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『八柱神社』あるいは『聖天堂』

昼食に隣町にある『べんがら庵』で「激辛トマト坦々麺」を食べた帰り、近くの『八柱神社』に寄った。ここには数年前にも訪れたことがある。参道の階段を登り、まず目についたのはケヤキの巨木である。胴回りは9mぐらいあろうか?樹齢は不明だが何百年だろう。すでに主幹部分が腐って空洞になっていて、外側の樹皮部だけで生きている。その姿はこの場所に相応しく、魁偉というか神々しい。ケヤキからすれば当たり前だが、以前僕が訪れた時と全く変わらずに緑の葉を茂らせていた。

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今では「神社」となっているが、元々は『金剛院』という真言密教の仏教寺院だった。創建が寛平2年(890)というから相当に古い。それが明治の神仏分離・廃仏毀釈で破却されそうになったので、明治4年に近隣の神社を合祀して『八柱神社』として存続を図ったようだ。したがって、現在の本殿は旧金剛院の「聖天堂」である。ここがもともと「仏堂」だった証は、横向きに唐破風 がつけらていることからもわかる。隣接している古い墓を見たら、墓誌に天文4年(1559)からの歴代の住職の名が刻んであった。

本殿の外周は、精緻な彫刻でびっしりと飾られており、その豪華さは茨城県でも随一である(有形文化財)。本殿全体も極彩色で塗られていたようだから、当時はさぞや見事だったろう。彫刻は古代中国の故事伝承をテーマとしたものが多い。この本殿は、天明5年(1785)に彫物師磯部義兵衛の作で、本殿の築造もその頃とされている。

仏教寺院だのに、この派手さ、過剰な装飾はどうしてなのかを考えた。
どうも、この寺院が「聖天様」を祀っていたことに関係するのではないかと思っている。今でも陣内には聖天像が安置されているとか無いとか。
聖天様とは歓喜天のことである。あの象頭人身のガネーシャである。単身もあるが、抱擁している秘仏の双身像も多い。和合の象徴ともされていることから、昔から夫婦円満を祈願する参詣者が多かったそうだ。

外回りがこれほど華麗な本殿であるから、内部に安置されている「聖天像」は、どんなものなのだろうか?単身なのか双身像なのか? ますます、拝観したくなった! ついでに円満もお願いしよう!(笑)

なんか、今日は「赤色」と縁があるな〜 

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