東日本大震災大震災の記憶⑦あとがきとおまけの話

震災を経験して、沢山のことを知った。沢山のことを学んだ。私の根本をも揺るがす出来事だった。

私は元々霊感がある方だった。子供の頃からモヤモヤっと見えたり、気持ち悪くなって行けない場所などがあった。
それは大きくなってからも変わらず、見えてしまうことも何度かあったのだが、それは震災でぱったりと見えなくなった。

震災を経験し、相続争いなどを目の当たりにしてしまい、生きている人間の方が怖いと思ったこと。
本文では省いたが、私は震災後に同居した旦那の親戚に虐められ、いびられた。私が洗った食器は洗い直され、畳んだ洗濯物は畳み直された。あの嫁はなにもできないと周りに言いふらされ、みんなから嫌われた。知らない土地、知らない親戚の中でひとりぼっちだった。ストレスで子を立て続けに2人流産し、そのせいでさらにいびられた。お前の体が悪いと言われ、他の親戚たちを巻き込み大喧嘩に発展した。

その他にも、親戚がスーパーで買ったものを全て盗まれたり、ニュースにもなっていたが避難所での強姦や、遺体が身につけていた貴金属を盗む泥棒がいたり。
当時は本当にカオス状態だった。人間なにもなくなるとなにをしでかすかわからない。今でも、生きた人間の方が怖いと思う。

そして何より、義母に会いたかった。化けて出てきてもいいから会いたい。あの厄介な親戚から私たち夫婦をずっと守ってくれていた義母。都会育ちで、きっと田舎の暮らしは性にあわなかっただろう。苦労もしたのだろう。
いつも可愛く微笑んで、行く度に私のネイルや服を褒めてくれていた義母。幽霊でもいいから出てきてよ!そう思ったら幽霊なんて全く見えなくなってしまった。おかしな話だ。


震災を経験してから変わったことは数え切れないほどある。

人の死が苦しい。何百人亡くなりましたと言われると、その一人一人に家族がいたことを考えてしまうのだ。そのため戦争のニュースなどを見ると未だに苦しく辛い気持ちになり、長くは見れない。

毎日笑って、感謝して過ごすこと。「人はいつ死ぬかわからない」そんな当たり前のことも、私たちは忘れてしまう。けれど、突然その日はやってくる。

被災した子供が言っていた言葉が私は忘れられない。「ありがとう、たったこの5文字が言えなかった。」後悔してからでは遅い。ありがとう、大好きだよ。これをここまで読んでくれた貴方は、傍にいるその人に伝えてほしい。言えるうちに、ありがとうと、大好きを。その人はもう明日はいないかもしれないのだから。

それに付随したことでもあるが、あまり将来を悲観するのも良くないと気付かされた。明日が当たり前に来るわけではないのだから、悲観するくらいなら今を楽しく生きた方が自分のためにも良い。

貯金をするなとは言わないが、最低限暮らしていけるだけのお金と場所があればいい。自分だけでなく、まして子供の将来や親がどうなるんだろうとか、不安がっていても仕方がないのだ。一瞬一瞬の繰り返しで明日ができていく。予想した未来なんて来ないことの方が多い。

おかげさまで、私はきっとどこに行っても生きていけるだろうという自負がある。


辛いこともたくさんあったが、人の優しさにもたくさん助けられた。
電車で広い部屋を貸してくれた駅員さん。飛行機で長男をあやしてくれた隣の人。その泣き声に、嫌な顔ひとつしなかった周りの乗客の人々。引越しのときに駆けつけてくれた、旦那の友達。震災当時、食糧も僅かなのに、私たち家族を受け入れてくれた親戚。


優しく、そして強い人でありたい。震災後、あちこちで見かけたアンパンマンのポスター。それをみかける度に何度も涙しては、自分を奮い立たせた。

私にとってひとりぼっちで泣いたあの夜を思い出せば、今の生活で辛いことなんて屁でもない。小さい頃大好きだったアンパンマンは、大きくなっても私を支えてくれたヒーローだ。

もし私が「人よりメンタルが強いな」と思っている人がいたら、きっとそれは被災した経験が大きいと思う。

SNSでは暗くなるので基本的にはこの話はしていませんでしたが、これで少し理解して頂けると幸いです。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

ラムネ

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