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解読 ボウヤ書店の使命 ㉜-9

朗読譜『カラスの羽根、あるいは雀の羽根、ヒヨドリの羽根』のつづき。

《第五曲《経営者の男》   
        作 米田 素子

プロローグ

年老いたヒヨドリの王が窓辺に訪れて
羽根を大きく広げて見せた。
褐色に透き通る羽根は扇のようで
賢者の風格を表していた。

「私も様々な世界を観てきた。」

と、ヒヨドリの王は背中の筋肉を隆々とさせる。

「まだ少し若かった頃の話をしよう。」

近くを飛ぶカラスが威嚇してもびくりともせず
ヒヨドリはベランダの柵に止まったまま
三つの落とし物をした。

第一楽章 三つの場所

街を東西に射抜く高速道路の高架下に
小さな鉄工所があった。
いつ横を通っても
ジィーンという音と共に火花が散っている。

鉄工所の少し先に作業服屋があり
隣にホッピーのある居酒屋がある。

 ――ここは小さな完結した世界だ。

私は鉄工所の前で立ち止まり
鉄工所、作業服屋、ホッピーのある居酒屋を
眩しそうに眺めた。

第二楽章 反転した世界がどこかにある

「いやいや、完結してもおりません。」

横から声を掛けられ

 ――そうですか?

私は驚いて横を振り向いた。
立っていたのは
少し腰の曲がった男だった。

「私は鉄工所の主ですがね、
実を言うとあの三つとも、
私が経営している。」

男は腕組みをして満足そうに言う。

 ――ならば、ますます、何か
   ひとまとまりの世界じゃないでしょうか。
   世界というのが大袈裟ならば
   ひとつの町とでも。

そう言うと
経営者の男はポケットに手を入れて高速を見上げ

「いやあ、見えている世界があれば
その反転した世界が必ずある。
それを含めて、やっと完結だ。」

薄く笑った。

 ――反転した世界とは?

「たとえば富士山は
湖に映った逆さ富士とセットでひとつ。
それでやっと富士山。」

 ――じゃあ、この鉄工所、作業服屋
   ホッピーのある居酒屋も
   何か反転したものが
   どこかにあると仰るのですか。

鉄の匂いを含んだ風が吹く。

「まあ、そうだろうね。
その三つの反転は見たことはないが
あの高速道路の反転したものは見たことがある。」

経営者の男は高速道路を指した。

 ――どこに?

「この、下に。」

今度は地面を指さす。

 ――地下道でもあるのですか。
   あるいは、地下鉄のことを仰っている?

「いやいや
そういうあからさまに見えるものではなく
逆さ富士のように
ある場所に行けば見えるが
そこに行かなければ
気付きもしないというものだ。」

 ――どこに行けば見えるのでしょう?

私も高速道路を仰いだ。
どこにあるというのか。
この道路が反転して映るのが見える場所。

「行ってみるかい? すぐそこだ。」

 ――まあ、行ってみましょうか。

そう言うと
男はにやりとし
私の羽根を軽く叩いた。

「いいね。そうこなくっちゃ。」

私は何かぞっとしたが
途中まで行って
怖くなれば引き返せばいいと考え
男の後を着いて行った。

第三楽章 排水溝の蓋の上

男は鉄工所の横をすり抜け
作業着店と居酒屋の中間辺りにある
排水溝の上に立った。

「ここですよ、ここ。
ここに立つと、見える。
あの高速道路が反転した様子が。」

 ――今も見えているのですか。

「ええ、見えます。
ちょうど幻のように
さかさまになった道路がね。」

 ――あなたの店は? 
   鉄工所や、作業着店や居酒屋は?

「それは――。
やっぱり、ないな。見えない。」

私は経営者の男と入れ替わって
その排水溝の上に立ってみた。

なるほど
さかさまになった摩天楼のように
幻の高速道路が揺らいで見える。
その上に、鉄工所や作業着店
居酒屋も見えた。
反転した形で
きらびやかな火花がたっている。

 ――ああ、確かに、見える。
   高速道路、ありますよ
   鉄工所も作業着店も居酒屋も。

私は感動し
それから経営者の男の方を見た。

 ――あっ

 あろうことか、男は私自身だった。

私は慌てて
排水溝の蓋から降りた。
再び男が居た方を見たが
男はどこにもいない。

ということは
私は今
その経営者の男になっているのか? 

第四楽章 反転した私

ジィーンという音と共に
金属の焼けた匂いが届く。
反転した高速道路はもう消えてしまった。
反転した三つのものも消えた。

私は羽根に隠し持っていた
スマートフォンを取り出し
そのカメラ機能で
私は私を
反転する私を映してみた。

 私は元の、私だった。

ほっとひと息つき
恐る恐る再び排水溝に近付いて中を覗くと
奥の方に
どこからか流入する水が溜まっているのが見え

 ――おや?

私は蒼ざめた。
その水面に
経営者の男の微笑んでいるのが映っていたのだ。
硬直したまま見つめていると
彼はこちらに向かって
バイバイと手を振った。

プロローグ

「あの時、私は反転する私を見失ったのだ。」

ヒヨドリの王は背中を向けたままだった。
なんども嘴で体中を掻き
奥の方にある柔らかそうな羽毛を
必死でつまみ出している。
幻のようにも思えたがそうではない。
しばらくしてヒヨドリの王が飛び去った後
間違いなく
三つの落とし物がベランダの柵の下にあったのだから。
私はすぐさまそれを写真に収め
かけらを枝でこそぎ取って鉢植えの土に埋め
今でも王の再来を待っている。

(了)》

制作2020年8月12日

#ヒヨドリの羽根

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