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解読 ボウヤ書店の使命 ㉕-外伝-11

長編小説『路地裏の花屋』外伝『ツツジ色の傘』読み直し続き。

《第五章 映像に映る女
 繭子は二人に一枚のカードを見せ、「この中に映像が入っています」と言ってモニター装置に差し込み、映像を早送りしながら草子らしき人の映っている瞬間を探し出した。
 映像の中には、確かに草子に似た黒い服を着た女が映っていた。その日は雨降りだったらしく、店先に訪れた女は傘立てに傘を入れると店内に入って器を眺め始めた。繭子が彫った仏像は椅子の背に隠れており最初から映ってはいない。モニターに写っている女はいくつかの皿を手に取り、眺めては置いている。会計机の辺りを覗き込んで、店に人がいないのかと見る仕草をしたり、腕に付けている時計を眺めたりしていた。わずか数分ほどで入り口の所に行き、また傘を差して出て行ってしまった。
 中西は腕組みをして画面に見入っていた。
「これだけで、その方だと分かりますか? どの辺りからその茶道家の方だと?」
「そう言われてみればそうね」
 繭子は目をしばしばさせ、考え込む仕草を見せた。「よく分かりませんわ。お話をしているうちに、彼女ではないように思えてきました。第一、どうして彼女が私の仏像を持って行かなければいけないのかわかりませんもの。どうしましょう」両手で唇を押さえた。
「それに、この傘、黒いですね」
 中西は映像を巻き戻して傘の映っているところで一時停止し、「女性は黒い傘を持ちますか?」女に聞いた。
「どうかしら。持たないとも限りませんけれど」
 模糊庵も草子の傘の色を思い出していた。相談に来た日の帰る間際、草子は、傘だけは明るい色にするのだ、と言っていた。
「いずれにしても誰が仏像を持っていたのかは分からず、もう戻ってこないかもしれないということですね。あなたが彫った大切なものなのに。実に残念です。私は仏像が好きで研究しているものですから惜しいと思うし、あなたにとってもきっとそれは悲しいだろうと思います。もしも戻ってきましたら、私の方に連絡してくれますかな」
 名刺を置いて立ち上りかけたが、ふと思いついて再び座り直した。
「すみませんが、もう一杯お茶を淹れていただけませんかな」
 腕組みをして髭を撫で、「この湯呑が素晴らしい。これとお別れするのが実に名残惜しい気がして。もう一杯だけ飲んおきたいのです」
「先生、図々しいですよ、そんな――」
 中西が窘めるように言い始めると、繭子は言葉を遮り
「いいですわ、おまちください。それほど器を気に入って下さるのなら、私としましても嬉しいことですもの」
 奥の部屋に消えた。
 すると模糊庵は早速中西の耳に顔を近付け囁いた。
「君、ちょっと、あのからくり時計の下にあるウサギの置物を取ってきてくれませんか」
「先生、ウサギにまで興味がおありですか。何にでも好奇心がおありですね」
 中西は呆れたように言いつつも素直にからくり時計の下に行き、手のひらにすっぽりと収まる木彫りのウサギを取った。その間に、模糊庵はモニターをちらりと見て、ほほう、やっぱり、と小さく呟き、
「いやウサギは要らない。結構だ。大人げないからやめておこう」
 中西に言った。なんですか、もう、と言いながら中西が椅子に戻ると、模糊庵は耳元まで顔を近付けて、
「わかりましたよ、防犯カメラ。ほほほほほ。詳しい話は帰ってからと致そう」
 小声で言い、奥から現れた繭子がテーブルに並べた湯呑からお茶を飲むと、早々に立ち上がった。
 帰り際になって、中西が急に思い出したように、
「先程の小鉢揃えのひとつと思われるものを売っていた骨董商はどちらですか」
 と聞くと、
「葵美術さんですわ。仕事でよくここにいらっしゃいます。そうそう、私がモニターに映り込んでいると勘違いした茶道家の方も葵美術さんにはよく立ち寄られるそうです。立ち寄られるどころか非常に懇意にされているとか」
 と答えた。「モニターに映り込んだのが私の勘違いかどうか、まだはっきりとはしませんけれど」小声で付け足す。
 中西は浮かない顔をしている。
「茶道家の方の名前は?」
「風野草子さん。葵美術さんでたまたまご一緒した時に紹介されましたの。葵さんが彼女のことを随分とお目が高いと褒めていらっしゃったわ。ここから、そう遠くありませんから、よかったら行ってみてください」
 会計机脇の棚から葵美術店の案内書を取り出し、「葵さんはずっと古くから営んでおられます。私がここでお店をするようになってから、よく面倒を見てくださる方ですわ」中西に手渡した。

 二人は店の外に出て、しばらく黙って坂を下ってから
「あの映像に映っていたのは草子さんじゃないですね」
 模糊庵が言った。「家に着いたらさっそく、大丈夫、あなたじゃなかったと言って差し上げましょう」
「でも、絶対に違うと言い切れますか?」
 中西は少し不安な様子だった。「似ていないとも言えないから」
「もちろん、言い切れません。でも身長が少し低かった。草子さんは私の顎までくらいの背丈でしたでしょう。小柄と言えば小柄ですが、あの映像の女性はもっと小柄だった。下から二段目の棚をようやく覗き込める程度だったじゃないですか。子どもかもしれない」
「子どもですか」
「草子さんに似た子ども。または、ほほほ、妖か」
 模糊庵はおかしさが止まらなくなって肩を揺らしてまでも笑う。
「妖?」
「そうです。座敷童とか。まあ、もしかしたら、草子さんの分身かもしれない。その草子さんの分霊の後ろを、繭子さんが彫った仏像がひょこひょこ着いて来てしまったのかも知れぬなあ。笠地蔵のように」
 大口を開けてかかかと笑う。
「どういう意味ですか。なんだか曖昧ですね」
「そのための模糊庵ですよ。曖昧模糊。ある程度は曖昧にしておくのがよかろうということです。実際、映像の中の人は傘の色が黒だった。彼女が家の方に来られた時、ツツジ色の傘を差していたじゃありませんか。そして、傘だけは明るい色にするのだと仰っていました。まあ、それだけで彼女ではないとは言い切れないけれど、とにかく映像に映っていた人は背丈が小さすぎるだろう。少なくとも今現在の草子さんではない」
「どうするんですか。あの天使の彫の入った仏像」
「あれですか。あれは返しておきました。今日こっそり持って来ていたのです。ここに入れてね」着物の袂を指した。
「えっ? いつのまに、どこに返したのですか」
「店の椅子の上にです。彼女が言っていた場所に。ほら、帰り際に、あの女性が私の買った花瓶を袋に入れてくれたでしょう? その合間を縫って――」
 持っている袋を持ち上げて、これ、と言い中西に見せる。「棚の奥の綺麗な紙袋をごぞごぞ探しておられた時にさっと置きました。椅子の位置はカメラの視野に入っていないはずですから、私が置いたとは気付かないでしょう。彼女が彫ったものだというのですよ。そんなものが盗まれるというのなら、いたずら以外考えられないことです。まして葵美術さんの言う通りお目の高い草子なのであれば、わざわざ盗んだりしないだろう」なんだかおかしくてたまらなくなってくすくすと笑う。「あの仏像を初めて見た時にも、円空に似てはいるけれど、さすがに重みも何もまるっきり違っていることくらいわかりました。もう、いちいち根掘り葉掘り真実を探る必要もないだろう。こういう時に、あれは妖の仕業だったと納得しておくのです」
「だとしても誰が草子の家に仏像を投げ込んだのかな。僕は葵美術が怪しいような気がする。繭子さん、店で時々奇妙に物が無くなると言って、そんな時にはいつでも客らしい客は来ていないと言ったでしょう。だけど葵美術が仕事のふりしてやって来て、なんとなくまやかしごとを仕掛けているんじゃないですか。繭子さんの方では葵美術のことを客だとも思っていないし、いい方だと信頼し切っているので防犯カメラに映っていても、妖しい人物としては認識していないと考えられませんか」
「ほほう、信頼という盲点ですな」
「でもどうして仏像を盗って草子さんの庭に投げ込んだのかと聞かれるとわかりませんね。そもそも葵美術と草子さんも知り合いだというじゃないですか」
「それについては、そうだなあ」
 やや肉付きのよい体をゆすりながら、模糊庵は坂道をゆっくりと降りる。「まあ、私共はそこまで調べるようには頼まれておりません。あの映像の中の人が草子さんではなかったと分かればそれでいいだけですから」
 中西は、それもそうだと納得した様子を見せた。
「あ、先生、ここにも蝶」
 道沿いにちらほらと咲き始めている青や紫の紫陽花の周辺を舞い飛んでいる蝶を見つけて指さした。二匹で舞い飛んでいる。
「また妖かあ?」
 ふざけて手を振りまわしながら冗談半分に二匹の後を追う。
「今度は青い蝶じゃありませんか。さきほど我々が見た蝶は白かったけれど」
「先生、よく見ると蝶は青いわけではなさそうですよ」
 捕まえようと手を振りかざしながら言う。「ただ紫陽花の色を映しているようです。ということは透明?」
 捕まらず蝶は高く飛ぶ。
「透明の蝶なんかがいるもんですか」
 模糊庵は蝶を目で追いながら、顎鬚に指を入れて梳く仕草をした。
 蝶はどんどん高く舞い上がって、灰色の雲間に細く夕日が漏れている空に溶けるように見えなくなった。》

つづき。

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