「しょぼい百姓」って ずいぶんひどい目標設定だな、 と思われるかもしれません。 わざわざしょぼくなりたくないよ、とか。 どうせなら、立派な百姓になりたい、とか。 でもこの「しょぼい百姓」というキーワードに ビビッと来る方がたまにいらっしゃるんですよ。 それは、嬉しいことですね〜〜 しょぼい百姓という生活スタイル僕は自虐しているわけでも 奇をてらっているわけでもありません。 ただ、しょぼい百姓で生きていきたいのです。 いや、ますます 意味がわからないって? 「百姓
僕の考えすぎ、かつ、どうでもいい話なのですが、 運がいい、というのがよくわからないのです。 開運グッズとか運気がアップする生活習慣、 運が良くなる食事とか… よくわかりません。 いや、理解はできますが、 それって本当に必要ですか… などと思ってしまうのです。 なんでも思い通り例えば… 究極に、マックス運が良くなると どうなるでしょうか。 それは、 自分の思った通りに全てのことが運ぶ、 ということでしょうか。 自分の都合のいいように 知らないうちにお膳立てができていて
あなたのかわりに僕が気づくことはできません。 気づくことは非常に個人的な体験だからです。 僕が何かに気づいて、 興奮気味にあなたにそれを伝えたとしても それはただの情報です。 その情報で同じことに気づく保証は全くありません。 いや、むしろ同じことに気づくことは非常に稀です。 気づきをそのまま、 誰かに渡すことはできないのです。 そして、 自分が何かに気づくタイミングを選ぶことはできません。 気づきとは、言うなれば 出会い頭の事故みたいなもの。 いつ起こるかなんて、
農的生活界隈にはいろんな方がいて、 中には共同体のような村を作る、 あるいはそれを目指す人もいます。 みんなで自給自足しよう、みたいな感じでしょうか。 僕もそういう風に思われることがあるのですが 僕としては自給自足の村にあんまり興味はありません。 生活自体を他の人と運命共同体にする、 そういうことにあんまりメリットを感じないのです。 ま、僕の性格や性分もあるでしょうけども… それよりも、 生活自体は個々で独立していて、 思想や生活態度が近い人が 自然と集まったり助け
自分の才能を活かして 生きたいですね。 生まれた瞬間からすでに 知っているようなことが あるんですね。 最近、実感するように なりました。 ギフテッドの子供たちが 増えているという話を聞きます。 実際に増えているのか、 今までも普通にいたけども 才能を潰されてきただけなのか、 その辺りはよくわかりません。 ある分野において、 教えられなくても 最初からできちゃう、わかっちゃう って感じでしょうか。 そういう人、 確かにいますね。 でも最近、そういうことを 僕自分
小さな田んぼでお米を作って 販売しておりますが、 それだけではちょっとお金が足りません。 それで出稼ぎに出ております。 出稼ぎと言っても ただのバイトです。 いろんなバイトに行くんです。 タイヤ屋、農作業、 土木、基礎工事、 工場、倉庫整理、、 などなど。 あとは個人的に頼まれる 仕事とか。 いろいろです。 一つの仕事は すぐに飽きちゃうんです。 僕、いろんなことが できちゃうんですよ。 昔からそうだったんです。 これ、僕の才能だな、、 と最近気がついてき
おはようございます〜 若い頃に聞いた話。 昔ハワイは楽園だったって。 一年中温暖な気候で 食べ物が勝手になっていて 害虫なんかもいなくて 一生遊んで暮らしていた、っていう。 そんな話を聞いて めっちゃいいなぁ〜〜 とか思ったんですよ。 羨まし過ぎる〜 そんな時代に生まれたかった〜 って。 そんな、ユートピアと 言えばいいんでしょうか。 楽園に生きていたら 毎日、何をしますか。 好きなことやってもいいし、 やらなくてもいい。 オール自由。 楽しくしてもいいし
現在の資本主義の世界で 生きていくのは大変です。 どうしても お金の奪い合いに なってしまいます。 お金の量でもって 喧嘩しているようなものです。 喧嘩に負けると 少しずつ生きづらくなるのです。 だから虚勢を張ってでも 負けるわけにはいきません。 それは猿山のボス争いです。 そんなシステムの中で 僕たちは生きているようです。 20代の終わりの頃に そんなことがホトホト嫌になり 生活をコンパクトにし始めました。 生活、生き方の 断捨離を始めたのです。 気づいた
自分のしていることを 一つ一つ精査して 優先順位をつけるというか、 その是非を検討していくのは、 結構面白い作業です。 予定や行動の断捨離、という感じ。 これは慣れていないと 心が引き裂かれるような 気分になるかもしれません。 だけど、その先にあるものが わかっているなら、 なかなか面白い作業になります。 そして、そんな季節がまた来たか、、と。 そういうのってタイミングがあるんです。 ちなみに断捨離するなら ボスキャラからじゃなくて 周りの雑魚から少しずつするべきで
なんで、むらも農園て名前なんですか? ってたまに聞かれるんですよ。 だけど名前の由来はあんまりないんです。 その時の気分で、適当につけました。 だけど、誰かにそう聞かれたら、 ちょっと足りないんです、 って、よく答えています。 本名は村本なんですが、 ちょっと足りないんです、と。 そしたら、多くの人は気を遣ってくれて、 いやいや、そんなことないですよ って言ってくれます。 あ、それ、観念です。 いつもいつも書いている、観念です。 またも、耳タコな観念の話です。 なんで
ちょっと思い出した話です。 もう10年以上前でしょうか。 僕が30歳くらいの頃だったかな〜 当時、世間では、 ソフトバンクの孫正義がイケてる、 みたいな感じになっていて、 僕もかっこいいなって思ってたんです。 特にすげーって思ったのは Twitterでフォロワーからの 改善要望とか、アイデアを募って、 面白いものはそれやりましょうって言って いろいろやってたんですね。 やりましょうリスト、みたいな特設サイトがあって、 リストの進捗が見れたりしました。 僕はそれを真似し
散々、現代のピラミッドの社会と 未来の社会のことを書いております。 もう耳にタコでしょうか。 今日は未来に失うであろう、 「優越感」について書きます。 * * * * * 僕らは常に優越感を感じています。 たぶん、誰だってそうです。 誰かよりもたくさん持っていること、 たくさんできること、 たくさん知っていること、 そういうことに価値があると思っています。 だから今まで散々競争してきました。 いろんなものを犠牲にして、 効率を上げて、人生を捧げて。 誰かを上回ること
皆さんは「行間」というのを 感じたことがありますか? 僕はいつも、 行間というものに思いを馳せています。 文章を読んでいて、 文字と文字との間、 単語と単語の間って感じですが。。 それは文字にできないから、 文章にできないから、行間なんです。 文字で表現できるんだったら、 とっくにしています。 文章で表現できないから 行間になっちゃうんです。 本当に伝えたい、共有したいことは、 その行間にあります。 だけど、どうしても文字にできないから、 手を変え品を変え、 い
ぶっちゃけ、、 情報発信しても 全然わかってもらえません。 話が全然伝わらないのです。 大抵、誤解されて伝わってしまいます。 相手の頭の中で 話が変換されちゃうんです。 * * * * * 例えば僕は、 お金なんて稼がないほうがいいとか、 働かないほうがいいとか、 そんな事は言ってません。 お金を稼いでも稼がなくても どっちでもいいのです。 だけど、世間の常識は 「お金を稼がなくてはいけない」ということになっていて、 それに縛られて生きている人がほとんどなんです。
ネットで情報発信すること、 自分の才能を発見すること。 このふたつって、 繋がっているように思うのです。 今日はそんな話。 プチビジネスにイイ!情報発信しつつ、自分の商品を売る。 そんなプチビジネススタイルが 一般的になりつつあります。 ネットの広告費は伸び続けていて すでに4大メディア(テレビ、新聞、ラジオ、雑誌)よりも 多くなっているくらいですから。 特に、個人や中小のプチビジネスは ネットメディアと相性がいいですね。 旧メディアはある程度資金がないと 使え
久しぶりに罠に猪がかかりまして、 先日お肉にしたのです。 いつも、殺生の前は いやだな〜〜と思っているのですが、 捌いて食べるとこれがウメ〜〜のです。 それでやめられないのであります。 ウリ坊がかかった今回はいわゆるウリ坊でした。 箱罠に2頭入ってました。 1頭が少しだけ大きいかな、という感じ。 仕掛けをセットする時から、 小さな足跡がありましたから、 かかりそうな気がしていたのです。 大人のイノシシは警戒心が強いですが、 ウリ坊は何にも考えずに 箱罠に入っちゃうの