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解読 ボウヤ書店の使命 ㉕-外伝-6

長編小説『路地裏の花屋』外伝『ツツジ色の傘』の読み直しつづき。

《第二章 風野草子からの依頼
 中西がこの家に住むようになってまもなく、一通の手紙が届いた。近年では手紙などはまれで、年賀状ですらメールで済ませることも多いものだから、郵便受けに封書が入っているのを見た時には、ひょっとしたら中西の居候に気付いた彼の知人からの問い合わせかもしれないと考えたのだが、取り出してみると表書きに「『仏像鑑定に参上します』コーナーの依頼」と赤字で添えてあった。模糊庵が執筆を頼まれている仏像雑誌の担当コーナーへの応募らしい。
「それならメールで寄こせばいいのになあ、どこで住所を知ったのかね」
 と軽く舌打ちをして、それでも封を切る時には、「そうは言っても封書というものはなんとなくメールより興味がそそられるものだ」とも呟いて、いそいそと中の便箋を取り出した。
 
―拝啓 模糊庵先生
 突然のお便りをお許しください。私は風野草子といいます。先生の娘さんの和子さんと仲良くさせていただいております。相談したいことがございまして連絡をとりたく思い、仏像雑誌で拝見しました先生宛てのメールに本件をお送りしようかと思いましたが、メールは葉書と同じでどなたでもご覧になれるそうですから、昔、和子さんから頂いたお年賀状を見て、このご時世ではありますが、手紙にさせていただきました。
 相談の内容と申しますのは、私の家の庭に投げ込まれた仏像のことです。ある日突然投げ込まれたのです。普通の物でしたらすぐに捨てればいいのですけれども、やっぱり仏像のような姿をしていると捨てようがありませんし、それにまつわることで聞いていただきたいことがあります。
 以前、先生が千手観音に関する相談を受けておられたのを雑誌の記事で読みました。東北地方の匿名のお寺での話です。代々の約束事で表に出さず隠していた千手観音の腕がひとつ増えていたという珍事件です。無くなるのならともかく増えるのはおかしい。けれども、関係者のみによる十年に一回の点検をしていると、やはりこれまでの申し合せより一本増えていて、何せ仏像は非公開なのでプロの撮った写真もなく目録に書いてある図案と長老である僧侶の記憶に頼るしかないが、寺の関係者は全員、憑りつかれたようにやはり腕が一本増えていると主張するという記事です。おもしろかったのは、腕が一本増えていると主張はするのだけど、誰一人として、増えた一本はこれだと言い切れないことでした。どの腕も後から貼ったのではなく根っこから着いているように見えるし、全部経年変化と思える色をしていて、いたずらで付け足したようにも思えないとか。あの時の先生の解決方法が興味深かったのです。関係者に順番に見たことのある腕に好きな色紙を巻き付けていくように指示されました。一巡したらまた一巡。それで最後に残ったものが増えた手に違いないと。すると、全部に色紙は着いた。それをもって先生は『誰にでもひとつ盲点はあるということで、これまでの申し合せでは盲点を数えていなかったが、今回は全員できちんと確かめたから盲点は消えた。しかし実際には一人きりでいると、少なくともひとつは見落としているのが人間であり、今でもそれぞれ個々には見えていない腕が一本ある証拠ではないか。それを伝授するために今日の日まで未公開とされてきたのではないか』というものでした。ちょうど七夕の号でしたから、色紙の付けられた千手観音の絵が掲載されていて、『七夕の笹に託される私たちの願望の中にも何かひとつ盲点のように忘れていることがあるかもしれない。笹に結んである色とりどりの短冊に書かれた他の人の願望も眺めてみれば、当たり前と思って忘れていた願望も思い出されてくるかもしれない。それもまた七夕祭りの役割のひとつであろう。』と締めくくられており、大変心を打たれました。
 この記事のことは脱線でしたが、記憶に深く留まっておりましたし、この記事に感動しましたことからも、私の庭に投げ込まれた仏像の話も聞いて頂きたいと思い、こうして筆を取ったのです。もしよろしかったら以下の番号にお電話下さい。日程を決めたいです。どうか、よろしくお願い致します。敬具
○△‐□○○○‐△○○○ 風野草子―

 手紙を読んだ後、そういえば東北まで調査に出掛けたことがあったなと思い出し、記事の内容を褒められた事に幾分気をよくして、さっそく娘の和子に電話をした。風野草子という人を知っているかと尋ねたところ、たぶんかつての友人だという。そのような名前は珍しいからきっと草子ちゃんよと言うので、会った時の参考にしようとどんな風貌かと聞いた。
「私たち仲良くしているというほどではないわよ。子どもの頃に彼女は引越したのではなかったかしら。だから、近頃は全く会わないからよく分からないけれど、当時はおかっぱ頭がトレードマークで、目鼻立ちは線で描けるようなささやかな風情ってとこかしら」
 和子は自分の容姿に自信があるのか、他人の外見を表現する時にはどうも嫌味な物言いをする。「目鼻立ちは線で描けるようなささやかな風情」というのは決して褒めてはいないだろう。模糊庵としては、取り上げて窘めるほどではなくても聞いていて気分がよくないので、ああ、そうか、そうか、と言葉を遮るようにしてすぐに電話を切った。
「まったく、人間というものは自分自身で秀でていると得意に思っている分野からこそ人格のほころびが生まれるのだ。かつての友人と言っておきながらも、その人の見かけに対して品のないというか、実に剣のある表現をしやがる」
 腕組みをして眉を顰めながら独り言を言った。「けしからんやつだ」溜息もついた。
 それで却って勢いがついたのか、そのまますぐに手紙にあった電話番号に電話をし、草子と名乗る女性に連絡を入れ、面会の日取りを決めたのだった。》

つづく。

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