躁鬱を煩う前と後での価値観の変容

躁鬱を発症する前、僕は自分を何でもできる有能な人間だと自認していた気がする。まぁ起業すれば成功するっしょみたいな無敵マインドがあった。それに紐づく形で夢は常に大きかった。コピーライターになりたいな、外資で働くか、なんて口先だけではのたまって何もしないでいた。根拠なき自信がそこにあった。自分には何でもできるんだという万能感。金は稼ぐし、いい女と付き合って、タワマンにでも住むかというありふれた大学生の夢。

躁鬱を患ってから、自分に常に限界点を置いていた気がする。社会のレールから外れたのは初めてだった。障害者というレッテル。7ヶ月の閉鎖病棟。何もできない自分を想像するのは容易かった。高校を中退するという行為は自分にとって一切怖いことではなかった。まぁちょろっと勉強すれば医学部は無理でも、早慶受かるでしょ笑みたいなテンション。それがだ。大学に入って、初めて社会から隔絶され、2年の留年を余儀なくされ。プライドは死んだ。

その間に、出会った人との繋がりが僕の思考を変えていく。お姉ちゃんのことがずっと頭にある。彼女がいたせいで矛盾した自分に苦しむようになったし、彼女がいたお陰で楽しめる世界が増えた。

彼女は僕が見落とす幸せをしっかりと抱き寄せて、宝箱に仕舞い込むような人だった。自分の友人との関わりを宝物のように話すというのは僕からしたら衝撃だった。友達(笑)ってな感じでその場さえ楽しければ良くて、相手の内面に興味がなかった僕にはなかった視点で語られる物語の数々。好きになるのに時間はかからなかったし、諦めて友人になってもずっと楽しかった。

それから自分の日常を物語のように話す人に惹かれる自分がいる。そうした人たちは皆今を生きているように思える。なんてことない日々がその人たちにかかれば短編集になる。

幸せなんて所詮、プラスとマイナスの差でしかないと考えて刺激を求め続けてきた僕とは対局にあった。毎日に何かを見出す行為に尊敬しかない。

僕にとってそういう生き方をしてる人と密接に関わった2年間は大切な時間だ。

これで良かったと言える人生を歩みたい。これで良かったと思える出会いを繰り返したい。

その為に、自分が変わらないと何も始まらない気がする。就職して1ヶ月半が過ぎた。このままだとダメだ。安穏に心地よさを感じる事ができないのなら、理想は置いといて現実で着実に努力すべきだ。

横道世之介のようにありたい。誰かは誰かにとってきっと欠けてはならないピースで。

カラオケ行こを見た。すっきりした。映画の考察もしなければ、映画の意味なんて考えてない自分に。傲慢だった。映画や小説に人生の羅針盤になって欲しいだなんて。娯楽は娯楽。

言葉を綺麗に編める人がやっぱり好き。そういう人と沢山出会いたい。

あぁ辛い。なんでこうポエミーになるかな。僕の周りの人は皆鮮やかで読みやすい文章を描けるのに。書く訓練をしなければと思います。

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