『だから古典は面白い』(野口由紀夫)

本記事は、JLAB基礎教養部のノルマで作成したものです。
また、以下のリンクにあるYujinさんの記事を参考しました。


本の感想の前に

最近投稿者が精神的にストレス状態なせいもあってか、辛口になっている。
本投稿は捻くれた捉え方をする奴もいるものだなぁとくらいに思っていただきたい。

本の感想

良い感想

「戦争と平和」についての章は面白かった。というよりも自分の考えと共鳴した。国でも世界でも、特定の個人あるいは特定の事件の有無で今日に至らなかったとは思えない。ただ、これは信条に近い話であって、違うという人の考えも大いに正しいと認められるべき。したがって、これ以上掘り下げるのは藪蛇だろう。
 ちなみに、本書で扱っている歴史上の偉人ナポレオンは世界史で挙がってくる人物なので、ここで話されている理屈は(あえて分けるのなら)文系向きだが、理系で例えれば、ノイマンとかアインシュタインあたりになるのだろうか。他にも大勢いるが、その人物がいなかったとしても別の誰かが同じ発見・発明を生み出していたんだろうということになる。(もちろん頭の良し悪しで言えば凡人以下の私からすれば宇宙人にしか映らないのだが…)

悪い感想

 読んでいて、投稿者は個人的に好きな三島由紀夫の言葉を思い出した。知識階級にいる人間で、教養(ここでは古典を読んだ経験ないしは啓蒙された思考全てになるのだろうか)に力があると信じている様子が文章のあちこちから醸し出されている。実になっているのは事実だろう。著者には遠く及ばない若造だが、古典を読んでよかったと感じたこともある。
 しかし、いかんせん言い回しが鼻につく。本音はこれに尽きる。幼少期から本を読めと執拗に言ってきた叔父を思い出すからだろうか。現代っ子の私からすれば、2世代上の人物と埋められないギャップを感じている。こういうことを書くと、私が未熟だからではないかという疑問が自分でも湧き上がってくるのだが、それ以上に著者と私が生まれた時代に原因があると感じている。まだこれを言語化できない。原因は純粋な意味での知識不足であって、読書量の違い、ましてや古典を読んだかどうかからくる違いではないはずだと踏んでいる。

 付け加えると、特定の知識やノウハウを獲得するのが目的なら、古典にこだわる必要はないと考えている。例として、聖書は最高の人心掌握書だと捉えている章。説得するためのノウハウが詰まっているということだが、本書で紹介されている内容としては結局
  1)比喩を使うこと
  2)認識をずらすこと
という具合に、詐欺師の手口でいうところの常套手段ではないか。すでにある数えきれないほどの新書に与えれば、同じ知識を獲得できるような気がする。
 もっとも、こういう目的で聖書を読むべきではないと思うのだ。内容が正しいか間違っているかはさほど重要ではなく、精神の支柱となるモノを求めて読むべき本なのだろう。


Yujin氏の記事を読む

 ご自身が好きな作品について書いておられた(というか大半がそっちだった)。私も好きな作品について書いてみようと思ったが、残念なことに愛してやまない作品というものがない。これは私にとって深刻な欠如に感じられる。
 何しろ、目的を持たずに本を手に取るという経験が皆無である。必ず疑問なり知りたいことが先にあって、関連しそうな本を漁ってコレは!というモノを選ぶ。
 筆者から言わせれば、それらを古典に置き換えろという話だろう。先述した通り、情報の効率面で古典が優れているかについては懐疑的なので、自分が考える限りで(ほとんどの本は情報面で読む価値はないと考えているため)工夫しつつ最短ルートを選ぶことを優先する。これが死ぬまでに変わるかどうかわからない。
 最後に「自分自身の選択基準」を作る方法について、自分なりの考えを述べる。おそらくもっとも強力なのは、苦を伴う実体験に基づいた思考の結果だと信じている。これができない場合に歴史や小説などを他者を通じた疑似体験に方法を求めるべき、というのが私なりの古典と向き合う理由だ。そこら辺にあるビジネス本や新書よりは密度が濃いから。

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