080816 今日から始まる

今日から始まる。夏休みの後半の1/3が今日から始まる。私は午後の時間をもっと有効に使いたい。私はよい集中をしたい。これは目標である。私は東京に住みたい。私は東京に転職したい。私はパートナーが欲しい。私は友達が沢山欲しい。私は垢ぬけたい。私は垢抜けたい。どうしたらいいのだろうか。これは目的である。まずは目の前のことをしっかりやっていけばいい。おそらくは。昨日は何をしただろうか。私はopenworkとエン転職に登録し、パソコンにブックマークした。けっこう難儀だった。面倒だった。私はもっと知識を駆使して外に出た方がいいのではないか。私は何をした方がいいのだろうか。知識の海へとダイブする。外の未知なる世界へ飛び込むということ。少しでも運気を上げたい。そのもがきの中でしか生を実感できないから。大丈夫だと思いたい。私はそういうことをしてしか前に進みたい。書くことでしか前に進めないなら書くしかないのだった。これが何かいいことに繋がるかと言うと全然そういうことはないが。自分の気持ちを整理することの何がいいのか私にはわからない。あくまでも生産的であることから距離をとるのだ。どうすれば集中できるのだろう。私に決定的に足りていないこと、良き集中。どうすればいいのだろうか。とにかく集中すること。どうすればいいのだろうか。私は私の中の特性とどうやって付き合えばいいのだろうか。集中力が欲しい。何かをゆっくりすること。有酸素運動の本質は呼吸にあるのかもしれない。呼吸を深くすること。酸素を取り入れること。運動の本質は呼吸と血流にあるのだと思いたい。私はどうすればいいのだろうか。具体的な集中。とてもシンプルなことに気がつきたい。私のやっていることは実はとても複雑な事なのではないか。私はそれができていないのではないか。私は本当に解決しないといけない問題から逃げ続けているのではないか。ボトルネックを放置しているのではないか。現実を冷静に解体して、見極める必要があるのではないか。分析的な視点が私にも欲しい。どうせ私にはできないと思ってはいないだろうか。思っているのかもしれない。私はお前と上に登りたいのだ。しかし私はこのゲームから降りる。どうせ無理だと思うから。私はあなたの努力が実って嬉しいですよ。そう言われることがなんとうれしかったのだろう。私はあなたの人生に寄り添い、伴走する。そういう意志を感じられて私は嬉しかった。人生の友達だと思った。こんなつまらない作業を延々と続けられるのはある意味ではすごいのだろう。それは嫌味だ。難しい。私はだれのためにも書いていない。ただ私の脳の電気的現象が文字になって立ち現れるだけだ。私は何も前に進まない。それでいいと信じたいのだけれど。ただ生きるだけで疲れる。筆が乗っているところとそうでないところの落差が激しい。そういう自分で何かをしたい人は、そういう人同士は、一緒にいてはいけないのだ。どういう風の吹き回しかわからないけれどそういうことが延々にできてしまう。私はあなたの努力が実ってうれしいよ、結果にあらわれてうれしいよ。そういってお祝いしてくれたっけ。すでに持っている人のところにはさらに与えられて、持っていない人からはさらに奪うのだ。人生とはそういうものなのかもしれない。そう考えてみると、私は自分の幸運に自覚的になりたいし、いつでもポジティブに生きていたいとは思うのだ。自分に足りないものよりも自分がすでに持っているものを愛でたい。私は生粋の楽天家だったような気がする。根は陽キャなのだ。子供のころからそうだったのだ。だから、私は生きていくための一番基本的なところをじくじくと繰り返す、穿り返すことができるのだった。もちろんそれを他人に押しつけるつもりはないのだけれど。持っていない人から奪うのだ。そういうものだ。いい歳になっても忙しいアピールされるとは思わなかった。私からするとそれは基本的な労働観が間違っているとしか思えない。自己管理ができていないとしか思えない。私はそういう人生を送りたくない。もっと覚悟を決めるべきだ。行動するまでの速度が面白すぎる。何もできない私は一体どうすればいいのだろうか。私は運気だけは良くて、それは沢山移動したことによって支えられている。事前に終わらせておくことによって支えられている。私は運気だけは良くて、それは沢山移動したことによって支えられている。どうすればいいのだろうか。結局私には何も残らなかったのではないか。多くのものを失って、そのかわりに得たものなど何もなかったのではないか。

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