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ヤミをあじわう



ある方から「ヤミ」と言われた。

お酒も入り
けっこうな酩酊状態の中
私の発言や態度が、そう言わせたのだ。

その方は後になって
結局のところ人間は誰しも「ヤミ」を抱えているのだから。と、取って付けたようなフォローを入れてくださったのだが

だいたい「ヤミ」なんて
あまりに趣がなさすぎるし
小学生でも言える。


それから、私もとりあえず「だいの大人」だ。
なかなか他人から面と向かって言われるセリフでもないだろう。

一方で「ヤミ」とは何だろうと考えてみる。

普通は、「闇」を指すのだろう。

その方は、「ヤミ」とカタカナで書いてよこしてきたあたり
実は「病み」ともかけているのかもしれない。

ますます失礼だ。



それでも
今ではちょっとだけ面白い。




・相手をなかなか認めないのに、自分は認めてもらいたいところ
・とらわれがちな自分を置いといて、窮屈だと不満を感じがちなところ
・自分ばかりが損をしたくないと思っている
・わりとしたたか
・コロコロと気が変わるところ

自分の闇と思うところをあげてみる。
本当はもっときりがないが
文字にしてしまうと、我ながら間抜けなものばかりである。
果たしてこれぐらいのことは、闇といえるだろうか。

もしかしたら、人はときどきあえて闇を作り出し
そこに身を置くことで
目の前の見たくないものを塗りつぶしているのではないか。
そう考えると、逆説的ではあるけど、闇もまた幻なのかもしれない。





「偽物の光」に目を眩ませるくらいなら
「本物のヤミ」を味うのも悪くはないと思う。

「ヤミ」も直視すると、目が慣れる。
そうすると、そこにもしっかりと3次元が存在するのが分かる。
ただの黒のベタ塗りではなく、様々な質感というか、風合いに近いものがある。

想像力、創造力をかきたてる世界にもなったりならなかったり。





一方でヤミは、ほんのわずかな光を際立たせる。

ギラギラした光をまとうより
ヤミを上手に着こなし、さりげなく光のアクセサリーを身につけている方が
より洗練されているのかもしれない。

悪ぶった人のほんの一瞬魅せる優しさが
誰かの心をわし掴みにするように。





だけど、実際私は
眩しいときはサングラスをかけるし
暗闇で目を慣らす前に、灯りをつける。


あえて両極なところに身を置くよりは
普段のほどほどの感触がありがたいのだ。