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eco

少し忙しくて、暫くヨガを休んでいた。
わたしは、ヨガを教えてもらっているR先生と話したくなってランチに誘った。
話題はやはりコロナに関わる内容になるが、私の方も環境が変わった事もあって、いろいろ報告をしつつ話題はヨガへと繋がっていく。

ピンチャマユラアーサナという肘で倒立するみたいなヨガのアーサナがあって、以前はできていなかったけれど、できるようになったと先生は言っていた。
勿論わたしはできるはずがない。
去年の秋ぐらに、先生とできないポーズの話をしていたことがあって、その時挑戦しようと思ったとか。
その過程でいろんな痛みが体にでて、そこからの修復をて得て、そして半年かけて練習してようやくできたと。
す、すごい、、、
わたしのおかげでできた、と先生は言った。
ん?
わたしと話さなかったら練習しなかったと。
というか、できたあなたが凄いですよね、
って感じなのに、いつも励まされている、と言ってくれる。
見ての通り簡単にできるわけでもなく、怪我をするか成功するかみたいなアーサナ。
必死になるとエゴ(欲)になり、ヨガは決してポーズができるできないに囚われてはいけない。
あぁできないなぁという、今はできない状態を把握し、現状を受け入れることが大切で、良くも悪くもない、ただそれだけのこと。
できる人は、別にできなくていいんですよ、というけれど、できるからこそ発せられる、できなくていいんですよ、にも思えたりもする。
エゴと本質は対極であって表裏一体。

体が整っていないとヨガが正確にできない=ヨガをして体の不具合を知る。
自分の体でありながら、意外と気付いていない不具合があったりする。
わずかかもしれないけれど、必ずそのサインはあって、日々の忙しさに流されたり、あるいは感覚が鈍かったりで、見過ごしてしまっていることが多い。
年齢を重ねると不定愁訴的なことが多くなるけれど、原因がない症状はない。
今迄かなり鈍感に生きてきたけれど、敏感になることの必要性をヨガから教わる。
神経を張り詰めてピリピリするのとはちがって、何気ないこと、些細なことに気付くような。
”健康でいることはecoだ“と先生は言う。
ほんとにそう思う。
心も体も健康で、自由を選ぶ心の強さと動けるしなやかな体があればそれだけで、究極のecoになる。
自分の体からいろいろ教わることができることに驚く。

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