増田セバスチャンが「KAWAII」づくりに集中するコツ。「毎日、1時間かけて予定を立てます」
世界で人気の、日本独自の「KAWAII(カワイイ)」カルチャー。その第一人者と言われるのが、増田セバスチャンさんです。
1995年から原宿を中心に活動し、世界に評価される文化を作り上げた増田さん。現在はニューヨークに移住し、アーティストとしての制作活動に加え、レストランのプロデュースや舞台のアートディレクションなどもおこなっています。
多忙を極める増田さんが時間を有効に使い、制作活動に集中するコツを聞きました。
── 日本を代表する文化になった「カワイイ」。カラフルでキラキラした作風に辿り着いたのは、どのような背景があったのでしょうか?
増田さん 小さい頃から絵が好きで、漠然と「漫画家になりたいな」という思いはあったんですけど、アーティストという選択肢は考えてもみませんでした。
高校卒業後、専門学校への進学を機に東京から大阪へ引っ越したんですけど、環境の変化に順応できず、引きこもりになって。バイトも学校も行きたくない、普通の生活もしたくないし、ずっと家にいたんですけどついにやることがなくなって、図書館に通い始めたんです。当時はネットもないので、それくらいしか行くところもなくて。
そこで出会った、寺山修司の『書を捨てよ町へ出よう』という本が、人生の転機になりました。
1つの物事を多角的に考える。固定観念を破壊する。そんな寺山の考え方に感銘を受けて、“アーティスト”になりたいと思ったんですね。「東京に戻って、表現活動をしよう」と決心しました。
当初は演劇をやりたくて、劇団や現代美術館の裏方を色々やらせてもらいました。1990年に入ったばかりの頃で、アート作品は「表現はゆくゆく、人間が機械に冒されていくのだろう」というテーマがトレンドだったんです。デジタル、機械、ジャンク、鉄... そういったものを扱った作品を多く目にしてきました。
でも僕は、自分が大人になった時にそんな未来が来るとは全然思えなくて。むしろ、そんなダークなものではなくて、キラキラした、カラフルな未来が来てほしいな、来るだろうなと思っていました。そんな時に「カワイイ」という表現と出会って、今のような色使い、デザインによる表現をするようになったんです。
──いわば、当時の作品へのアンチテーゼとして「カワイイ」をつくるようになったんですね。
増田さん 上の世代に対しての、カウンターですよね。大人が思っているものと、来る未来は違うぞ!という気持ちで始めたのが、こうした色彩の表現だったんです。
自分が若い頃は、上の世代から「大人はこうあるべき」「人生はこう生きるべき」という固定観念を押し付けられている気がして、とても窮屈でした。そうした状況から「自分にはこういう考えがあって、こういうことをしたい」という表現を見つけたので、僕の制作活動は、上の世代へのカウンター的な気持ちがずっとある。今もありますよ。もう自分が「上の世代」なんですけどね(笑)。
その「カワイイ」を作るときは、いつも「言葉から」考えることを心掛けています。派手で、カラフルきらびやかなものを作っているんですけど、最初にイメージするのは「この作品でどういうメッセージを届けたいのか」ということ。それを言葉で書き出してから、制作活動をスタートするんです。意外ですか?
『書を捨てよ町へ出よう』の影響が大きいのですが、1つの言葉も角度を変えると違った伝わり方になったり、違う意味を帯びたりするというのがすごく面白いし、大切なことだと考えています。メッセージを届けるための作品づくりをしているので、僕の作品においては見た目や色使いよりも、言葉が重要なんですよね。
── 言葉から始まる制作活動。とても「集中」を要する作業だと思いますが、没頭するコツはありますか?
増田さん 僕の制作活動には没入感が必要なので、音楽を大きな音でかけます。自分のことを鼓舞するために音楽を聞いてテンションを上げて、そこから集中の“ゾーン”に入っていくんです。音楽は昔からとても好きで、ジャンル問わず色々な曲を聴きますね。
自分は、オンオフの切り替えが上手な方だと思います。リラックスしたいときは、何も考えないようにぼーっとしたり、お風呂に入ったり。温泉も大好きなので、オフの日は一人で温泉に行くことも多いですよ。
あとは、気分を切り替えたい時によく口にするのがコーヒー、チョコ、ラムネです。
こんな世界観を作っていながら意外と思われるかもしれないんですけど、あんまり甘いもの食べないんですよ。でも、ラムネって爽快感があるので、気分をリフレッシュさせたい時にぴったりなんです。
制作活動って、「内に籠っている」作業に見えるかもしれないですが、実はアスリートに近いんです。テンションがマックスで、集中してゾーンに入っている状態でこそ、クオリティの高いものが作れる。でも、時にはリラックスする瞬間を作らないと走り続けられないですよね。だからこそ、ブレイクポイントを意図的に作るようにしています。
── コロナ禍でテレワークになってから、「オンオフの切り替えが難しくなった」「むしろ仕事に時間がかかるようになった」という声もよく聞きます。
増田さん 僕のアトリエでは、常に10個ほどのプロジェクトが同時進行しています。プロジェクトが多いと、会議も多い。会議をすると何となく仕事をした気になりがちなんですけど、そこからが本当の仕事=作業の時間ですよね。会議だらけになってしまうと作業時間を十分に取れないので、限られた時間は有効に使わなければならない。
そうした問題を解決するためには、実はスケジューリングが一番大切なんです。作業時間をカットするということに目が行きがちですが、僕のアトリエでは、仕事が始まる前のスケジューリングに毎日1、2時間割いています。
朝、その日のタスクや予定を書き出して、ここまでに何をして、誰がどのタスクを進行する、というのを時間割で決めて、時間をかけて無駄な箇所を省いてスケジューリングをする。その日にやるべきことが終わったら解散!です。僕は、基本的に仕事の時間を最小限にしたいので...(笑)。
── 時間を上手に使いながら、今後はどんなことにチャレンジしていきたいですか?
増田さん 「カワイイ」と聞くと、小さい子犬とか、ぬいぐるみ....そういったものが最初に浮かんでくると思うんですけど、実はもっと幅広いんです。広義には、人と人をつなげるコミュニケーションの役割も果たしていると言えます。さらに、そのカラフルな色には、見ていてハッピーになる、気分を上げる効果があるので、そういった点も含めて海外で評価されているんです。僕の活動の根底にあるのは「この概念、理解が広がったら、世界はもっと平和になるのでは」という思いなので、このスピリッツを伝えていく活動は続けていきます。
アーティストとしては、昨年ニューヨークに移住して、まさにチャレンジの真っ最中です。元々、年齢的にあといくつ大きな作品を作れるかな…と考え始めた頃、2017年度に文化庁文化交流使としてアフリカ、中南米、アメリカ、ヨーロッパと、世界各地を訪れる機会がありました。長期滞在したニューヨークではNYU(ニューヨーク大学)の客員研究員として在籍し、アムステルダムではNDSMという旧造船所のアート地区で現地のアーティストとコラボしたパフォーマンス作品を発表したのですが、2つとも違う理由で刺激的な場所で。
ニューヨークは、世界中から色々なジャンルでトップになりたい人たちが集まっている、まさに戦いの場。アムステルダムは、土地や船など古いものから新しいものを生み出す、街中がクリエイティブな場所。世界中どこでも作品を作れるようになるにはどこに行けばいいのだろう…と考えた結果、世界の中心地という意味でニューヨークを選択し、ビザが降りた2021年に移住をしました。移住2年目の今年、ニューヨークにプロデュースした寿司レストラン「SUSHIDELIC」がオープンし、近々アトリエも構える予定があります。
海外にいると、日本人ということがすでに個性なので、このまま自分のルーツを大事にしながら、世界中で色々な作品を作っていきたいですね。
── 「カワイイ」をコミュニケーションツールにする増田さんのこれからの活動も、楽しみにしています!