い緑の栗林を抜けたら、突如、明るく開けた場所に出た。誰かが向こうから歩いてくる。胸の前で手に何かを抱えたおばあちゃんだ。近づいて挨拶したら、おばあちゃんは「これ食べな」と言って、いま収穫してしてきたばかりのラッキョウをくれた。まだ、土まみれだ。「でも、入れるものを持っていないから」と遠慮したら、おばあちゃんは、自分がはめていた手袋を脱いで、その中にラッキョウを詰めてくれた。「甘酢漬けにでもしようかな」と言ったら、おばあちゃんは「このまま味噌をつけて齧るのが一番好きだ」という。それから、「少し固くなってしまったけどネギも持っていけ」と言って、畑から何株を引き抜いてもたせてくれた。


 ラッキョウの手袋とネギ束を抱えて、散歩を続けた。栗畑を過ぎて雑草で消えかかった畑道を進んだら、突然、道は急な下りとなって、その先は田んぼになった。しばらくあたりを見回しても、すぐにはここが何処だかわからない。どこかしらない場所に来たようだ。
遠くの林の上の山並みや自動車の走っている道を眺めて、突然、ここがいつも通る道の近くだと気がついた。まるで、日常の現実にもどったかのようだった。
 小屋に戻って、言われるようにラッキョウに味噌をつけて齧った。カリッ、シャキッとして、確かに美味い。新鮮だからだろう。おばちゃんの言うことは本当だった。散歩は楽しい。



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