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解読 ボウヤ書店の使命 ㉜-4

朗読譜『カラスの羽根、あるいは雀の羽根、ヒヨドリの羽根』の推敲と読み直しつづき。

《第四曲《カリパブリクシャ》                                 
          作 米田 素子

プロローグ

青い空を渡る二羽のカラスが
ペン先の如く尖った嘴を冴え冴えと見せながら
どんなときでも正直に語る私を
今日も探していた。

いつものように私は路上で立ち止まり
晴れやかに空を見上げ
黒い鳥の美しさには遮るものもなかったので
まっすぐに心打たれた。

二羽は頭上を旋回する。

私はいつまでも見惚れる。

「あの樹木、カリパブリクシャの話をしなければならない」

カラスの言葉が光のように降りてくる。
細く鋭いテレパシーの矢が
また
私の身体に打ち込まれたのだ。

第一楽章 私のカリパブリクシャ

あの日
そのカルパブリクシャが目の前に現れた時
胸の奥が空っぽになった気がした。

これだったのだ。
そうだとわかる。
だけど似ていない。

それは鏡に映る自分の姿を眺めているうちに
少しずつもとの肉体を削り落とし
ついに忘却した後
突然訪れた本当の私。

ああ
これが私のカルパブリクシャだったのかと
私はスマートフォンで数枚の写真を撮った。

幹も枝も太く
根は地上に半分だけ姿を現しながら
絡み合って強く大地をつかんでいる。
葉は青々と茂り
辺りに木陰を作っていた。

実際に見たことのある樹木の中では
もっともたくましいものだったが
隣り合う樹木はなく
たやすく乗り越えられる程度の簡単な柵で
侵入禁止を主張していた。

野球帽をかぶった老人が
傍のベンチに座っていて
餌をもらおうと近寄る雀たちを
靴で追い払おうとしている。

私は旅先で何度も
ありとあらゆる樹木と遭遇しては
それこそが
私のカルパブリクシャかもしれないと
考えてきたのだった。

しかしそれらは
今にして思えば
私のものでもあったが
他の人のものでもあった。

それまでの私は
人間や樹木とはそういうものだと思っていたし
地球の公共性といった
潔癖なよそよそしさに慣れることが
旅を歩き慣れることだと信じ切っていたのだ。

しかし
このカルパブリクシャは
明確に私の胸中に囚われて生えている。
それがこの世界に
幻影のように映し出されている。
遠くにあったものに
接近すればするほど大きくなっていくように
実物のそれは大きかった。

どれくらい長い間そこに居るのかわからない。

第二楽章 私の中にある庭園

それまでに
カルパブリクシャの周辺にある中庭や
そこにある建物
奥まった森や入り組んだ細い道を
実際に視たことは一度もなかったが
初めて歩いてみると
私はそのほとんど全てを知っていた。
瞑想の中で見ていた景色であり
結局のところ
克明に浮かび上がる庭園の中を歩くのは
私が、私自身の中を歩くようなものだった。

庭園の最奥には鬱蒼とした森があり
とてもじゃないがその中には入れない。
信じられないほど多数のカラスの鳴き声が
曇った空に向かって響き渡っている。
町で飛ぶ時の
一種からかうような鳴き方ではなく
来るな、来るなと
本気で私を追い払っている。
おそらく
大地からのエネルギーを吸い上げる
秘匿された行いをしているのだ。

どういうわけか
カラスたちは私を知っていた。
熟知していた。

私が森の方へ進むのを諦め
庭園を出て辺りを歩いていると
カラスたちは
私の背中側をすれすれに素早く飛んで
歓迎とも威嚇とも思えない秘密の方法で
親しさを表したのだから。

彼らにとって私が何なのかはわからない。
しかし
長きにわたって
私にカルパブリクシャの在り処を伝えようと
必死になっていたのは彼らだ。
恐らく
ありとあらゆる
瞑想に付随する物語を運んだのも
彼らに違いない。
私はただそれを書き取ったのだ。

もちろん
この小さな文も
彼らの羽にペン先を付けて
言われるがままに書いただけのことである。

エピローグ

「カリパブリクシャについてはこれでいい」

二羽のカラスは満足げに
私の傍にある樹木に止まった。

「揺れる黒いサテンのスカートと
警戒し過ぎないままで居る時に」

私はまたすぐにでも
美しい物語の矢に打たれて
湧き上がるそれを
この白い貝殻の内側に書き留めるだろう。

(了)》

#カラスの羽根
#朗読譜

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