寄り添い方がわからない

実はその人がとても悲しい思いをしていたとか、
つらい状況にあったということが、
後々になってわかることが多々ある。

もう大丈夫だからとか、
今はもう大丈夫だからと言ってくれても、
「大丈夫じゃなかった時」が絶対にあって、
でもこちらにそのつらさがわからないように接してくれていたんだと思うと、
自分は何をしているんだろうと思う。

大丈夫じゃない状況だっただろうに、
平気そうに見せてくれていたことを思い知って、
自分が情けなくなる。無力。

つらいときも何もできないし、
つらかったんだとわかっても何もできない。

自分が原因でなかったにしても、謝りたくなる。

気の利いた一言も言えない。

誰かがつらいときの、寄り添い方がわからない。

自分につらかった記憶の引き出しがないから、
寄り添い方の正解を取り出せない。

何気なく過ごしているように見えたのに、この人はつらかったんだ……

つらかった時を察知できなかった自分の情けなさと、それがわかってもなお何も言えない自分。
あわあわする様子しか見せられないこのザマ。

一体いつになったら人のつらさがわかるようになって、寄り添えるようになるんだろう

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