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金融教育や投資教育ってここから始めるべきじゃない?という話

出版社に怒られること覚悟で書く。そして非常に長いよ。


長ったらしい前口上

金融教育や投資教育ってのが始まるらしいのでちょっとぐぐってみたところ、某団体のいくつかあるカリキュラムのうち親子で学ぶ勉強会の大雑把な内容が「お金の増やし方」となってて「あ、これはアカンわ」と思いました。

金融教育や投資教育のもっと根本的な部分、「会社とは何か」「投資家とは何か」「株とは何か」といったところから学ぶべきだと思っているのだけど、そういうところをすっ飛ばしたらなんで人々は会社をつくっているのか分からないし、それが分からなければ株がどういうものかも分からずに「株はギャンブル」と決めつける人を増やすだけだと思います。

表紙

原著は1995年で、最初に出た日本語版は「ピーター・リンチのすばらしき株式投資(1996年)」。そのあとタイトルを改題して「ピーター・リンチの株の教科書(2006年)」として出版されました。

ピーター・リンチについて知らない人について簡単に紹介すると、マゼラン・ファンドというファンドを運用したファンド・マネージャーで、13年間で基準価額を25倍(年率約30%のリターンで、バフェットでも20%と言われています)にしたアメリカン・ヒーローとも言える人です。そのことが分かることとして、訳者あとがきに以下のように書かれています。

 その彼に会うためにボストン空港からタクシーに乗ったところ、タクシーの運転手さんが「どこから来て何をするのか?」と訊いてきた。そこで「東京から来て明日ピーター・リンチ氏に会う。ところで彼を知っている?」と尋ねたところ、「もちろん知っているよ。彼は自分もリッチになったけど、多くのアメリカ人をリッチにした偉大な人物だ」という答えが返ってきた。株で儲けると後ろめたい感じすら残る日本とは大変な違いである。
 ところが、話はそれで終わらなかった。ニューヨークに戻ってホテルのロビーで人を待っていると、今度は老婦人から同じ質問を受けて「昨日ピーター・リンチ氏に会ってきた」と答えたのだが、彼女の反応がまた驚きだった。「それは残念。もしお会いになる前だったらお礼を言って欲しかったの。彼のおかげで私の息子は大学に行けたのですから」と、彼に心から感謝しており、その姿を見て心が温まる思いだった。

訳者あとがき 新装日本語版(ピーター・リンチの株の教科書) 2006年

そういえば日本に投資で成功した人はいても、投資で人々から感謝されている人っていましたっけ?

タイトルに「株式投資」とか「株の教科書」と書かれているので株の本と思われるかもしれないけれど、「はじめに」で以下のように書き始めています。

 アメリカの中学、高校の教科には、最も大切な講座が一つ欠けています。“投資”がそれです。これは驚くべきことです。歴史は教えても、資本主義の壮大な歩みや、私たちの生活が変化(ほとんどの場合は進歩)していくうえで会社が担ってきた役割についてはほとんど教えていません。数学は教えても、会社や株式について知るために必要な簡単な応用が欠けています。会社の概要、業績、その会社の株を買うと儲かるかどうか、などと考えてみるときに役に立つ、経済面への応用が欠けているのです。
 家庭経済の講座はあります。裁縫、七面鳥の焼き方、それに、予算を守って小切手帳の残高の帳尻を合わせる方法までも教えています。ただ、よく忘れられているのが、若い頃から貯金をしておくと将来どれだけ役に立つかとか、そのお金で家を手に入れたら次は株を買うのが最もよい方法だということ、そして、貯金をして株式投資を始めるのは早ければ早いほど、長い目で見て効果があること、などが抜けているのです。
 愛国心についても教えます。ただしそれも、軍隊や戦争、政治と政府の話が多い。アメリカには、私たちの繁栄と豊かな国力の中核をなす何百万という数の大小さまざまな会社がありますが、それらについてはあまり多くは教えられていないのです。
 資本を供給する投資家がいなければ、新しい会社はできないし、新規の雇用機会も生まれません。既存の会社にしても、投資家からの資金の支援がなければ、会社をより大きくしたりより効率的にすることはできず、より高い給料を出すこともできません。つまり、国民が望むような国づくりはできず、失業者はあふれて、アメリカはみじめな姿をさらすことになるでしょう。

「はじめに」の暴騰部分

まずここから教えなければいけないのではないかと思います。

訳者あとがきにも以下のように書かれています。

 株式投資は明るく楽しいものととらえるアメリカと、なんだか後ろ暗くて人目に隠れるようにして株式投資をしがちな日本と、これの原因を測りかねていたのだが、この本でその答えを得たような気もしている。
 つまり、資本主義や株式市場が、メイフラワー号の時代から自然発生的に生まれてきたアメリカと、明治維新によって急速に近代化を迫られ、そのため急きょ外国から輸入して出来た資本主義や株式市場を持つ日本との違いである。
 この本に書かれているように、紆余曲折はあるものの、株式投資はアメリカ経済の発展に大いに貢献し、株式市場もその役割を充分に発揮しているし、そのおかげでアメリカが世界一豊かになっていく過程がよく見えてくる。
 一方、わが国では、まず形を整えるところから資本主義や株式市場が出てきたために、貧しかった当時の日本としては、この両者とも国策としての主義や市場でしかなく、一般の国民にとっては馴染みが薄かったのかもしれない。
 しかも、取引される株価も高くて、とても普通の人が投資の対象として考えられるようなものでもなく、したがって市場に参加する人数も限られていたという歴史がある。
(中略)
 前述したように、わが国では、株とは、株式市場とは、といった根本的な理解が、その生いたちのためか欧米諸国に比べてかなり不足していて、おまけに誤解までされている感もある。
 そのため株とは単に「安値で買って高値で売るもの」といった感覚が強く、国家や会社の発展とともに自分も栄えるための手段になるとか、株を持つことが会社を所有することになるといった、ごく根本的なところが見過ごされているのではないだろうか。

訳者あとがき 新装日本語版(ピーター・リンチの株の教科書) 2006年

 一般的に「株をやる」とか「株などやっていない」という表現が使われているが、果たしてどれだけの方々が「何をやっているのか」を正しく理解しているか、心もとない限りである。日本では株式投資を「やる」の一言で片付けているが、英語では「インベストメント」「トレーディング」「スペキュレーション」といった具合に言葉も分かれているし、投資家自身も自分がどのスタンスで株と向き合っているかを自覚している。つまり「株を買う」という行為は同じでも、それが投資なのか投機なのかで目的が大きく異なることを知っているのだが、日本では「デイトレ」という言葉がもてはやされたように、「トレーディング」が「株をやること」と考えられている風潮が強い。
 もちろん、どんな形で株式投資をしても結構なのだが、自分が何をやっているのかを区別できるようになるためにも、いま少し「株とは何か」についてお考えいただくとよいのではないだろうか。本書はアメリカの発展の歴史に重ねながら「資本主義とは何か」「企業の役割とは何か」を基本から説き起こしているため、投資の初心者にもベテランにも得るところが多いはずである。訳者も長らく証券市場に関わってきたが、それでも訳しながら何度も「目から鱗の落ちる思い」をさせられ、軽い興奮すら覚えたものである。
(中略)
 株式投資の原点は、社会に富を生み出す企業を応援することである。英語では、株式市場本来の役割である「資本調達の場としての市場」のことをプライマリー(重要な)、すでに発行済みの株式を売買する市場は「セカンダリー」(二次的な)と、両者を区別して呼んでいる。この点からも分かるように、本来の株式投資とは、企業に資金を投入し、企業の成長とともに自分の人生を豊かにしていくということである。もちろん、企業の成長を通じて国の発展にも貢献できる。

訳者あとがき 新装日本語版(ピーター・リンチの株の教科書) 2006年

株を買ったり売ったりしているうちほとんどが他人が持っている株を買ったり、逆に自分が持っている株を他人に売っているセカンダリーの方で、こっちだと株を買っても会社には1円もお金が入らないことすら知らない人がほとんどなのではないかと思います。なので一時期「会社を応援するためにその会社の株を買おう」なんてことが言われていましたが、何を言っているのかほとんど分かりませんでした(株価が上がることで会社の値段が高くなり買収されにくくなるといったことはありますが)。

資本主義の歴史や会社の一生(会社の設立から無くなるまで)に書かれた本で、金融教育や投資教育のための非常に良い教科書だと思っているのだけど、こういう話に興味がない人がほとんどなためか、今では古本でしか入手できません。ホントは今でも普通に買えて、電子書籍化されててもおかしくないと思っているんですけどね。。

これだけではどんな本なのか分からないと思うので、どんなことが書かれているのか、「はじめに」「もくじ」「序──私たちの生活と会社」「訳者あとがき(1996年と2006年の両方)」を記します。

怒られるだろう、きっと怒られるだろうと思いながらも、金融教育や投資教育をやるんだったら最低限ここから始めるべきだし、すでに良い教科書があるのだから参考にするべきだとも思ってます。このままじゃ「金融や投資のゆとり教育」になるんじゃないかと勝手に思っています。

数ヶ月か1年ちょっと前か忘れたけど、ある個人投資家が自分の投資の考え方として「会社の一部を所有して・・・」といったことをX(Twitter)で書いたところ、会社の一部を所有してってバカか?みたいな返信が大量についていたけど、それを見て「え!?株って会社の所有権を示すものだから、会社が100株発行してそのうち自分が1株持っていたら自分はその会社の100分の1を所有している(オーナーである)ことになるってのは投資をしている人なら誰でも知っていることだし、むしろ知らない方が方がおかしいんだけど。もしかしたら株式の譲渡性や株主の有限責任制についてすら知らずに株の売買をしている無知ばかりなのか!!?」と凄く驚いたのですが、バカとか言えてしまうあたりが金融教育や投資教育が全然足りてない証拠だと思いました。ちなみこういう人たちのことを馬鹿というのか無知というのかでちょっと悩んだので辞書でしらべたところ、無知が正しいようです。

馬鹿
三省堂国語辞典 第八版
ものを考える力が弱い<ようす/人>。また、誤った考え方をする<ようす/人>。おろか(もの)、
広辞苑 第七版
おろかなこと。社会的常識に欠けていること。また、その人。愚。愚人。あほう。

無知
三省堂国語辞典 第八版
(その方面の)知識がないこと。何も知らないこと。
広辞苑 第七版
1.知識がないこと。不知。
2.知恵のないこと。おろかなこと。

んで、なんとかショックとかで暴落し、資産が半分になったら国や他人のせいにして誹謗中傷する人を大量に増やすだけではないかと。まぁ、投資をするしないを決めたのはなんだかんだあっても結局は「自分」なんだから自業自得ということでほっといてもいいんですけどね。リーマン・ショックのときにこんなことがあったというのを貼っておきます。

金融教育や投資教育について心配するというよりは、昔チョコラBBのCMで桃井かおりが「世の中バカが多くて困るわよね」のセリフに苦情があって「世の中、お利口さんが多くて疲れません?」に変更となったのですが、お利口さんなったことで余計に毒舌になったなんて言われましたが、お利口さんが大量生産されたら疲れるなーくらいの感じです。

書籍「気まぐれコンセプト クロニクル」

では、どぞ。

ピーター・リンチのすばらしき株式投資、ピーター・リンチの株の教科書

はじめに

 アメリカの中学、高校の教科には、最も大切な講座が一つ欠けています。“投資”がそれです。これは驚くべきことです。歴史は教えても、資本主義の壮大な歩みや、私たちの生活が変化(ほとんどの場合は進歩)していくうえで会社が担ってきた役割についてはほとんど教えていません。数学は教えても、会社や株式について知るために必要な簡単な応用が欠けています。会社の概要、業績、その会社の株を買うと儲かるかどうか、などと考えてみるときに役に立つ、経済面への応用が欠けているのです。
 家庭経済の講座はあります。裁縫、七面鳥の焼き方、それに、予算を守って小切手帳の残高の帳尻を合わせる方法までも教えています。ただ、よく忘れられているのが、若い頃から貯金をしておくと将来どれだけ役に立つかとか、そのお金で家を手に入れたら次は株を買うのが最もよい方法だということ、そして、貯金をして株式投資を始めるのは早ければ早いほど、長い目で見て効果があること、などが抜けているのです。
 愛国心についても教えます。ただしそれも、軍隊や戦争、政治と政府の話が多い。アメリカには、私たちの繁栄と豊かな国力の中核をなす何百万という数の大小さまざまな会社がありますが、それらについてはあまり多くは教えられていないのです。
 資本を供給する投資家がいなければ、新しい会社はできないし、新規の雇用機会も生まれません。既存の会社にしても、投資家からの資金の支援がなければ、会社をより大きくしたりより効率的にすることはできず、より高い給料を出すこともできません。つまり、国民が望むような国づくりはできず、失業者はあふれて、アメリカはみじめな姿をさらすことになるでしょう。
 数年前から、共産圏と呼ばれてきた“鉄のカーテン”の向こうの国々で、大変なことが起こっています。いつの日かより良い生活ができるように、という希望のもとに国民が立ち上がって政府を転覆し、共産主義の指導者を追放しています。彼らが望んだのは民主主義であり、言論と信仰の自由でした。そして、憲法上の自由とともに彼らが求めたのが、企業経営の自由でした。物をつくり、売り、買い物をする自由。住宅、アパート、車、あるいは事業を所有・経営する自由などもそれに含まれます。これらは、ごく最近まで、たぶん世界の人口の半分に当たる人々が持っていなかったものでした。
 ロシアと東欧諸国の人々は、私たちがすでに持っている経済システムを得るために行進、デモ、ストライキなどを組織し、闘い、死力を尽くしました。そのため多くは刑務所に送られたり、命を失っています。ところが私たちの学校では、この経済システムがどのように動くのか、その利点、そして投資家になってその恩恵に浴する方法、などについての基本を教えていないのです。
 投資は楽しいものです。興味を惹きます。投資について学ぶことは、多くの点で実り多いものになるでしょう。皆さんの残りの人生を繁栄に導いてくれる可能性を秘めているのです。ところが、多くの人々は、目が霞んでお腹が出てくる中年過ぎまで、投資には無縁のままで過ごします。そこで株を持つことの利点を知り、もっと早くに気づいていれば、と後悔することになるのです。
 この社会で、お金を扱ってきたのは、おおむね男性でした。女性は男性たちの失敗を傍らで見ていただけでした。しかし、投資については、女性だから男性と同じようにはできない、というようなことはまったくありません。また、その上手下手に染色体の違いが関係しているわけでもないのです。だから、誰かが「彼は生まれついての投資家だよ」などと言うのを聞くことがあっても、信じることはないのです。それは迷信にすぎません。
 投資の原則は簡単で、容易に身につけることができます。第一の原則は、貯蓄はそのまま投資になるということです。豚の貯金箱のお金は投資とは言えません。しかしそれを銀行預金にするとか、それで債券や株を買えば、投資になります。誰かがそのお金を利用して、新しい店を開いたり、家を建てたり、工場を建設したりすると、働き口ができます。仕事が増えると、増えた働き手への賃金支払いが増えます。もし、その一部が貯蓄や投資に回ることになれば、新しい循環の始まりです。
 これは、すべての家庭、会社、国、どこでも同じことです。どこの国でも、どこの会社でも、あなたの家庭や私たちの家庭でも同じように、将来のために貯金し投資する人は、手に入るお金を全部使ってしまう人に比べて、より良い将来を迎えることになるでしょう。アメリカはなぜ豊かなのでしょう? 一時期、アメリカ国民の貯蓄率は世界でいちばん高かったのです。
 教育の重要性は、よく言われています。良い仕事に就いて高収入を得るためには教育が必要だということです。しかし、長期で見ると、将来の豊かな生活を約束するのは収入の額だけではないと教えてくれる人は多くはいないようです。その収入のなかからいくら貯金して投資に回すか、ということがカギになるのです。
 後で詳しく説明するように、投資を始めるのは若ければ若いほどいいのです。果実が実る時間が長いほど、得られる富は大きいのです。しかし、この投資入門書は、若者のためだけに書かれたものではありません。年齢を問わず、投資を始めようとするすべての人々を対象にしています。株式のことがよくわからない、基本的なことを学ぶ機会がなかった人々のために書いてあります。
 ところで、私たちは長生きをするようになりました。ということは、以前とは比べものにならないほどの長期間、生活費を必要とするようになったわけです。六五歳まで生きていた夫婦が、八五歳まで、さらにそのどちらかが九五歳まで長生きすることもあり得ます。その生活費をなんとかしなくてはなりませんが、そのための最も確かな方法が“投資”なのです。
 六五歳からでも遅くはありません。投資したお金が増え続けるのを見守る期間が二五年もあります。その間に必要な費用も賄ってくれるでしょう。
 一五歳や二〇歳の頃には、自分が六五歳になることなど想像もできないでしょう。しかし、その頃から貯蓄、投資をする習慣をつけておくと、あなたのお金は五〇年間も、あなたのために働き続けてくれるのです。たとえわずかなお金でも、五〇年の間、手を付けずにおくと、驚くべき成果をあげることになります。
 その資金が多ければ多いほど、結果はよくなり、国家も同じように潤うことになります。あなたが投資した資金が新しいビジネスの創造を助け、雇用の機会を増やすからです。

ピーター・リンチのすばらしき株式投資、ピーター・リンチの株の教科書ーーもくじ

はじめに
序──私たちの生活と会社

1章 資本主義の歴史──簡単なおさらい
 1 資本主義の夜明け
 2 誰がメイフラワー号の資金を出したか
 3 株式投資の始まり、そして最初のバブル
 4 アメリカの上場会社第一号は銀行
 5 なかなか理解されなかった銀行の役割
 6 "見えざる手”の発見
 7 アメリカの最初の百万長者は船成り金
 8 スズカケの木陰で始まった株式取引
 9 農業から工業化へ
 10 西部開拓を支えたのは誰?
 11 “ブランド”の成長
 12 “泥棒貴族”の登場
 13 “独占”はなぜ恐いか
 14 “平均株価”の誕生
 15 企業城下町の功罪を考える
 16 マルクスの間違い
 17 一九二九年の大暴落前夜
 18 大恐慌は繰り返さない
 19 大恐慌でも伸びた会社
 20 アメリカの復活
 21 投資家保護と不正追放
 22 増え続ける株主

2章 投資の基本
 1 今すぐ始める
 2 お金に働いてもらう
 3 何に投資するか──五つの基本型
 4 株式投資──時間を味方にする
 5 投資信託──プロに任せる
 6 株式投資は愉快な冒険だ
 7 株を買うにはどうするか
 8 株式欄を読もう
 9 株主になると特典がある
 10 利益の意味を正しく理解しよう
 11 会社は成長するお金の工場だ
 12 冷静であれば一〇倍も難しくない

3章 会社の一生
 1 第一の誕生日──会社の創立
 2 第二の誕生日──株式の公開
 3 青少年期──リスクも魅力一杯
 4 中年期──安定のなかにも忍び寄る危機
 5 老年期──資産家の屋根裏部屋の魅力
 6 会社をめぐるドラマ
 7 会社が死期を迎えるとき
 8 会社はインフレと不況に揉まれる
 9 強気と弱気の間で揺れ動く投資家

4章 見えざる手
 1 チャンスは誰にでもある
 2 アメリカの黄金時代再び
 3 新時代を築くヒーローたち

補遺(1)―誰にでもできる会社の選び方
補遺(1)―早わかりバランスシートの読み方

序──私たちの生活と会社

会社──その役割と株主の責任

 何人かの人たちが一緒に仕事を始めようとするときには、“カンパニー(会社)”をつくるのが普通です。世界中のビジネスのほとんどは会社によって運営されていますが、その語源はラテン語の“仲間”を意味する言葉です。
 会社の公式の名称は“コーポレーション”で、これはラテン語の“コープス”からきています。この場合は、“身体”の意味です。つまり共同でビジネスを営む人々の身体、ということでしょう。
 会社を創立するのは難しくはありません。少額の登録料を払って、法律上の住所を持ちたいと思う州に、いくつかの書類を提出すればよいのです。州のなかでは、その意味で最も人気があるのがデラウェア州です。会社にとって最も都合のよい法制をとっているからですが、とにかく、毎年、何千という会社が、各州で設立されています。企業名の後にINC. がついているのは、その企業が会社としての登録を済ませていることを示しています。 INC. は INCORPORATED の省略形です。
 法の目で見ると、会社は、違法行為があれば、処罰することができる個体です。罰としては、普通は罰金を課すことになっています。企業のオーナーが会社制を採用する主な理由がこれです。手違いがあって、訴えられたときに、会社がその責任を取り、オーナー自身は責めを負わずに済むからです。もしあなたが両親の車を木にぶつけたとします。こういうときに、会社をつくっていればどんなにか気が楽なことでしょう。
 エクソン・バルデツ社がアラスカで起こした公害事件を覚えていますか? プリンス・ウィリアム海峡でタンカーが座礁して、一一〇〇万ガロンもの石油を流出したあの事故のことです。その復旧には何ヶ月もかかりました。そのタンカーはアメリカの第三位の大会社、エクソンに所属していました。当時のエクソンには何十万人もの株主がいて、それぞれが会社の一部を保有していました。
 もしエクソンが会社でなかったとしたら、これらの株主は個別に訴えられて、直接には自らの過ちではない事故のために、生涯の蓄えを失ってしまう結果になったに違いありません。また、たとえ工クソンが無罪という結果が出たとしても、弁護のための費用はかかります。この国では、有罪が確定するまでは当然のことながら無罪ですが、いずれにしても弁護士への謝礼は払わなければならないからです。
 これが会社のいいところです。会社そのものは、その役員や経営幹部と同じように、訴訟の対象にされます。ところが、そのオーナーである株主は保護されているのです。訴えられることはありません。イギリスでは、会社名の後に“リミテッド(LTD)”をつけ加えます。オーナーの責任が限られている、という意味であり、それはアメリカの会社も同様です。
 これは資本主義制度にとっての大きな防御策になっています。もし会社が過ちを犯したときに、株主も訴えの対象にされるとしたら、株を買う人、つまり投資家がいなくなるからです。タンカーの事故だとか、ネズミの毛がハンバーガーの中に入っていたとか、日常のビジネスで数え切れないほど起こっているさまざまな事故の、責任を取らされるのは真っ平ということです。責任が限定されていない限り、株を買う人はいないでしょう。

投資家──資本主義の輪の最初の担い手

 アメリカの会社の大多数は私有企業です。一個人か、少人数のグループに所有されていますが、一族のなかで保有されているケースが多いのです。それは一体どこにあるのでしょうか? 探すのに手間はかかりません。至るところにあります。通りのあちこちに、大通り沿いに限らず、どの村にも町にも、アメリカはもちろん世界中の都市にあります。床屋、自転車屋、菓子屋、ボウリング場、バー、宝石店、小さなレストラン、などなど。それに、ほとんどの病院、大学も私有企業です。
 私有企業と呼ぶのは、一般の人がその会社に投資できないからです。泊まったホテルのサービスが気に入った、立地も良い、ということで、支配人に会ってパートナーにさせてほしいと申し込むとします。しかし、オーナーと関係があるとか、あるいはオーナーに息子か娘がいてその結婚相手に選ばれるということでもなければ、あなたがそのホテルのビジネスに参加できるという可能性は限りなくゼロに近いでしょう。
 それが、たとえばヒルトンとかマリオットなどに泊まったケースだと、支配人に会うことも、息子や娘との結婚を考える必要もありません。証券会社に電話して、その会社の株を買えば、オーナーになれるのです。ヒルトンもマリオットも、株式が市場で取引されているからです。こうした会社は公開会社と呼ばれています(アメリカでは公開会社の数は私有企業のそれに比べて少ないが、一般的に言ってはるかに規模が大きいので、公開会社で働く人の数のほうが圧倒的に多い)。
 公開会社の株主には誰でもなれます。買い付け代金を払うと株券と称する証券を渡されます。これはその会社の一部についてオーナーであることを証明するものです。株券は実質的な価値を持つもので、いつでも売ってお金に換えることができます。
 公開会社は誰でもオーナーになれるという点で、世界で最も民主的な機関ということができます。真の意味での平等、機会均等のよい例でしょう。肌の色、性別、宗教、国籍、生まれ年、あるいは、ニキビがあろうと息が臭かろうと、まったく関係ないのです。
 仮にマクドナルド社の会長があなたに恨みを抱いていたとしても、彼はあなたがマクドナルド社のオーナーになるのを止めることはできません。その株式は株式市場で売買されています。お金を払いさえすれば、誰にでも買えるのです。現在アメリカには約一万三〇〇〇社の公開会社があり、それも増え続けていますが、そのすべての会社について、マクドナルド社と同じことが言えます。公開会社はどこにでもあり、朝から晩まであなたを取り巻いています。それから逃れることはできません。
 ナイキ、GM、コカ・コーラ、コダック、富士写真フィルム、ウォルマート、タイム・ワーナー......。これらの会社に共通しているのは? 皆が公開会社です。
 家の中、街の中、学校の周囲、ショッピングセンター、どこにでも会社名があふれています。食べる、着る、読む、聴く、乗る、寝る、うがいをする──ほとんどすべての対象物は、あなたがオーナーになることのできる会社がつくっているのです。
 歯みがきやシャンプーはプロクター&ギャンブル、剃刀はジレット、などなど。朝食のテーブルにはゼネラルミルズ社製のシリアル食品、ウィスキーで有名なシーグラム社製のトロピカーナ・オレンジジュース、トーストを焼くのは一九二〇年代に創業していまだに成長を続けているトーストマスタ―社の製品。コーヒーポット、電子レンジ、オーブン、冷蔵庫なども公開会社のどれかでつくられているし、いつも食品を買うスーパーもそうです。
 通学鞄の中の本は、やはり公開会社であるマグローヒル、あるいはこの本の出版社であるサイモン&シャスターなどが出版したものでしょう。サイモン&シャスターは最近までマディソン・スクエア・ガーデン(バスケットのNYニックスなどの本拠としても知られる)のオーナーだったパラマウント社の一部門でした。ところがその本体のパラマウント社は、一九九四年にビアコム社に買収されてしまいました。
 ビジネスの世界では、このように、いつも買収・合併が行なわれています。ウォール街では、パラマウント社やユニバーサル社が製作した戦争映画のなかで見られる以上の数の、買収、乗っ取りが現実のものになっているのです。そのユニバーサル社は、MCA社の一部門でしたが日本企業に買収されました。またMCA社自体も、現在はシーグラム社の傘下に入っています。
 あなたが飲むコーク、ペプシもそれぞれ公開会社が生産しています。ペプシはタコベル、ピザハット、ケンタッキー・フライドチキンなどを保有しているので、ペプシの株主になれば、同時にこれらの会社にも投資したことになります。
 あなたが見ているテレビのセットも公開会社がつくったものです。たぶん日本の会社でしょう。ケーブルテレビも公開会社が運営しています。その三大ネットワークは、CBSが最近ウェスティングハウスに買収され、NBCはGEが親会社。また、ABCはディズニーと合併することになっています。ウェスティングハウス、GE、ディズニーは皆公開会社です。CNNを運営しているターナー・ブロードキャスティングもそうですが、タイム・ワーナー社との合併に同意しています。
 テレビで広告している商品も、ほとんどが公開会社で生産しています。また、その広告の多くはインターパブリック・グループ社などの、株式を公開している宣伝広告会社の製作したものです。
 有名な公開会社の一〇〇〇社を選び出すほうが、私有企業一〇社の名前をあげるよりはやさしかろうと思われます。同族経営の会社は数え切れないほどあるのですが、大手企業ということになると、株式を一般に売り出していない会社を見つけるのは大変です。ジーンズのリーバイ・ストラウス社などがそうです。ジョン・ハンコックなど、保険会社の何社かは相互会社ですが、近い将来に株式会社になることが予想されます。
 このほかファーストフードのチェーン店、大手製造業、ブランド商品をつくっている会社などなど、誰でもオーナーになることができます。しかもあなたが考えているほどの大金はいりません。事実、マジックキングダムの一回パスの代金に少し足せば、ディズニー帝国全体のオーナーになれます。また、ビッグマック二〇個とフレンチフライと同じ値段で、あなたもウォール街の大物たちと並んで、マクドナルド社のオーナーの座を手に入れることができるのです。
 あなたがいくつであろうと、生涯のうちに買える株数が何株であろうと関係はありません。マクドナルド、トイザラスなどの店に入り、そこで行なわれている商売に自分が関係している、いくらわずかでも利益の一部は自分のポケットに入るのだ、と考えながらお客の列を眺める──愉快ではありませんか。ブロックバスターの店でビデオを借りても、株主であれば、自分の利益のためにお金を使う、と言えるでしょう。
 これは、建国の父たちでさえ思いつかなかった、私たちアメリカ人にとって重要な、生活の一部になっているのです。東部から西海岸まで、五〇〇〇万人の老若男女が、一万三〇〇〇の種々さまざまな会社の株主です。この制度は、多数の一般大衆を、一国の成長と発展のために参加させるという意味で、人類の歴史が始まって以来の最高の仕組みだと言えるでしょう。これは一方通行の動きではありません。会社が株を売ると、その代金で新しい店を開き、工場をつくり、商品の開発費にもあてます。その結果、商品の売上げが伸びて、顧客の数も増える。会社が大きくなり、繁栄すれば、株価も上がる。投資したお金が効果的に使われたことになります。
 一方で、業績の良い会社は社員の給料を上げることができるし、順次昇格もさせる。また税金の支払いも、増えた利益に応じて増加する。したがって、学校、道路網、その他社会の利益になることに対する政府の財政支出も増える、という寸法です。こうしたよいことずくめの循環も、あなたのような人たちの、会社に対する投資から始まるのです。
 資本主義の輪の最初の担い手は投資家です。あなたの貯蓄が増えて、株式への投資が増えれば増えるほど、あなたの生活は豊かになるはずです。よい会社を選んで投資して、短気を起こしさえしなければ、将来、その株式の価値は大幅に上がると思うからです。

訳者あとがき 日本語版(ピーター・リンチのすばらしき株式投資) 1996年

 訳していながら、この本ほど、難しいと思われていることを平易にわかりやすく書いている本はこれまでにお目にかかったことがない、というのがわれわれの正直な感想である。実は訳者は二人とも証券界の出身であり海外で勤務していた経験もあるので、株式や株式市場、そして株式投資についてはベテランであると自負してきたが、それでも、これだけ難しいことをこれほどわかりやすく書く自信はとても持てないし、それだけに著者のピーター・リンチ氏でなければこんな本はとても書けなかったとも言えるだろう。
 洋の東西を問わず株式投資で成功するのは難しいとされているし、たとえ一時的には大きく成功しても「一夜成金・一夜乞食」という言葉があるように、浮き沈みの激しいのも株式市場といった印象も強い。
 だから、株に手を出すのは危険だといった言われ方もよく耳にするし、とくにバブル崩壊後の日本ではその感がより強い。
 しかし、それは株の持つ数々の有益な点をことさら見過ごしにして、値下がりというリスク面だけを強調し過ぎているのではないだろうか。
 著者のピーター・リンチ氏はアメリカでは知らぬ人がいないほどの有名人であり、その名声は株式投資の成功によって得られたのだから、株に対するこうした偏見を改めたいと考えたのはごく自然な成り行きだろう。
 それにしても見事な本である。
 読み進んでいくうちに、知らず知らず株とは何かについての理解が進むことはもちろん、株がどんなに社会に役立っているかということもよくわかってくる。また読み終わる頃には、株とはなんとすばらしいものかと、これまでの考えも改まってくるほどである。
 翻訳を始めるにあたり、訳者二人で打ち合わせを進めるたびに、今の日本に最も必要なのがこの本ではあるまいかと、われわれも軽い興奮を覚えたほどである。
 かねがね株式や株式市場に対して、アメリカと日本との間に投資家の認識や政策当局の対応にかなりの違いがあるのはなぜだろうかという疑問を抱いていた。
 株式投資は明るく楽しいものととらえるアメリカと、なんだか後ろ暗くて人目に隠れるようにして株式投資をしがちな日本と、これの原因を測りかねていたのだが、この本でその答えを得たような気もしている。
 つまり、資本主義や株式市場が、メイフラワー号の時代から自然発生的に生まれてきたアメリカと、明治維新によって急速に近代化を迫られ、そのため急きょ外国から輸入して出来た資本主義や株式市場を持つ日本との違いである。
 この本に書かれているように、紆余曲折はあるものの、株式投資はアメリカ経済の発展に大いに貢献し、株式市場もその役割を充分に発揮しているし、そのおかげでアメリカが世界一豊かになっていく過程がよく見えてくる。
 一方、わが国では、まず形を整えるところから資本主義や株式市場が出てきたために、貧しかった当時の日本としては、この両者とも国策としての主義や市場でしかなく、一般の国民にとっては馴染みが薄かったのかもしれない。
 しかも、取引される株価も高くて、とても普通の人が投資の対象として考えられるようなものでもなく、したがって市場に参加する人数も限られていたという歴史がある。
 また、発行株式の大半は三井、三菱といった大財閥によって所有されていたために、株式がいっそう国民にとっては無縁のものとなっていたのである。
 戦後になって財閥が解体され、その保有株式が一般に売り出されることとなり、ピープルズ・キャピタリズムという掛け声で、一時は全発行株数の約六〇%が普通のいわゆる一般投資家によって保有された時代もあった。しかし、株価が高くなるにつれ手放す人も増えて、今は会社同士の株式の持ち合いが約七〇%に達し、再び個人株主の比率は一〇%そこそこにまで落ち込んでいるのが日本の現状である。
 バブル崩壊の後遺症のためもあってか、最近は株式に対する関心も低下し、投資家の株式離れ現象も強まっているが、これは株式の魅力そのものが失せたというよりは、株式に対する根本的な理解の欠如にあるのかもしれない、というのがわれわれの印象である。
 前述したように、わが国では、株とは、株式市場とは、といった根本的な理解が、その生いたちのためか欧米諸国に比べてかなり不足していて、おまけに誤解までされている感もある。
 そのため株とは単に「安値で買って高値で売るもの」といった感覚が強く、国家や会社の発展とともに自分も栄えるための手段になるとか、株を持つことが会社を所有することになるといった、ごく根本的なところが見過ごされているのではないだろうか。
 「株式投資で豊かな暮らし」といったキャンペーンの文句はあるが、なぜ株式投資が自分の一生を豊かなものにしてくれるのかについては説明も不足だし、また投資家もそういったことには関心が薄いのが日本の現状である。
 しかし、本来、株式投資は人生を豊かにするための格好の手段であるのは間違いようのない事実だし、知っていると知らないとでは、時間が経てば天と地ほどの差になることも本書で著者が強調しているとおりなのである。ましてや「食わず嫌い」なんてことはもってのほかで、みすみす豊かな人生を送れる権利を自ら放棄しているのと同じことである。
 その豊かな人生を送る権利を、容易に使うことができるのが株式投資であり、始めるのが早ければ早いほど小さな資金でスタートできるのだから、食わず嫌いの人も、もう懲り懲りという人も、ぜひ本書に触れていただきたいものである。これはまた訳者たちの願いでもあり、株価が低迷している今は、その意味でもチャンスであると言えるのではないだろうか。また若い子供さんや若い社員をお持ちの方々にも、ぜひこの本をその人たちに読ませていただけないだろうか。
 学校では教えていない、そのため習ってもいない生きた経済の仕組みが、株や株式市場を知ることによってきれいに整理され理解できるはずである。と同時に、学ぶことや働くことの意味もわかってくるだろう。
 最後になったが、仕事の遅れがちな訳者たちを根気よく励ましてくれたダイヤモンド社の黒木栄一氏に、こんないい本を訳す機会を与えてもらったことも含めて謝意を表したい。

一九九六年一一月
三原淳雄
土屋安衛

訳者あとがき 新装日本語版(ピーター・リンチの株の教科書) 2006年

本書はPeter Lynch, "LEARN TO EARN : A Beginner's Guide to the Basics of Investing and Business" (1995) の日本語版『ピーター・リンチのすばらしき株式投資――楽しく学んで豊かに生きる』(ダイヤモンド社、一九九六年)を、復刊のご要望にお応えして新装版として上梓するものである。そのため、本書の記述は一九九〇年代半ばのものとなっていることをご了承いただきたい。

 一九九〇年代の前半、日本はバブル崩壊の痛手が本格化し、株式市場や不動産市場は下落に次ぐ下落を重ねていた。戦後一貫して右肩上がりの成長を続けてきた日本が初めて直面する前代未聞の規模の資産市場の崩落は、日本の多くの投資家を混乱に陥れた。
 株や不動産は上がり続けるのが常識だったし、ましてや都市銀行や大手証券会社が危なくなるなど想像もできなかった時代である。そのため、その後は一転して、株や土地は危ないから持つべきではないという風潮が高まり、株にいたっては悪者扱いされる始末であった。株式市場をめぐる相次ぐスキャンダルもそうした風潮に拍車をかけ、公職にある者が株を持つなどとんでもないというムードも強まっていった。政治家は「株などやっていない」と胸を張って語っていたし、国の経済をリードする立場の官僚たちは、株式投資を自粛するのが当然とされていた。
 そういう時期にニューヨークの書店で偶然見つけたのが本書である。日本に持ち帰ってダイヤモンド社に持ち込んだところ、出版を快諾してくれ、九六年に最初の訳書として出版することができた。さっそく訳し始めたが、日米の株式に対する認識がこんなにも違うのかと改めて驚かされた記憶がある。多くのアメリカ人は、社会に富を生み出すのが企業であることを最低限の知識として持っているし、株を保有することはその企業のオーナーになることと理解している。著者のピーター・リンチ氏は、それでもまだアメリカの教育には最も大事な「投資」が欠けていると、かなりご不満である。
 一方、日本では、株式投資の一番の基本となる「株とは何か」についての理解が、残念ながら著しく欠けている。
 一般的に「株をやる」とか「株などやっていない」という表現が使われているが、果たしてどれだけの方々が「何をやっているのか」を正しく理解しているか、心もとない限りである。日本では株式投資を「やる」の一言で片付けているが、英語では「インベストメント」「トレーディング」「スペキュレーション」といった具合に言葉も分かれているし、投資家自身も自分がどのスタンスで株と向き合っているかを自覚している。つまり「株を買う」という行為は同じでも、それが投資なのか投機なのかで目的が大きく異なることを知っているのだが、日本では「デイトレ」という言葉がもてはやされたように、「トレーディング」が「株をやること」と考えられている風潮が強い。
 もちろん、どんな形で株式投資をしても結構なのだが、自分が何をやっているのかを区別できるようになるためにも、いま少し「株とは何か」についてお考えいただくとよいのではないだろうか。本書はアメリカの発展の歴史に重ねながら「資本主義とは何か」「企業の役割とは何か」を基本から説き起こしているため、投資の初心者にもベテランにも得るところが多いはずである。訳者も長らく証券市場に関わってきたが、それでも訳しながら何度も「目から鱗の落ちる思い」をさせられ、軽い興奮すら覚えたものである。

 本書を訳した縁で、その後、リンチ氏には二度ほどお目にかかることができた。彼と話していて特に印象に残ったのは「私の父は四六歳で亡くなった。もし私がそれ以上生きることができたら、その後は社会に奉仕しようと、若い時から決めていた」という言葉である。
 社会奉仕を行なうにはそれなりの資金が必要となる。幸いポートフォリオ・マネジャーとなった彼は、自分の担当するファンド(マゼラン・ファンド)の運用をそれこそ昼夜兼行で、寝食も家族も忘れて没頭し、一三年間でファンドの基準価額を二五倍にするという目も眩むような成果を達成し、当然、報酬も巨額なものにすることができた。そして、若い頃の決心どおり四六歳の若さで一線から退き、教会での社会奉仕や、これまで疎かだった家庭サービスに専念している。
 その彼に会うためにボストン空港からタクシーに乗ったところ、タクシーの運転手さんが「どこから来て何をするのか?」と訊いてきた。そこで「東京から来て明日ピーター・リンチ氏に会う。ところで彼を知っている?」と尋ねたところ、「もちろん知っているよ。彼は自分もリッチになったけど、多くのアメリカ人をリッチにした偉大な人物だ」という答えが返ってきた。株で儲けると後ろめたい感じすら残る日本とは大変な違いである。
 ところが、話はそれで終わらなかった。ニューヨークに戻ってホテルのロビーで人を待っていると、今度は老婦人から同じ質問を受けて「昨日ピーター・リンチ氏に会ってきた」と答えたのだが、彼女の反応がまた驚きだった。「それは残念。もしお会いになる前だったらお礼を言って欲しかったの。彼のおかげで私の息子は大学に行けたのですから」と、彼に心から感謝しており、その姿を見て心が温まる思いだった。
 リンチ氏が大成功した背後には、マゼラン・ファンドを購入してくれた人々の期待に応えるための並々ならぬ努力があったのは当然である。投資対象となる企業は徹底的に調べあげるし、経営者と会うための会社訪問なども精力的に行なっていた。新婚旅行中にも一〇社近くの会社を訪問したというから並大抵の努力ではない。だからこそ「全米の投資家が尊敬する偉大な投資家」になれたのであろう。
 興味深いことに、偉人たちは相通じるところがあるのか、リンチ氏は全米の投資家が尊敬するもう一人の人物、最近四兆円もの寄付をして世界中を驚かせたあのウォーレン・バフェット氏ときわめて仲がいい。この二人に共通しているのが、「買うのは企業、株ではない」という信念であり、目先の経済情勢や市場の動きにはほとんど関心を寄せないところである。さらに、「市場から与えられた富は社会に返す」という明確な人生哲学も共通しているし、事実それを実行してもいる。

 株式投資の原点は、社会に富を生み出す企業を応援することである。英語では、株式市場本来の役割である「資本調達の場としての市場」のことをプライマリー(重要な)、すでに発行済みの株式を売買する市場は「セカンダリー」(二次的な)と、両者を区別して呼んでいる。この点からも分かるように、本来の株式投資とは、企業に資金を投入し、企業の成長とともに自分の人生を豊かにしていくということである。もちろん、企業の成長を通じて国の発展にも貢献できる。
 いまや日本は世界に冠たる資産大国であり、個人の金融資産だけで約一五〇〇兆円もある。これは英・独・仏の三国を合わせても及ばない額である。この豊富な資金を活用すれば、少子高齢化に伴う将来の不安も解消できるはずであり、従来の「貿易立国」に加えて「投資立国」「金融立国」として発展していくことができるだろう。そのためには、投資家一人ひとりが「株とは何か」を考えることが必要だし、「市場とは何か」「会社とは何か」を理解しなければならない。
 リンチ氏やバフェット氏は「市場は人生の夢を実現してくれるところ」と考えており、実際に市場を活用することで素晴らしい人生を築いている。本書をきっかけにして、株式や投資、そして市場について認識を新たにされてはいかがだろうか。思いがけない人生が拓かれる可能性もある。人生の残り時間の多い若い人たちも含めて、一家で熟読吟味していただければ、そしてお役に立てていただければ望外の喜びである。
 新装版の出版にあたり、ダイヤモンド社の小川敦行氏および旧版を出版してくれた黒木栄一氏に改めて深大なる謝意を表したい。

二〇〇六年一〇月
三原淳雄
土屋安衛

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