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スペクトラム


素敵に年を重ねている人
器が大きいと感じる人は

自然体の方ばかりだ。

自分自身に
無理な矯正をかけることもなく
良いも悪いも、ありのままを受けとめている。

「自己信頼」や「自尊感情」は
人工的に手を加えない
野ざらしの環境の中で
どこからか飛んできた種のように
ある日突然芽を出すのかもしれない

そして
クローバーやカタバミが根付くように
ゆるやかに地面を覆い
自分自身の中に定着してゆく

ホームセンターから買ってきた種は
水や肥料を与え、手をかけ続けることで
ようやく美しい花を咲かす。

しかしそのほとんどは、一年草だから
種を収穫し
また最初から育てなくてはならない。
毎年土壌を整えて
アップデートし続けていく必要がある。

けれど、本当に大切なものは
頑張って求めなくても
時期がくれば
風が勝手に運んでくることもあるのだろう。


エリクソンは第二論文の序章で
「二者択一的危機」
というフレーズを多用している。


人間というのは
無意識に
目の前の様々な事象を
いったん二者択一にまで絞りこみ
そのどちらかで勝手に白黒を決めてしまうという。

例えば
目の前の混沌の中から

善と悪
好きと嫌い
美しいと醜い
positiveとnegative
正解と不正解
私とそれ以外
仲間とそれ以外
人間とそれ以外
裏と表
嘘と真
敵と見方

あらゆるものを
2つの色で分け、境界をつくる。


プロセスや背景など
面倒なことは、ぼかしながら。

けれど実際のところ
間違った善
正しい悪も存在するのかもしれない。

また
善と悪の間には
たくさんの連続性
虹色のような
アナログ時計の秒針のような
スペクトラムでつながっている。


点と点のように
明瞭なものではなく
曖昧さの中でも

管理しやすいように
効率がいいように
目標を達成しやすいように

曖昧なスペクトラムを分断し
境界は固定されてしまう。



ものごとを
あえて複雑にするのは効率が悪い

けれど
複雑なものを
あえてシンプルにしすぎるのも
本質から遠のきそうで、もったいない。

自分自身の感受性を磨き続けるためにも
情報は情報のまま

圧縮せずに保存し続ける。

そのためには
一体、自分自身の器をどこまで広げなくてはいけないのか。

答えは簡単で
器の底に
穴を空けておけば良いのだという。


感受性も
情報も
知識も、記憶も。


穴を通ってこぼれて
新しい時間の中で質を変えて循環させる。

しかし、残念ながら私の場合
記憶がこぼれる穴だけが、やたらと大きいようだ。

娘から
「イチョウ葉」を買って飲むよう、勧められている。