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花言葉をきみに 〜すずらんに寄せて〜

今までたくさんの花言葉をあなたへ捧げて来たよね…
思い出せないくらい(笑)色々…誕生日や誕生月からとか、自分の好きな花からとか、花言葉から逆引きしたりしていっぱい調べて春馬くんにピッタリ!って思ったら嬉しくってすぐnoteに投稿したりしてました。久し振りに思い付いて『すずらんってどんな花言葉なんだろ?』と思って調べてみました。

花言葉は『再び幸せが訪れる』『純粋・純潔』『謙遜』何か春馬くんのイメージ…なんて勝手に思って…勝手に嬉しくなっちゃう変なオバサンになってました、朝っぱらから(笑)

あれからもうすぐ1年…みんな口々に「怖い」「どうしょう?」「不安」と言い始めました。
それまでもそういう不安定さは在ったけれど…人それぞれでも映画が封切られたりしながら何とか心のバランスを保ってきた。今度は普段口にしない人まで呟く。突然鍵🔐の掛かったアカウントになったり、余り見掛け無かったり…
みんな1年と言う節目に何か「キリ」や「ケリ」を着けなきゃイケないと思ってしまっているのか?言い知れぬ不安に襲われているみたいです。

自分の身内の話しをすれば1年…一周忌は確かにひとつの区切りではあるけれど、それは1年間ひとつの魂を昇華させる為に法事を積み重ねて行く。その区切りのひとつに過ぎないんです。

例えば産まれた赤ちゃんの事を思い出して下さい。
産まれたその日が誕生日、生後1日目です。七日目に「お七夜」を祝います。我が家では退院した翌日でした。近所の魚屋さんに「子どものお七夜です」と言って鯛の尾頭付きでお祝いしました。その次は男の子は31日、女の子は33日目に「お宮参り」をして子どもの成長を祈願します。そして100日目には「お食い初め」約4ヶ月ですから初期の離乳食の始まる頃ですね。形だけではありますが、食べ物に苦労しないようにと願いお膳を用意して口元へ持っていき食べる真似事をさせてあげます。その次は1年経ちお誕生日に一歳をお祝いするのに、田舎の我が家は紅白の誕生餅を餅踏み草履を履かせて踏ませて足腰が強くなって丈夫に育ちます様に!とみんなでお祝いしました。その時に一大イベントが在りまして筆、算盤、鋏にあとは親の好みかな?そんなモノを用意して子どもにハイハイさせて選ばせます。色々土地によっていわれは在ると思います。その後は三歳・五歳・七歳と七五三ですね。そうやって子どもの成長をお祝いをしながら無事を祈って育てていきます。何か気付きませんか?人が亡くなった時と周期が一緒ですよね?亡くなったその日が命日になります。そこからお七夜毎に毎週「お逮夜」を七七日 (四十九日)します。35日や49日で納骨式をして喪が明けます。百日目に百ヵ日をして1年目に一周忌を迎えます。亡くなったタイミングによりますが、初めてのお盆を迎える時に「初盆」をして若い仏様をご先祖様とは別にお迎えして皆さんにお参りして頂きます。数え方が違うのですが2年目が三回忌、6年目に七回忌の法事をします。ここまでは多分宗派の違いがあっても同様の法要が営まれると思います。それ以降は13回忌、17回忌と数年置きに法事が行われて50年目で先祖返りとして一連の供養が終わり先祖代々として一緒に祀られることになります。こうやって並べてみると、人の生き死にに関わる行事は同じ周期で祝い、弔っていくのですね。わたしもこの記事の事を考えながら初めて気付きました。昔は医学的にも育たない子どもも多く、その為に七五三のお祝いが在ると聞いた事があります。髪置や袴着、元服などに準えて行われているとか…地方により諸説あるとは思いますが…
この様に誕生した子どもには成長を願い、亡くなった方には成仏して魂の安らかなる事を祈り敬う事で寄り添っていくのです。そう考えると一つひとつの事には意味が在り、月日の経つ事で亡くなった方への悲しい気持ちも昇華される。子どもの成長と共に親となっていく。似て否なる事ですが同じ道程を歩んでいると思えて来ます。

例え話しが長くなってしまいましたが、悲しく辛い気持ちを無理に1年と言う区切りに当て嵌めてキリを着けなくても良いと思います。何年経とうが辛く悲しい事には代わりなく、自分の中で気持ちが自然に昇華出来るまで持っていても構わないのです。ただ、それが寝込むぐらい、病気になるくらいまで重く悩み苦しむのならば誰かに助けを求めて下さい。貴方が求めれば必ず誰かがその手を取ってくれます。自分がひとりだと思い込まないで下さい。春馬くんを想う気持ちに押し潰されないで下さい。それはSNS でも、現実のお友だちでも誰でも構わないので支えた気持ちを吐き出して下さい。他人では嫌なら、日記の様に綴っても手紙を書いてみても構わないと思います。わたしは主人が亡くなった後に春馬くんの事がありました。自分の気持ちが少し落ち着いた時期だったので、物凄くショックで打ちのめされました。彷徨い流離いnoteへ辿り着きました。ここで非公開にですが…主人への気持ちなどを泣きながら綴りました。何時間掛かったでしょうか?半日ぐらいそんな事をしていたと思います。しばらくして自分の中の気持ちが落ち着いてることに気付きました。人各々かもしれませんが、書く事で昇華出来る気持ちって在ると思います。思いっきり気の済むまでやってみませんか?ケリやキリを着けるのでは無くて、自分の中の混沌とした気持ちを整理する様なつもりで…堅苦しく考えないで良いと思います。誰に見せる必要もありませんから。

私たちファンの気持ちが穏やかになる事が春馬くんへの最大の供養なのだと思います。優しい気持ちで彼を想ってあげたい。そうすれば、きっといつか生まれ変わって逢える…輪廻転生をわたしは信じているので!気持ちの優しい春馬くんと再び出逢う為には自分も春馬くんのように優しくならなくては魂が違い過ぎて出逢えないと困るので(笑)

春馬くんの魂が昇華されて、心穏やかで在りますように。そして彼に再び幸せが訪れますように🙏
鈴蘭の花言葉をきみに捧げます❤️

これから先はあなたへの愛しさを想っていたいから…何ヵ月目…とか何年目とか数えるのを止めようと思います。どのくらい努力したら春馬くんの様になれるかな?って頑張ることにしたいなぁ~(*^^*)わたしはオバサンだから間に合うか分からないけど…頑張るよ!少しでも近付いて、同じ時代にまた生まれ変われる様に。あなたの為に前向きになろうと決めたから…だから、いつかまた逢いましょう。今度は見失しなわない様にずっとあなたを追い続けたい。
いつかまた逢える日まで…


#三浦春馬

#また逢える日まで

拙い文章への共感やサポートありがとうございますm(_ _)m