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大好きな利用者が亡くなった【訪問介護】

ガンだった。
ただ、家で死にたいと。
身寄りは近くにいない、死を前にしたおばあちゃんの世話をするのは、ヘルパーたちだった。


ヘルパーとしてかかわり始めたのは半年前。
わがままなおばあちゃんだなという印象。

こちらとしては、初めてのお宅だから勝手がわからず
いろいろ聞きたいが、おばあちゃんからは「わからないんだったら来ないでくれ」と。
いや私が来ないと掃除や買い物できないじゃん!なんだこのおばあちゃん!と思っていた。
訪問するたびに、掃除なんかしなくていいから座って!と
私の家族や彼氏のことを聞いてくる。
あんたの幸せはどんなときだ?と聞いてくる。
仕事させてくれよ~と思いながら、仰せのままに「幸せや楽しい時」についておばあちゃんに話をする。

私は月曜日を担当していたから、土日の休みにはこんなことしたよー!って
写真を見せながら話していた。
いつからかな。楽しかったことをおばあちゃんに話したくて、訪問が楽しみになっていた。
一緒に料理や掃除をしながらいろんな話ができた。
おばあちゃんは私の話を笑顔で聞いてくれた。なんなら、「よかったね、話してくれてありがとうね」と。

おばあちゃん曰く、人は幸せな時を話しているときが、いい表情をするらしい。

少しひねくれていたけど、人の幸せが好きなおばあちゃんだった。

わたしのおばあちゃんは物心つく前に亡くなったから、おばあちゃんの存在を知らない。
だから、本当のおばあちゃんができたみたいだった。
仕事に行っていたけど、近所のおばあちゃんに会いに行ってるような感覚。

身体機能が衰えベッド上での時間が増えていた。
そんな中で、信頼関係も築けてきて、身体介護も担当するようになった。

人の体に触れると、やっぱりお互いの「気」をなんとなく感じる。
どんどん衰えていく感じが伝わってくる。
おばあちゃんにももちろん伝わるようで、「思いやりが伝わってくるよ」と言われた。心が温かくなったのを覚えている。

しばらくすると、医師から余命を告げられた。
もう、錠剤の薬なんて効かないくらいにガンが進行していて、薬の処方はストップされた。

入院や点滴を進められても断固拒否。
血を吐いても、全身痛くても、治療は拒否。
理由は言わなかったけど、認知症もなく頭はクリアだったから、状況は理解できていたんじゃないかな。
もう94歳。これで死のうと思ったのかな、、、。

そこからは一か月もたなかった。苦しそうだった。
ほんとに苦しそう。私まで苦しくなる。

終末期になるといろいろスケジュールが変更され、訪問回数も増えていった。

私「これで退出しますね」
おばあちゃん「来てよ。待ってんだから」
私「はい、また来ますからね」
おばあちゃん「約束ね。また話きかせてよ」

これが最後の会話で
それから亡くなったのは2日後

覚悟はしていたけど、ショックだった。

この週末彼氏や友達と遊んですごい楽しかったから、また話聞いてほしかったのにな。って
涙が溢れてきたもんね。
このおばあちゃん嫌だな~と思いながらだんだん好きになっていった。そんな訪問の日々を振り返ると、苦しく温かい気持ちが共存している。


この出来事は、介護職員と利用者の関係や、介護職とどう向き合っていこうかなど考えるきっかけになった。
答えがでたり、でなかったり

また今度会う約束をしても、果たせないかもしれない
突然の別れが待ち構えているかも、これが最後かもと思うと、
普段の「ばいばい~!」の後に猛烈な寂しさが押し寄せてくる。
大切であればあるほど、その寂しさも大きい

ただ、今思うことは
大好きな人の喪失はつらい。とってもつらい。
けれど、人を好きになるプロセスってなんだかキラキラしてる。

その人との関係っていつか失われるから、無常だから、価値のあるものになっていく。



「これで最後かも」って思ったら、あなたはどうしますか?

私は感謝を伝えたい。
そして、また会えることを信じたい。

だから、別れ際には
「会ってくれてありがとね~またね~」と明るく伝えたい。

今までと同じ言葉だけど、その言葉の背景がどっしり重くなり、
人として成長したように感じる。


おばあちゃん、大切なことを教えてくれてありがとね。
ご冥福をお祈りいたします。


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