見出し画像

話が変換されちゃう話

ぶっちゃけ、、

情報発信しても
全然わかってもらえません。

話が全然伝わらないのです。
大抵、誤解されて伝わってしまいます。
相手の頭の中で
話が変換されちゃうんです。

* * * * *

例えば僕は、
お金なんて稼がないほうがいいとか、
働かないほうがいいとか、
そんな事は言ってません。

お金を稼いでも稼がなくても
どっちでもいいのです。

だけど、世間の常識は
「お金を稼がなくてはいけない」ということになっていて、
それに縛られて生きている人がほとんどなんです。

その縛り、
言わばこだわりの生き方って、
なくてもいいんじゃね〜
って言ってるだけなんです。
働かない=悪、
という常識はいらないんじゃないかと
言ってるだけなんです。

働くのもいいし、
働かないのもいい、ということです。
善い悪いという表裏一体の関係ではないでしょう、
ということです。

そういう、
いわゆる観念というのを減らしていったら、
生きるのが楽になっちゃうのです。

* * * * *

世界は、人々の二元性の観念によってできています。
善悪の判断基準のことです。
お金を稼ぐ事は良いことで
働かない事は悪いこと、みたいなやつです。

僕の話は理解されないのですけど、
多かれ少なかれ、みんなだってそうでしょう。
自分の話、主張は他人に理解されないものです。

でも、世の中の多くの人は、
「常識という観念」
(=縛り、こだわり、思い込み、
正義、倫理、常識、普通、価値観、慣習などなど)
をみんなで共有していて、
それを疑わないのが「普通の人」です。

そして、世の中では
そんな普通の人が圧倒的大多数なのです。

僕も常識がないわけではありませんが、
そういうことにはあんまり興味がないんです。
それが面白いと思えないのです。

だから、情報発信をするのって、
ちょっとめんどくさいのです。
普通の人からは常に誤解されますからね。

それでも情報発信を続けるのは、
わかってくれる人もたまにいるからです。

そういう人が集まって
ゆるいコミュニティを形成していったら、
すごく面白いと思うんです。

どうですか??
そういうの、面白くないですか?

* * * * *

たぶん、僕の役割は
みんなの頭の中にある「ボンヤリ」を
わかりやすく言語化することなんでしょう。

いや、わかりませんけども。

なぜだかわかりませんが、
僕はそういう才能を持って生まれてきたようなのです。

もちろん、
僕よりもっとわかりやすく
面白い視点で言語化する人もいるでしょうけども、
1等賞を取る必要なんてありません。

1等賞を取らなきゃいけない、
1等賞が偉い、という観念は、
それくらいに頑張って競争しないと
生き残れない時代があった、
というただの名残で、
今はもう過去形です。

* * * * *

才能を活かして
周りから妬まれる時代は終わりました。

才能を発揮することで世の中に貢献できる、
素晴らしい世界になりつつあって、
その素晴らしい世界の元となる
「ゆるいコミュニティ」が至る所で発生しています。

それは菌が増殖していくときのコロニーに似ています。
食パンに点々と生えたカビがゆるいコミュニティです。
それをコロニー、拠点として、
社会全体に少しずつ影響していきます。

さらに今からWEB3.0が実現されて
それは社会の在り方を変える力になる可能性もあります。

普通じゃなかろうが、
大多数じゃなかろうが、
そんなことはもう関係ありません。

だってみんな、
他のみんなに貢献して生きていきたいでしょう。
そんな場で生きていきたいでしょう。

極論するならば、
他のみんなに貢献できることは、
その人の才能だけです。

才能とは、
他の人にできないけど、
自分にはできること。

才能を持って生まれてこない人は
ただの一人もいません。

* * * * *

こんな、
今のところ大多数の人には理解できないような、
あるいは全然興味の持てないような話を
面白がって読んでくれる皆さんとのご縁に感謝していますよ。

書ける人が存在できるのは、
読める人がいるからです。
書けるのも才能、読めるのも才能。

それが才能で繋がる世界です。

って、なんの話でしたっけ。


* * * * *

12月10日(日)
前回大好評だったピロール講演会、
もう少々お席あります。

↓詳しくは
https://muramotomamoru.com/blog/3191/
予約リンクあります。

* * * * *


↑ むらも農園の本。Kindle Unlimited でも読めます。


↑ noteに掲載されない記事もこちらで読めます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?