060815 混乱の果て

とにかく睡眠が大切なのだ。しかし昨夜はあまり眠ることができなかった。もっと自分を休めたい、いつも頑張っているこの脳によき休息を与えたい、深い休息を与えたい。私もいつかは日記本を出版してみたい。私は日記本が好きだ。私は他人の、それも全く知らない人の、日常に興味があるのだ。何があれば私は日記本を出すことができるのだろう。どうしたら私は言葉を届けることができるのだろう。言葉を届ける? その烏滸がましい言葉言い方に寒気がする、くしゃみが出そうになる。私は何も分からなくなる。わからなくなってもいいのだ、それでいいのだ。なぜならあなたは運気がいいから。何をやってもできてしまうのだ、或る程度までは。セミの鳴き声が聞こえる。しかしそれにしても今年の夏は蝉の鳴き声がほとんど聞こえなかったような気がする。昔はもっとシュワシュワ炭酸がはじけるような音が近所中に響いていたと思うが。良い集中に潜り込む。私は何が出来るのだろうか、私は自分の欲求を再確認する。私は東京に住みたい。私は東京の人々と上手くやりたい。東京で沢山の人と出会い、交流して、仲間を作りたい。私には何が出来るのだろうか。それを知りたいという気持ちがある。今日やることについてぼんやりと考える、何かをしないことも大切だけれど、何かをするのももちろん大切だが、物事には順番があるというのも知っている。それを為すべき順番というものが。
今日ははじめに、いくつかの転職サイトをブックマークに保存して、いつでも参照できるようにしたい。それで言うと私は本当に自分の能力を過信しているというか、続ける継続するということを低く見積もっていると思う。別に今すぐにものにする必要なないのだ。それでも毎日やるということが大切なのだ。それでも毎日やっていると何かしらの展開は見込めるものなのだ、おそらくは。私の脳みそはドーパミンを求めて新しい動画に手が伸びる。もはや動画中毒である。でも、その世界観の中で主人公が欲求していることや物語の展開自体は似ている。世界観だけ違うっていう感じ。私は何をすればいいだろう。ブックマークに保存したその後は。求人を探してみよう。そうしてお気に入りに入れるとか、実際に応募してみたりしよう。なぜならどうせ落ちるからだ。最近まったく仕事に集中できない。よい集中を。どうしたらみんなのようにちゃんとした仕事をすることができるのだろう。結局私にできることはそれくらいしかないのだった。できることをちゃんとやるということしか私にはできない。恐れないこととか、チャンスを自分から掴みに行くとか、しかしこれはだれにも迷惑をかけているわけではないから。遠くでアナウンスが聞こえる。男性が話している。人を探しているわけではなさそうだ。情報をみなに向かって提示している、という感じだ。マニュアルを読み上げている、そこに彼の感情はない。改めてそれを言語化されると恥ずかしいですね。どこのことを言っているのかわかるから。四六時中、仕事中でも、ベッドの上の発声方法で話すのをやめてほしい。こちらが勘違いしてしまうから。こうしたフリーライティングが何に繋がるのだろう。本当にどうなるのだろうか。とにかく楽だからね。私は転職したいし、転職がゴールではなくてスタートだから、その後でも活きるなにかを今からハードルを下げておこなうべきなのかもしれない。べき、べき、べき、さっきからうるさいのだ。木の枝が容易く折れるような情けない音をこれ以上私の文章の中に持ち込まないでほしい。私の脳は依然としてドーパミンを求めている。苦しい、動物としての欲求である。私は本当のところ自分が何を求めているのか把握していないのではないか。いや、把握していないのだ。私はただこうした言葉の反復作業に身をゆだねて、つまり原始的な快楽であるところの反復行為に身をゆだねて浸っているにすぎない。そこには発展も進展もない。新しい可能性に展かれるということがないのだった。頭だけでなく腹や心臓や脚でも同時に考えていて、その総体の抽象として言葉がディスプレイに表示されて、今では紙にプリントされている。あくまでも大元は私の身体であるということですね。ちょっとずつ前に進む。それが何を表すのか知らないけれども。私にはたくさん知らないことできないことがあって、それはもう百も承知なのだから、私は少しずつ前に進んでいきたいと思うのだった。こういした自動の文字カウンターのおかげで私は書き進めることが、書き溜めることができるのだった。それは通常の生活を通して勝手に蓄積するものだ。積み上がっていくものだ。急いではいけない。時間はたくさんあるのだから。しかし手を止めてはいけない。それもまたしんじつなのだった。別に遅くてもいいのだ、走り止めなければそれでいいのだ。私の知らない物語、私の知りたい物語、ビジネスということ、その絶え間ない集中、間歇的な集中を身につけたい。なぜなら私は東京に住みたいからで、東京の忙しない生活に身を浸したいからで、東京の人間と深くかかわりたいからで、こんな速度の遅いところで生活しても何も変化もないし、同じことをずっとやって死んで行くというその人生の無常さに私は耐えられる気がしないのだった。このお経によって、呪いによって、私は何もかもを身につけられるようになりたいのだった。集中すること。瞑想すること。よい集中に身を浸すこと。答えは案外動画の中にあることもある。あることもある? どういうことなのだろうか。あるかもしれないでいいのではないか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?