不妊治療~体外受精2回目~

体外受精1回目、見事に失敗。

正直、体外受精までいけばさすがに妊娠するだろう、と思っていたから、心がぽっきりと折れた。

先が見えなくなって、はじめて、やめたい、と思った。

心がしんどくて、1年間毎月突っ走ってきたけど、1月だけ休むことにした。

治療もなにもない毎日は、とても楽だった。
ワンオペ体制の接客業のパートをしていたんだけど、突然明日休まなければならない、という状況でたびたび迷惑をかけていたのでそういう意味でも気持ちが楽だった。

夫とも話し合った。

残る受精卵はあと1つだけ。

これがダメだったらどうしようか。

少し休んだことで気持ちも前向きに戻り、冷静に考えることができたと思う。

私の希望は、やっぱり子供をあきらめたくない。
でも、高度不妊治療は肉体的な負担も、金銭的な負担も大きい。

私の住んでいる市でも不妊治療の助成金が出るのでいくらかはまかなえるけれどそれでも限度があるし、いつまでも続けられるものではない。

それでも不妊治療に踏み切ったのは、やっぱり自分の子供がほしい、というシンプルな思いと、夫が一人っ子で、義両親に孫を見せてあげられるのは私しかいないんだ、という使命感のようなものがあった。
義両親は近距離別居でいつもとてもよくしてくれるし、子供を急かされたことは1度もないけど、きっと孫を見たいだろうから。

夫と話し合った結果、次の体外受精がダメだったら、もう一度だけ採卵をして、できた受精卵の数だけやってみて、それでもダメだったら、潔く諦めよう。ということに決めた。

決まってみたら案外気持ちが楽になって、次のリセットが来たら胚移植をしよう。と、すんなりと進むことができた。

前回の採卵で採れた残り1つの受精卵、グレード3。

また注射を再開し、すんなりと胚移植完了。
10月頭の妊娠判定日まで、できるだけ穏やかに過ごした。

そして判定日。
その日も座るところがないほどに混んでいた。朝イチに並んで入ったのに、呼ばれたのはお昼12時をすぎたくらいだった。
待合室の冷房で足は冷え、待ち疲れた頭でなんとなく、今回ダメだったらまた採卵のスケジュールから確認しなきゃ、と次の治療のことを考えていた。

診察室に入り、少し待たされる。
先生が入ってきて、検査薬の入ったトレイを目の前にとても乱暴に置いてなにか言った。

「妊娠してます」

声が出なかった。

いつものように、先生にイライラされないうちに返事をしないと、そう思ってたしか、無言で頷いたと思う。

そんな私の態度を見て先生はもう一度、言った。

「検査薬の線がはっきり出てますね。ここまではっきり出ればもう間違いなく妊娠してます」

普通はもっと驚いたり、喜んだりするものなのかもしれない。
声にならない声で、はい、とだけ答えた。

おめでとうございます、ということもなく、淡々と次の診察日を伝えられて診察室を出た。

会計を終えて、外に出たら10月なのに暑くて、駐車場まで歩く間、ずっと空を見上げてたのを今でも覚えてる。

妊娠した。

今、おなかに命の種が宿った。

夫に、どうやって伝えよう。

とりあえず帰ってくるまで、連絡はしなかった。

夕食を作っている時に帰ってきた夫に、落ち込んだように見せかけて実は...ってやりたかったんだけど、顔を見た瞬間にバレてしまった。

2人で抱き合って喜んだ。

その時初めて、喜んだ。

うれしかったなあ。

まだまだ安心するのは早いんだけど、まだ妊娠できる体でよかったと、そういううれしさのほうが大きかったと思う。

不妊の原因は結局はっきりわからなかったけれど、今回の結果から考えると、排卵が上手くいっていないとか、卵子と精子がうまく出会えないなにかがあったのかなとか、そう考えると、体外受精という選択肢がある現代で本当によかったなって、そう思う。

体外受精で子供がはじめて産まれてからまだ30年。
まだまだ抵抗があったり偏見もあると思う。

それでも医学のおかげで自分の子供が持てる喜びをたくさんの人が味わっていて、たくさんの子供が産まれてる。

リスクもあるし、妊娠はほんのスタートで、これから大変な育児が待っている。そういういろんな覚悟がいるけれど、それでも私は、自分の子供に会いたかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?