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僕の考えすぎ、かつ、どうでもいい話なのですが、
運がいい、というのがよくわからないのです。

開運グッズとか運気がアップする生活習慣、
運が良くなる食事とか…
よくわかりません。

いや、理解はできますが、
それって本当に必要ですか…
などと思ってしまうのです。


なんでも思い通り

例えば…
究極に、マックス運が良くなると
どうなるでしょうか。

それは、
自分の思った通りに全てのことが運ぶ、
ということでしょうか。

自分の都合のいいように
知らないうちにお膳立てができていて。

全能の神様になったような。

そういう状態も
面白いかもしれませんね。

運がいいって

「運」というのもよくわかりませんが、
「良い」「悪い」もよくわかりません。

良い、悪いというには
必ず立ち位置が必要であって、
いや、むしろその立ち位置が重要なのであって
良いか悪いかは大した問題ではありません。

立ち位置という前提条件は
どんどん変わっていきますから、
あるときには良いことだと思ったことが
実はとっても悪いことだった、とか、
その逆とか、よくありますよね。

そのときには良いことだと思っていた、と
後になってから言うことしかできないのです。

人間ふぜい

究極的に言えば
何が良いか悪いかなんて、全然わかりません。

もちろん、ほとんどの場合、
常識的な観念の上で
良いか悪いかは決まります。

同じ時代を生きる同族ならば
似たような観念を持っていますから、
気持ちはわかりますし、
僕みたいなものでも世間と合わせることができます。

ただ、そんなこと、
何が良いか悪いかなんて、
人間ふぜいにわかるわけがない…
なんてことも思ってしまうのでした。

いや、やっぱり考えすぎですかね〜〜

人には言えません

だけど、
いわゆる、とっても悪いことが
誰かの身に起こったとき、
その人に対しても同じことが言えるでしょうか。

そんなこと、
まず口が裂けても言えません。

その人にとっての
前提条件、価値観にとっての
悪いことが起きているわけですから、
その人にとって、それは悪いことです。

それは紛れもない事実ですから。

逆に、ラッキーなことがあって浮かれている人に向かって
そんなことは重要なことじゃない、とか
水を差すようなことも言いません。

そんなことをいちいち言っていたら、
その後、僕にとって都合の悪いことが起こることは
目に見えています。
普通に嫌なやつですよね。

というわけで、
思うけど、言う必要なんてない、というか
どうでもいい話なのです。

自分にとって必要かどうか

自己啓発書に出てきそうな感じで
考えてみましょう。

運が良くなりたい、ラッキーを望む、運気をアップさせたい、
という状態が、多くの人にとってのデフォルトでしょう。

運気をアップさせる方法を教えてもらって、
今よりももっと良くできるかも!
なんて、うっすら思うことあるでしょう。

それは、今の自分じゃ足りないけど、
未来にもっと運の良い状態が見込めるかもしれない…
という状態です。

だけど…

もしも、今すでに運が良いのなら、
運を望む必要はあるでしょうか。

ちょっと考えてほしいのですが、
そんなに運が悪いのですか。

まずはそこのところを
きちんと考えたほうが良いのではないでしょうか。

* * * * * 

自己啓発書に限らずですが、
全ての主張はその瞬間の前提条件に基づいています。

その前提条件のほとんどは
いわゆる常識ということですが、
その前提条件が重要なんです。

文章や言動から
その前提条件が透けて見えます。

それを言う人が
どういう常識や観念を持っているか、
ということです。

何のことを良い、というか、
何のことを悪い、というか、
その判断基準のことです。

それが重要なんです。

24時間そんなことを考えているのですか

むらもは毎日毎日、
そんな細かい神経症的なことを考えているのか〜
と思うかもしれませんね。

それは…
考えているような考えていないような、
微妙な感じです。

だけど、
あらゆることに善悪はなく、
ただそれぞれの立ち位置があるだけ、
ということがわかっていれば、
生きやすくなるのも間違いありません。

その場その場で
自分の立場を変えていけばいいだけですから。

いちいち怒ったり競争したり
誰かを下に見たり上に見たりする必要もありません。

ってなんの話でしたっけ。

↑ むらも農園の本。Kindle Unlimited でも読めます。

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