080814 割符

ここちよい疲労感に包まれておりこのまま眠れたら最高に幸せだと思う。わたしはちょっとずつ前に進みたい。私はいま猛烈に運気がいいから、ちょっとずつでも前に進みたい。なんとかなると信じたい。三十代からこっち、運が悪いと思ったことは一度もない。何も書くことがない、と思うだろうけれど、それはもはや当たり前のことで今さら悩むことではない。私は実際に何をしているのだろうか。何をしていることになっているのだろうか。私は自分の顔を直接網膜にうつすことはできない。今日は保育園からの友人と会う。ラーメン屋に行き、その後ファミレス、最後に無印良品によって解散する。家族のような、家族よりも居心地のいい人である。私はいまとても運気がいいのだから、それを十二分に生かして、前に上に向かって進むべきなのだった。何を話しただろう。転職の話をした。私がすることはとにかく応募することと面接をすることと焦らないことだった。良いと思っても見送るくらいの気持ちで生きていかないといけない。生きていきたい。たくさん応募していることを話した。たくさん応募して、こちらからお祈りしているということを話した。だって対面面接だからだ。それはできない相談だからだ。私は東京に住みたい。今のこの運気の良さを使って生かして、東京でずっと生活していきたい。掃除すること、換気すること、ゆっくり動くこと、しっかり眠ること、歩くこと。その他あまたの開運行動をひっさげて私は運がいいと思うことにしている。じっさい私は運がいいのだから。気持ち悪い界隈には近づかない。風水的にいい場所に住む。それによって私の運気をもっともっと上げていきたい。もっともっと上げていきたい。良い集中の仕方を身につけたいものだ。ゆっくりしかし一定の速度で書き続ける。それによって深く集中の海域にダイブするのだ。何度でも言おう、今の私は運気がいいし、それによって小説に何か一手を投じることができるかもしれない、わからない、わからないから書く価値があるのかもしれない、わからない。私の頭の中の水流について。私の頭の中の人が天に向かって洗われている様子について。何度でも言う。私は東京に暮らしたい。私は東京で生活したい。私の人生、私の実人生。私は一人でやっていけるのだろうか。私はそこで多くの人と出会い、出会い直し、楽しいを実現したのだった。深く深く集中することによって。たくさん自炊したい。たくさん掃除したい。たくさん笑いたい。たくさん触れたことのないことに触れたい。私の人生の部分を彩る細部に出会いたい。それが何によってなし遂げられるのか。この目で見たい。この目で見てみたい。もっとみんなに会いたい。もっともっと。私は楽しいなら愚かでいいと思う。私は楽しいなら愚かでいいと思う。小説家とは一体何なのだろう。小説っていったい何なのだろう。これはいったい何をしていることになるんだろう。誰のためにわざわざ他人の手を煩わせて私はこれを書いているのだろう。これを編集してくれる人、誤字脱字をチェックしている人、これを運送する人、これを書店に陳列する人、これを販売する人。装丁を考える人、その他さまざまな雑務の集積によって小説は私たちの目の前に出現できるのであって、それらの業務をおこなっている人の存在を常に忘れないようにしたい。私によってはあなたたちは共犯者です。もちろん読者も。文学的共犯者なのだった。私は何をすればいいのだろう。私は東京に住みたい。私はエピソードトークできるようになりたい。どうやったらエピソードトークできるようになるんだろう。自然なエピソードトークを出来るようになりたい。私は友達と日常にあったいろんなことを語り合いたい。私は日常にあった出来事を自然体で語り合いたい。良い集中が欲しい。良い集中が欲しいのだった。良い集中。良い集中。それでいいのだった。私はたくさんする。私はきちんと読めてないのではないか。私はきちんと書けてないんじゃないか。私はきちんと小説を読めてないんじゃないか。私は何も書けてないんじゃないか。むやみやたらに、めくらめっぽうに、やみくもに、何の見当もついていない状態で、書き続けても意味なんかないのではないか。わからない。わからない。よりストレスフリーな社会になるなら私はそれでいいと思いますが。書き続けても意味などないのではないか。本質的な努力とは何だろうか。本質的な努力は苦手なことを繰り返すことかもしれない。小説にもそれが当てはまるのかもしれない。私にはそれが当てはまるのかもしれない。そうして何を得ることができるのか、この目で見ることしかできない。それはいっそのこと駄作でもいいのだろうか。これを続けているうちに身の内から湧き出る何かがあるのではないか。どんなに準備が整っていなくてもいい。どんなに不出来でもいい。それよりも私は選択することを躊躇したくない。場の空気が凍りつくのに時間はかからなかった。一瞬のことだったと思う。あるいは私が記憶を過剰に改変しているのか。他の三人から早くしろよという視線と、もしかしてわからないのかという落胆と見下す視線を感じて、私の頭はますます機能停止に陥る。


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