解読 ボウヤ書店の使命 ㉚-15
長編小説『ポワゾン☆アフロディテ№X』読み直し続き。
《第五章
2 旅立ち
これもまた、まるみの事件をほぼ解決し終えた八田一之介の日常風景だ。
『球体の島』
封筒が届いたのは正午になる直前だった。入り口のドアが開き、大きなサングラスを掛けた巨漢の女配達人が事務所のドアの外で無表情に立って
「オトドケニマイリマシタ」
とだけ言う。
A4サイズの青い封筒。私立郵便局と判が押してある。
初めて私立郵便局の存在を知った時には、何かの詐欺ではないかと疑った八田一之介も、今ではすっかり慣れてしまった。ある意味においては詐欺なのかもしれないが、実害がない。儲けもない。かつての回覧板みたいなものだろうと考えて、深く考えないことにしている。
一之介が律儀に受取証明に押印すると、配達員は軽く口元を緩めて微笑む。目はサングラスに隠されて見えない。
「アリガトウゴザイマシタ」
頭をぺこりと下げ、帰って行った。
届けられた封筒の表には葉書大の地図が貼ってあり、一点に赤いチェックが入れられ、それが地図上にある一之介の事務所の位置。一之介の住所も名前も書かないままに届く。そして、もう一か所、黄色のチェックも入っていて、それが差出人の住所だ。こちらは毎回位置が変わる。むろん差出人の名前もない。一之介がその地図全体を見ても、実際にどのエリアを表しているのかは分からない。単に私立郵便局とやらが把握している時空間地図であるらしく、こちらは誰から届けられたのかを正確に判断することはできなかった。
その日届いた青い封筒を開けてみると、手が切れそうなほどピンとした紙が十枚ほど入っていて、一枚は文書、三枚は地図、残りは写真だった。写真は海や星空、辺りのホテルやレストランを映したもので、要するに旅行案内であるようだった。
文書には《エメラルドグリーンに輝く月が見える砂浜がある。濃紺の波にエメラルドグリーンが溶けている。明後日、そこで五千年に一度の満月が見られるので、お集まりください。アクセスは同封の地図と写真に掲載している。》と記されていた。
――明後日か。
一之介はカレンダーを見た。特に何もない。なんだか詐欺くさいが、本当に五千年に一度のものが見られるのなら行かない理由はない。それから、同封されていた地図と写真を一枚ずつ眺め、
「しかし、これはちょっと、遠いな」
と呟いた。二十秒ほど考えた後、それでもやっぱり旅行鞄に必要なものを詰め込んだ。
砂浜に立った時にはまだ夕暮れ時で、誘いを受けたらしい客たちはシートを敷いて寝転がったり、望遠鏡を設置したりしていた。互いに話をする人はいない。ひとりひとり、個別に招待状を貰い、ここに集まったに違いない。
一之介はほどよい大きさの岩を見つけて腰掛け、岩の横に旅行鞄を置き、すっかり陽が落ちるのを待った。まずは一番星が現れ、二番星が現れた。雲一つない好天で、そのうち満点の星空となり、天の川が空を渡った。それを見ているだけも充分に素晴らしいものがあったが、なかなか月は現れなかった。
――いつになったら、エメラルドグリーンの満月が?
待っても、待っても、それは現れなかった。周囲で月を待っている人たちはおとなしく砂浜に立ち、互いに何も話さなかった。
――やはり、詐欺だったか。
一之介は夜が明ける前にホテルに戻って仮眠をとり、朝食の時間になってレストランのテーブルに着いた時、ブーケを入れた花瓶の横にある新聞に気が付いた。一面の見出しは《五千年に一度! エメラルドグリーンの満月輝く》となっている。
――捏造記事だな。
手に取り、折りたたんである紙面を開くと、煌々と輝くエメラルドグリーンが波すれすれに浮かんでいる写真が掲載されていた。
――なんだ、これは。空に月が輝くのではなかったのか。
そう言われてみれば、私立郵便局から届けられた招待状には「濃紺の波に溶けている」と書いてあった。空に出る月ではなく、海で輝く月だったのか。空ばかり見ていたから、その瞬間を見落としたのかもしれない。
見出しの下の記事には《昨夜、五千年前に予定されていた通り、エメラルドグリーンの月が確認された。砂浜に接地された自然岩には、発光源となる星が到来し、浮かび上がった球体の島へと強い光を放った。集まった客たちは約束通り、静寂の中、その瞬間を見逃すまいとして海を見つめ、月が輝いた瞬間には感嘆の溜息をもらしていた。通常、ほとんどの部分を海の中に沈めている球体の島は、光を受けると蛍光色に輝く葉を茂らせた樹木によって覆われているが、これまで、海中部分も輝くかどうかは疑問視されていた。今回、海面に浮かび上がって全容を表し、通常は海中に沈んでいる面にも光を放つことによってエメラルドグリーンに輝くことが観測された。》と記されていた。
――砂浜に接地された自然岩?
大きなエメラルドグリーンの月の写真の傍に、小さな岩と、その上で眩しいほどに光る星の写真が添えられている。そして、その横に、一之介の旅行鞄。
――はあ? なんだこれは!
「お客様、ホットコーヒーをお持ちしました」
ウエイターがステンレスの盆からコーヒーカップをテーブルに降ろし、小さく目配せをした。「よい御旅行を!」
(『球体の島』了)》
小説へもう少しつづく。
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